公務員…適応障害との戦いが始まる

適応障害の診断を受けてからは、物凄い速さで療養休暇に突入した。
まず、精神科医からは職場との接触一切禁止令(ありがたかったー(泣))。保健室が間に入ってくれて、全てのやりとりが出来る。
『仕事のことは忘れて、しばらくは何もせずずっと寝ていてくださいね…』
そんな言葉に涙しながら、療養休暇に入った。

休んで寝ていれば良くなる…という考えが甘かったことに翌日に気付く。
『ナンデワタシハヤスンデネテイルノ?』
『ワタシハヒツヨウノナイニンゲン』
頭の中は悲観的な事しか考えられなくなり、眠剤を飲んでも眠れない、安定剤を飲んでも“これは何のための薬?”というほど効かない。週一の通院で眠剤を何度か調整されたが、面倒になりきりのいいところで黙って言いなりに…そんな日々が1週間、2週間…3週間経つころ私は、左手にスカーフ・右手におしっこシート(実家に居た犬の為に買っていた)を持ち、ただただ家の中で死ねる場所を探す日々が続いた…
夕方になると子ども達が帰ってくる。ああ、今日も死ねなかった…気持ちが弱い、だから適応障害になんかなるんだ…涙 涙

夕飯も朝食も旦那が、用意し子ども達に食べさせてくれる。お昼は給食というありがたい制度があるため心配が要らない…私って要る?
ありがたいと思いながらも自分が必要のない人間だと思い涙 涙
当時コロナ禍に突入していたため、旦那の仕事は週休3日。毎週金曜日は夫に外に連れ出され、一緒に食事をし、ドライブをし帰って来る。下の娘は毎朝毎晩わたしの寝室を覗き、『おかん、行ってきます』『おかん、ただいま』と声をかけてくれていた。
今、思うと本当に家族に助けられていたと感じる。

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