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キューバ野球の転機

2022年11月15日 
国際野球界隈にとんでもない
ニュースが飛び込んできました


キューバ野球連盟
亡命した選手を代表に選出


以前から選手の亡命は
キューバにとって頭の痛い問題で
2000代以降はより深刻化しています

特に東京五輪出場をかけた
アメリカ大陸予選ではベネズエラ 
カナダに連敗を喫し初めて五輪への
出場が叶いませんでした

来年のWBCでも厳しい戦いになると
言われていた矢先に今回の発表
さらなる選手の招集も予想されます

今回はキューバの亡命問題と
今後の展開について
考えていきたいと思います


目次

1 キューバと野球

2 キューバと国際大会

3 After 2000

4 今後の展望 



1キューバと野球

キューバの野球を語るまえに
キューバの歴史について
触れていきたいと思います

キューバはもともと
1492年にコロンブスが発見し
1511年スペインに征服されました

以後数百年に渡りスペインの
植民地として支配を受けてきましたが
1902年念願の独立を果たします

しかし独立した後今度は
アメリカの支配をうけ長らく圧政に
苦しむことになります

1959年キューバ革命がおこり 
フィデル・カストロが議長につくと
社会主義体制に移行
反米色を鮮明化していきます



2キューバ野球と国際大会

アメリカの支配を受けていた頃
キューバ出身の選手は
MLB球団に所属していました

しかし体制が変わるとMLBは
ドミニカ共和国、ベネズエラなど
他の地域に注力するようになります

そしてキューバ国内では
プロスポーツは禁止となり
選手たちは国際大会に
活躍の場を移していきました

・野球ワールドカップ
 
・インターコンチネンタル大会

WBSCの前身であるIBAFでは
上記の大会を開催していたものの
プロは参加せずアマチュアの選手が
出場していました

国際試合はアマチュアがやるもの
プロ参加が常態化するまでは
それが共通認識でした

その中でキューバは
アマチュア最強の
名の下勝ち続けて行きます

オリンピックでは3度金メダル獲得 
ワールドカップに至っては25回もの
優勝を記録しました

しかしその頃からある問題が
表面化してきます

3 AFTER2000

社会主義体制になってから
キューバの人々は渡航が禁止になりました
無論MLBでプレーすることなど
もってのほかです

どうしてもMLBを目指したい場合
亡命しか他に選択肢はありません
1990年代後半から亡命する選手は
増え続けていきました

2000年代後半WBC創設により
国際大会の注目度が上がり
他の参加国のレベルも向上してきました

2010年以降になると
新興国に敗北を喫する事も
増えていきました

そして2020年東京五輪予選大会
ベネズエラ カナダに連敗し
五輪に出場することなく
姿を消すこととなりました

4今後の展望

今回亡命選手の招集を決断した
キューブ野球連盟

大きな一方を踏み出したものの
ドリームチーム結成の為には
乗り越えなければいけない課題が
山積しています

また仮に結成できたとしても
この10数年間で他の参加国も
強くなり1次ラウンドを勝ち上がるのも
至難の業と言わざるおえません

何もこれはキューバに限った
ことではなく他の参加国にも
いえることです

少し話がそれましたが
今回の決定は間違いなく
野球界の発展に寄与するでしょう

今後の展開に修正注目
していきたいと思います

最後までお読みいただき
ありがとうございました



参考資料

●世界の国旗
●野球の国際情勢
●世界の野球

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