見出し画像

【実在した人物:五十宮倫子】『大奥』 【2024冬ドラマ】

【実在した人物:五十宮倫子】【俳優:小芝風花】

2024年3月24日

ドラマ第2話目まで観ました。正統派の大奥、権力獲得で渦巻く醜い争い。その中で、シッカリとした意志を持ち立ち向かう御台様。普通の人なら鬱病になるはず。今後も御台様を応援したいと思います。悪役のワイルド・スピード森川さんも頑張って欲しいです。では、また。(耐え切れずリタイヤ)

【作品情報】

2024年1月スタートのフジテレビ、木曜劇場(毎週木曜・22時~22時54分)にて、小芝風花が主演を務める『大奥』放送中。2003年に初めてフジテレビで『大奥』が放送されてから20年以上の時を経て、新たな令和版『大奥』が誕生、小芝は、徳川家治と愛のない政略結婚を強いられた主人公・五十宮倫子を演じます。

【あらすじ】

時は江戸中期、景気は悪化の一途をたどり、日本国民は質素、倹約、勤労の日々を強いられていた。格差は広がるばかりで、人々はこの景気を改善し、国と国民を豊かにしてくれる将軍の登場を待ちわびる。そんな中、倫子は第10代将軍・徳川家治との政略結婚を強いられ、京から江戸城本丸の裏にある大奥へ渡ると、そこには1000人近くにもおよぶ将軍に仕える女性たちがいた。たった一人の天下人の寵愛を受けるべく、今、女たちの熾烈な戦いの火蓋が切られる。一方その頃、大奥を、江戸幕府を、混乱の渦に陥れようと、ある人物が陰謀を企てていて、、、

【主要人物】

五十宮倫子 演:小芝風花

東山天皇の皇子・閑院宮直仁親王の娘であり皇室の血を引く公家の娘・五十宮倫子。京で素直に育ち、人を疑うことのない、純真で優しい性格の持ち主だが、その一方で芯は強く、利発。しかし、朝廷と幕府の橋渡しとして、次期将軍である徳川家治と政略結婚をさせられたことで逃れられない運命に翻弄(ほんろう)され、倫子の前にはさまざまな試練が立ちふさがる。先代の第9代将軍・徳川家重が謎の死を遂げ、家治が第10代将軍となり、倫子は将軍正室として男子禁制の大奥へ渡ることになるが、そんな彼女は京にいた頃からの幼なじみの久我信通に好意を寄せていた。

【実在の人物】

倫子女王

(1738年3月10日-1771年9月28日)、江戸時代後期の皇族、閑院宮直仁親王第六王女。江戸幕府第10代将軍徳川家治の正室。幼名は五十宮(いそのみや)。第113代東山天皇の孫、第119代光格天皇の叔母にあたる。
 元文3年(1738年)1月20日、閑院宮直仁親王の第6王女として京都に誕生。母は閑院宮家の女房の讃岐。
 寛延元年(1748年)10月26日、京都所司代牧野貞通が朝廷と交渉し、将軍家重の世子・家治との縁組が決定。寛延2年(1749年)2月5日に京都を発ち、3月19日に江戸へ到着すると浜御殿へ入った。
 宝暦3年(1753年)11月11日に縁組の披露が行われ「姫宮様」と称される。翌4年(1754年)12月1日に江戸城西の丸へ入り、婚礼の式を挙げた。以降は「御簾中様」と称された。宝暦6年(1756年)7月、家治との間に長女・千代姫を産んだが、わずか2歳で夭折した。
 宝暦10年(1760年)4月、江戸城本丸へ移り御台所となる。同年の8月に従三位に昇進し、9月には夫の家治が征夷大将軍を拝命した。翌11年(1761年)8月には次女の万寿姫を出産、また家治が側室出生の子も御台所の御養としたため、側室・お知保の方が生んだ世子・徳川家基(幼名・竹千代)の養母となった。
 明和8年(1771年)8月20日、34歳で薨去した。戒名は心観院殿従二位浄池蓮生大姉。江戸上野の寛永寺に葬られた。 同年8月23日には従二位を、さらに天明3年(1783年)8月には従一位を追贈された。
 家治との夫婦関係は仲睦まじいものだった。家治が将軍世子であった頃、西の丸において家治が倫子に会う為に頻繁に西の丸大奥を訪れたところ、倫子付きの御年寄たちが拒んだため、家治付きの女中たちが憤慨し、倫子付きの女中たちとの間で不和が生じた。そこで家治の乳母である岩瀬が登城して、両者を和解させたという。倫子は度々大奥から出て吹上御庭を散策し、木々や草花に触れて気分転換を楽しんでいたことが「徳川実紀」に記されている。



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?