泣き言・戯言・独り言、不安な自分へ慰めのみじめ

私はいわゆる病み期真っ最中。原因は昨日のデートがうまくいかなくて、やるせない気持ちでいっぱいだからだ。人によっちゃその程度で病むなんてみっともないと思われるかもしれないが、当人からすると真正面から自分の不甲斐なさをずっと見続けているのはやっぱり来るものがある。正直二週間後にはケロッとしてそうなもんだが、今が悲しみの真っ最中であって、もうどうしたらいいのかわからない。

もっとやりようがあったのではないか。いや、昨日のコンディションだったら、ダメージリミテーションだけ考えて保守的に振舞うのが精一杯だったのではないか。そんなもはや過去になってしまった昨日のことを、あーでもないこーでもないとわがままに考えては、脳みそが擦り切れていく。でも振り返ることも後悔することも止められないんだ。止めたら、本当にろくでなしの、ヤリモクくそステータス野郎になってしまいそうだから。

恋とか愛とかってなんなんだろう。結局は、頭で考えている内はわからず、行動しているときには伴っている、なんとも気まぐれなフィーリングなんだと思う。だって、考えたところで彼女を愛する理由なんて、考えたところで手前みそ的な埋め合わせしかできないし、明確に定めたとして、だから愛せるなんて言ってしまえば、なんと合理的なものだろうか。結局は人間も生物なんだから、遺伝子のままに好きなんだと言ってしまえばそれまでだが、それを前に押し出して考えても、まんこに媚びへつらう無様な生物になり下がるだけだ。

好きって気持ちも、愛する気持ちも、脳みそにあるんではなくて、体にあるものだ。いくら脳みそ使ったって、そうあがく前に体自身がよーく知っているものだ。

例えば音楽。私たちの多くは、音楽を嗜み、嗜む以上に愛してるとさえ言えてしまう人だっているだろう。それら音楽好きな人は何か理由があって好きなのか。そりゃ好きなジャンルとそうでないジャンルがあれば、自分が好む理由なんてある程度予想がつくものだろうが、果たしてそんなに単純だろうか。ロックが好きなら、ノリがよくてじゃかじゃか楽器がなる系の音楽が好きなのかもしれない。しかしそんなジャンル山ほどある。じゃあヘビメタは?プログレは?ハードベースは?サイケは?みんな同じことが言えるジャンルだろう。でも全部も好きになれるのか?まぁそういう人もいるだろうけど、、、、
結局言いたいのは、ロックが好きな理由なんてないし、その他自分が興味を示すものの所以もない。ただ体の気まぐれで他よりなんか好きくらいなんだ。大体音楽みたいな活字じゃない芸術、ただの人間が言葉で理由なんて言い表せるか。そんなことで頭働かせてたら、いつかメタ認知が進みすぎて病んでしまうぞ。

頭じゃなくて体。好きって気持ちは、対象と触れあったときに体からこみあげてくるポジティブなフィーリングに過ぎない。考えたって、理由を作って「好き」って気持ちを固めたって、結局フィーリングなんだ。人工的に生み出せる代物じゃない。薬物とかやってんなら別だろうけど。



好きという気持ちはだから難しい。昨日はそのフィーリングがとても乏しくて、おどおど対応してしまって、今病んでいる。そりゃいつだって告白した時みたいに、熱い気持ちで接していたいさ。それでも、そんな便利な体じゃないんだ。だからっていつだって世界で一番愛していたい、、、

そう思えるだけまだましかもしれないが、私は今、彼女の世界で唯一の彼氏であって、だから私が彼女を幸せにできなければならない。私は、世界で一番愛してると思って告白したし、彼氏になってもその立場に責任をもって接することができると思っていた。だから昔の自分に対しても、もちろん彼女に対しても、もっと立派で優しい人でなければならない。こんな泣き言も戯言も、独り言として消化しちまって、心から優しい人にならなければならない。

これを読んでくれている人も、上から目線になって申し訳ないが、頑張って。辛くてどうしようもないときは、休むのだってきっと前進だから。本当に白旗上げて降参するまでは、何度負けたって、本当の負けじゃないから。どんなに惨めな負けを積み重ねても、100回だって1000回だって挑んで、そのうち一回勝てば勝利だから。
また泣き言言いたくなったら、もう一度戻ろう。立ち上がって前より大きい歩幅で進めば、きっと目標は近くなる。

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