新型コロナワクチン接種後に父が亡くなった話①

【お友達に描いて頂いた漫画版はこちらです】

#ワクチン 新型コロナワクチン接種後に父が亡くなった話 - あねのマンガ #漫画 - pixiv

【時系列】

2021年7月上旬
〇〇市コロナワクチン接種会場(〇〇会場)にて
ファイザー社製ワクチン(1回目)を接種
この時は接種箇所の痛み、倦怠感を訴えていたが2~3日で回復

2021年7月27日
〇〇市コロナワクチン接種会場(〇〇会場)にて
ファイザー社製ワクチン(2回目)を接種
この時も接種箇所の痛み、倦怠感を訴えていたが2~3日で回復

2回とも自ら運転する車で接種会場に向かい
その前後も健康的な生活を送れていた。

令和3年8月上旬
便が緩いと尿漏れパットを購入。
排泄がトイレに間に合わない事もあった。

2021年8月10日頃
右の太腿~脛の痺れ、脱力感を訴える。
扉に掴まれば立ち上がれたが、歩行に支障が出始める。

2021年8月13日
車に辿り着けないので、墓参りを叔母に頼む。
アクセルやブレーキは踏めるが、
手首や指先にも力が入らないと言っていた。

日に日に歩行困難になり、少しの段差で転ぶようになる。
Cクリニックに介護認定申請をしたが
認定を待てず、自腹で車椅子を購入。
四肢の脱力感が急激に進行し、車椅子ごと転倒していた。

2021年9月上旬
A病院受診
「症状からギラン・バレーの可能性が高い」

2021年9月上旬~中旬
A病院検査入院。
「急性ギラン・バレー(多発性神経炎)の疑い」
リハビリ・治療入院は自宅近くが良いと、本人の希望で退院

2021年(A病院から退院2日後)~10月2日
B病院にリハビリ・治療目的で入院。

ケアマネさんの力を借りて、二人がかりで車に乗せた。
手足が思うように動かせず、食欲も落ち、
枯れ木のように痩せ細っていった。
父は後部座席に横たわるとぐったりと横たわっていた。
診察待ちの間、缶コーヒーを買い与えたが、咽せて吐き出していた。

コロナ禍の為、面会は出来ず、
数日に一度、パジャマや毛布、下着の差し入れに行っていた。
父はスマホのタップも出来ず、看護師さんに頼んでLINEを操作していた。

9月末には肺炎になっていたようだが、連絡が来たのは10/1
「お父さんが熱を出している。
夏物のパジャマを持って来て欲しい」と言われ
病院に言った所、特別に面会が許された。
「お父さんは誤嚥性肺炎の可能性があり、
今夜にでも亡くなってしまう可能性があります。
延命について、ご兄弟と相談して下さい」と告げられた。

10/2
危篤状態となり、HCUに入室。
呼びかけに対し、反応はあったが、息を引き取った。
死因は誤嚥性肺炎。

ギラン・バレーにならなければ
父は死ぬこともないと思ったので、担当の先生に
「ワクチンが原因ではないか?解剖したらわかりますか?」と言ったが
「接種から亡くなるまでに時間が経ちすぎている。
ワクチンが原因ではないでしょう」と断言され、解剖は叶わなかった。

ギラン・バレーの症状が出始めたのは、2回目接種から10日前後。
「ワクチンが原因なのでは?」の質問に対しては、
A・Bどちらの医師とも否定的であり
PMDAも、中々上げて貰えず
予防接種健康被害救済制度申請に至っては、
受診証明書のサインさえ貰えなかった。
(申請用と認定後の用紙が間違っていたのだが
誰一人として気付かずただ『サイン出来ない』の一点張りでした)

申請までに半年。
そこから県、国に上がるまで、更に一年の時間を要す。

2022年10月21日
コロナワクチン被害者遺族会結成。
医療裁判に詳しい弁護士さんに相談し、入会を決意。

以下、
2023年6月、
宇都宮でのワクチン被害者遺族講演会に登壇した際の
スピーチ原稿(一部加筆、修正あり)です。
長いのですが、読んで頂きたいです。

皆様こんにちは。

私は2021年10月に
〇〇市、高齢者接種2回目、
ファイザー社製コロナワクチン接種後に父を亡くしました。

父が2回目を接種したのが7月末
それから約10日後に手足の痺れや痛み、脱力感を訴え
急性ギラン・バレーの疑いである、と診断されてから
僅か1ヶ月で亡くなってしまいました。

はじめに、父のことをお話させて頂きますと
父は優しくシャイで、冗談を言って人を笑わせるのが好きでした。
10年前に母が亡くなってからは、親子で付かず離れず、
お互いを支え合いながら暮らしていました。

父は名作洋画劇場や笑点を楽しみにしていて
新型コロナが流行してからは、一日中、部屋でテレビを観ていました。
私自身もまた、お笑い番組が好きで、テレビは良く観ていました。

その頃のテレビでは連日のように、
新型コロナが如何に恐ろしい感染症であるか、
芸能人の死亡や罹患した情報、
新規感染者(陽性者)数、死亡者数が報道されていました。

