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自己紹介です。part2

前回の続きです。今回から私がどのような職歴を送ってきたか、もう少し具体的にお話をしたいと思います。
前回お話したように、自堕落な学生生活を送った私は、選択の余地も無く、某大手ハウスメーカーに就職することとなりました。この会社はTVCMなどでもお馴染みの今や業界を代表する企業でもあります。この会社では戸建だけではなく、私が在籍していた当時から様々な部署が有りました。記憶が曖昧なのですが、入社前に勤務地また、どの部署に配属を希望するかアンケートのようなものが有り、程度は解りませんが、希望を加味され、勤務地、部署が決まります。今現在は解りませんが、代表するもので、①戸建、②集合住宅(アパート)、③店舗、④事務所・工場などの部門があったように思います。当時私は③また②を希望したと思うのですが、結果配属されたのが②の集合住宅部門の営業となりました。
さてこの集合住宅というのは、主に2階また3階建ての賃貸住宅(アパート)
に関連する部門です。多くの人は賃貸住宅の入居を斡旋する仕事?と思われるかもしれませんが、全く違い、土地を持っている人に賃貸住宅を建ててもらうという物凄くハードルが高い営業なんです。
何がハードルが高いかと言うと、まず建てたい人をどのよう探し当てるかに尽きます。ある程度経験年数を重ねて行くと、主に関係各所からの紹介により、受注していくというスタイルが多いように思います(逆にこうならないと、成績も安定せず、結果退職へと繋がっていくように思います。)が、入りたての新人にそのようなルートがある訳も無く、飛込み営業が主体となります。当時は各営業職毎に自分の営業エリアが与え、私も岐阜県の一つの市をエリアとして与えら、営業マンとしての人生をスタートさせます。

さてこの飛込み営業ですが、土地を所有していそうなお家を1件づつ手当たり次第ということでは無く、先に自分の担当地区の空地状況をチェックします。休耕になっていたり、草ぼうぼうだったりというような土地ですね。こういう土地を地図に落とし込みます。(当時は今ほどデジタル化も進んでおらず、ぶっといゼンリンの地図を持ち歩いていました。)その後、法務局という役所でチェックした土地の所有者を調べ、リスト化します。これで準備が完了しました。さあ行くぞ!とここから実際に調べた土地所有者を訪問していくのですが、実際は、話を聞いてもらうことすら難しく、中には他業者からも同様の訪問を受け過ぎているが故に非常にヒステリックな反応をする
方なんかも居まして、こちらが訪問するなり、怒鳴り散らしてくるような人も多くいました。このような状況が続くと段々と気分も滅入り、モチベーションもだだ下がり→営業中もサボリがち→成績が上がらない→上司に怒られる→嫌で辞めるという感じになります。私もズバリこのスパイラルにはまりそれでも丸4年は在籍しましたので、自分では、決して良いとは言えない職場環境を考慮すると、もった方かもしれないと思っています。
前回でもお話ししたように、私は優秀な営業職では無く、それは謙遜していう訳では無く、実際私の丸4年でまともに受注出来たのは、4件と記憶しています。
さて丸4年経過したところで、退職することになるのですが、この賃貸住宅建築の営業って、当時は既に、単純に「良い建物なので、建てて下さい。」→「解った!」(でも実際にこれ近い感覚で受注している、猛者もいました。)というものでは無く、建てる側へのメリット、収益性だけでなく、特に税制面や周辺の知識などを持ってそこを訴求し、「自信」を持ってプレゼンしていかないと、中々受注へは結びつかないと思うんですね。
それでこの自信を持って客と話すというのは、非常に大事な部分でありまして、自信の裏付けとなるものは、知識と経験によるところが大きく、当時の私にはどちらも無く、既に前述の負のスパイラルに陥っていましたし、取敢えず、兎に角、環境を変えたい(逃げ出したいと)いう思いも強かったので、退職を決めたのです。

さて、26歳にして1社目の会社を去ることとなった私、これからどのような社会人人生を送るのか・・・
part3へ続きます。

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