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日記と、湧き水のように湧いてきた言葉


僕は今、札幌の外れにある温泉街で働いている。




今の職場に来てから、まだ一週間も立っていない。




今日は、そんな職場の人たちと、カラオケに行き、ご飯を食べた。




とっても楽しかった。




まだ、出会ってばかりのあまり良く知らない僕と、一緒に遊んでくれて、仲良くしてくれて、本当にありがたいなって思う。




今までの僕では出会って数日の人と、仲良く、会話にも困らず、気まずい空気にもならずに遊んだりすることなんてできなかった。





本当にありがたい。自然体で存在しているだけで、人との関わりは本当に楽しくなるんだなと、改めて思う。





出会ったときって、今までの自分の価値観をベースに、その人に対する印象とか、なんかこの人好きだなとか、苦手だなとか、みんなある程度判断をすると思う。





だけれども、その印象って、合っていることもあるけど、結構間違っていることも多い。





例えばだけど、「なんかこの人、意地悪そうで嫌な人だな」って、最初は思ったとしても、よくよく関わってみたら、その人は、ただ思ったことをストレートに口に出してしまう素直な人でしかなかった。





みたいなことって、よくある。





だからこそ、自分の価値判断を重要視しすぎずに、一旦その人に心を開いて、「本当はどんな人なんだろう?」って知ろうとしてみるってのも、重要だな〜って思う。





そして、人と関わる中で、「この人嫌だな」とか、「この人うざいな」とか、そういうふうに思うことが合ったとしたら、そのときは「自分はどんな価値観を持っているのかな?」って、自分を知るチャンスにすると良い。






本当に精神的に開放されていくには、自分を知る以外ないのだから。






嫌な人がいるときは、「その人そのものが嫌な人」というよりも、ただその人はその人としてありのまま存在しているだけ。





そのありのままに対して、自分があれこれ価値判断をして勝手に苛ついたり、不快な気持ちになったりしているだけだ。





本当に平和に過ごしたいのであれば、人を変えようとするのではなく、人に文句を言うのではなく、自分自身を変革させていかなければならない。





もし、人に伝えたいことがあるのならば、こうあってほしいと言う願いがあるのならば、その人を変えようとしたり、イライラしたりするのではなく、「自分がメッセージそのもの」であればいい。





「もっと優しい言葉使いで喋ってよ!」って、人に対して思ったのならば、ただ、自分が優しい言葉遣いをすればいい。





「なんでそんないつもイライラしてるんだよあのひとは!」と思うのならば、自分は朗らかに、爽やかな笑顔を人に見せていたらいい。





「何だよあのひとは気が利叶いな!」と思うのならば、自分は人に対して細やかな気配りをしていたらいい。





人のことなんて来にしなくていいのだ。





自分が、今、平和なのか、心が満たされているのか、ヒビを楽しめているのか。





本当のところあなたの世界ではそれだけが大切だ。






そのためには、自らの心を知り、余計な重りを一つずつ手放していく必要がある。





人は何かを手に入れることで完全にはならない。






すべてを手放したときに初めて、完全体となるのだ。





世界の一部として、いや、世界そのものとして、ただ自然と、リラックスとともに佇んでいる。





なんでもない、何も持たざるものこそが、最強なのだ。






さて、今日はそんなところにしようかしら。





とりあえず、とってもありがたい1日でしたとさ。





ありがたいありがたい。





いい気分で寝られそうだ。






では、みなさんも、良き一日を!





見てくれて本当に本当にありがとう!!






ばいばい!









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