都道府県を跨ぐ移動の自粛や、飲食店への自粛、時短要請。
地域の罹患第一号者はプライベートや行動履歴、
家族構成や職場まで晒され、
地域に流行病を持ち込んだ【悪しき者】として叩かれていました。

同調圧力と言えばそれまでですが、
その時の私には、『接種しない』と言う選択肢はありませんでした。

『思いやりワクチン』の言葉や、
医療従事者である兄弟、友達が次々と接種して行く中
『ワクチン』で検索しても、検索トップに厚労省のHPが出て来て
「副反応として、腕の痛み、発熱、倦怠感などの
症状が出る場合があります」
の説明に誘導されました。
情弱とのお叱りも頂きますが、
その時には、過激な陰謀論ばかりが取り沙汰され
本当に必要な情報へと辿り着く事が出来ませんでした。

私は観光地で接客業をする傍ら、小さいお子さんを預かる仕事をして居り
人一倍、新型コロナを恐れるようになっていました。
父は高齢の為、
「俺は、コロナになったら、一発で死んじまうな」と話していた事もあり
結果的に「ワクチンは打った方が良い」
と、強く勧めることとなってしまいました。

集団接種の予約も、世間では「予約が取れない」とパニックになる中
父は、インターネットの出来るお友達に予約を取って貰ったそうです。
私自身も職域接種を受けましたが、
『もっと、ちゃんと調べていれば…』
『私が父を殺してしまった』と、今でも後悔しています。

話を戻しますと、ギラン・バレーはとても珍しい病気です。
診断を受けた病院でも
10万人から15万人に一人診るか診ないかの病気。
原因としてはストレスや、稀にではあるがワクチンの可能性。
断定して治療を受けるには、
栃木県では独協や自治医大に行かなくてはならない、
との説明を受けました。

ワクチンが原因である場合、発症は2週間前後から。
昨年6月にはファイザー社も、
ワクチン接種後に見られる重篤な副反応として
医療機関にも報告を上げるよう、通達を出しています。

しかし、診断して下さった先生も
リハビリ・治療入院をした転院先の先生も、
ワクチン死については消極的です。

「父は、体調不良が始まったのは、
2回目のワクチン接種後からと言っています。
ワクチンが原因なのではないですか?」

の質問に対しても、否定的でした。
その態度は後の、予防接種健康被害救済制度申請時も一貫して居り、
必要書類のサインも中々、頂けませんでした。
こちらは追って、お話しさせて頂きます。

転院先でもコロナ禍だった為、入院中の面会は出来ませんでした。
父は指先にも力が入らず、
看護師さんにスマホを操作して貰っていたそうです。
最後に通話したのは、9月末。
その時に父は
「10月には家に帰りたい」
「宅配弁当のカタログを調べてくれ」と言っていました。
食欲も余りない為、ベビーカステラが食べたいと言い
新しいパジャマの中に隠して差し入れるよう、頼まれました。

その数日後の早朝、病院から電話があり
「先生からお話があるので、来院して下さい」と言われました。
先生からのお話は
「お父さんが軽い肺炎を起こしています。HCUで治療を行います」
とのことでした。

特別に面会が許され、父の病室に入りました。
発熱したとのことで、父は夏物のパジャマを着ていました。
リバーザーと言うマスクをつけられ、苦しそうに息をしていました。
「お父さんどうしたの?
お父さんが居なくなったら、私一人になっちゃうよ」
思わず、声を掛けると
「アンタ、家のお金はあるのか?大丈夫か?」と、
最後まで私の心配をしてくれました。
ひょうきんな叔母さんには「ねえちゃん、何か、面白い話して」と言い
それが最期の言葉だったそうです。
ベッドの横には、私が数日前に差し入れたベビーカステラが、
未開封のまま置かれていました。

その頃の記憶が余り無いのですが、現実味はまるでなかったです。
HCUに入る為、病室の荷物を持ち帰るよう言われたのですが
今にして思えばその時には、助かる見込みがなかったのでしょう。
翌朝、またも病院からの連絡があり駆け付けたところ
「容体が良くない。延命についてご兄弟と話し合って下さい」
との説明を受けました。
急いで叔母たちに連絡したのですが、
県外に居る兄弟は病棟に上がれないとのこと。
電話で延命についての話し合いをしたのですが
兄弟からは「やれる事はフルコースでやって欲しい」と言われました。

その間にも、父の意識レベルはどんどん下がって行きました。
看護師さんから「今なら、夢を見ている感じで逝く事が出来ますよ」と
お医者さんからの伝言を聞かされました。
やはり特別にHCUへの入室が許され、私は父へと声を掛けました。
「お父さん」と呼びかけると目蓋が開き、二度ほど瞬きをしてくれました。
「お父さん、頑張れ」もう一度、声を掛けたのですが
目蓋は痙攣しただけで、そこから二度と開かれることはありませんでした。

叔母さんたちが駆け付けてくれ間も無く、心肺停止となりました。
父は白内障の手術が決まった時にも、待合室で泣き崩れた程の怖がりです。
母の延命措置をした際にも
「俺は、痛くて怖いのは嫌だ」と言っていたので迷いましたが
咄嗟に「延命して下さい」と頼んでしまいました。

そこから30分、先生方が尽力して下さいましたが、
父が戻って来てくれることはありませんでした。
父が大好きだった母が亡くなったのと同じ病院で、
76歳の人生に幕を下ろしました。

解剖しなかったのは、感情的な部分です。
お医者さんに
「ワクチンが原因か、解剖をしたらわかりますか?」と尋ねたのですが
「ワクチン接種から亡くなるまで、時間が経ちすぎている。
死因は誤嚥性肺炎なので、ワクチンとは関係ないでしょう」と断言され
それなら、しない方が良いよね、の判断となってしまいました。

葬儀の際は、県外に住む兄弟も駆け付けてくれました。
兄弟は看護師なので、ワクチンに対しては治験の認識もあり
『医療従事者の役目』と、身を挺して接種していました。
ですが、父の死の起因はワクチンだろう、
と予防接種健康被害救済制度についてを調べてくれ、
申請の後押しをしてくれました。

最初は、救済制度を申請すれば、国や厚労省に父の死を報せられる。
治験であるなら、死亡事例が上がることで、
接種を見直して貰えるのでは?の思いがありました。
その時点で、重篤な副反応疑いや死亡事例が上がっていたことや
厚労省職員の9割が接種していないことなど、
まるで知る由もありませんでした。

父の初七日が過ぎ、私は救済制度申請に向けて動き始めました。
〇〇市の新型コロナワクチン対策室は、電話対応などに追われていましたが
職員の方が丁寧に対応して下さいました。
私が父の葬祭費や死亡一時金の用紙に記入して居る最中にも、
『転勤してきたばかりなので、接種券が欲しい』と、
若い男性がやってきました。
叫び出したい気持ちを抑えて、
その他に必要な書類を集めることにしました。

父は不調が顕れてから3箇所の病院に通院して居り
通院した証となる受診証明書も必要でした。
受診証明書は2種類あって、その当時
認定後が別紙2-(1)、申請用が別紙2-(2)と、
何故か判り難いものとなっていました。

市役所も病院も用紙間違いには気付かず、
ただ「ワクチンが原因とは考え難い」と否定され
通院した病院は診断した病院に
診断した病院は通院した病院にサインして貰ってくれ、と、
何度もたらい回しにされました。

用紙の間違いに気付くまで1ヶ月、
訂正・修正などで更に5か月が過ぎて行きました。
市に提出出来たのは、父が亡くなってから半年後のことです。
しかし、今度は第7波が流行り、
審議会の集まりが出来なかったと言われました。
市から県に上がったのは、2023年3月。
父が、死亡事例の2000名に入っているのかさえも、わからない状態です。
その間にも、
多くの方が後遺症の被害に遭ったり、亡くなられたりしています。
救済制度は何故こんなにも申請一つ煩雑で、
審議にも時間がかかるのでしょうか。
本当に悲しく、悔しく、もどかしいです。

遺族会で知り合った皆さんが言います。
止められなかった
自分が殺してしまった
死んだのは、自分であれば良かった…と。

また、数字の向こうに一人一人の人生があります。
思い出もあります。
国や厚労省にとっては数字でも、
私たちにとっては、何物にも代え難い大切な家族です。

お金を払っても、家族は帰ってきません。
ですが、皆さんはまだ間に合います。
立ち止まって調べたり、考えたりすることも出来ます。
メリットとデメリットを正しく知った上で、選択することも出来るのです。

高齢ながら、父は志半ばで亡くなりました。
「娘に世話になるのは申し訳ない」と泣き、
自力で動こうとして転んだり、硝子を割って怪我をしていました。
最後まで優しく、立派な父でした。
歩けなくなってからも私を守ろうと、必死に生きていました。

勧めてしまったこととは別として、私は知りたいのです。
何故、あんなに元気だった父が突然、ギラン・バレー症候群となり
辛く悲しい想いをしながら亡くなって行ったのか。

何故、2000名以上の死亡事例報告をもっても
ワクチンが中止にならないのか。報道もされないのか。

コロナで亡くなった方は疑いも含めてカウントされるのに
ワクチン接種後に亡くなった方は、
容易く『因果関係不明』と言い切られます。
そもそもとして、因果関係を認めるのが消極的であるのに
「重篤な因果関係が認められないから、接種は問題ない」
と言い切れるのは何故なのか。
因果関係不明なら、被害も無かったことになるのでしょうか。

ワクチンがコロナの重症化を防いでくれる、
明確なエビデンスはありますか?
コロナ死は「そうそう」
ワクチン死は「ないない」
その風潮は、誰が作ったものですか?

どうか知って下さい。
接種直後、或いは数日中に亡くなられた方でも
「因果関係不明」の評価で片付けられている現実を。
私や他のご遺族のように
1ヶ月、または1年経ったら「関係ない」と決め付けられている現状を。

皆さんや大切なご家族を守れるのは、皆さん自身です。

今日、こうして見聞きし、感じたことを
一人でも多くの方へと伝えて頂けましたら幸いです。

最後までご清聴、有難うございました。

以上

   

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