夏目漱石『草枕』

呉従先という中国の文人がいました。当時はそれなりに流行った文人のようですが、今ではほとんど忘れ去られています。その呉従先の代表作ともいえる随筆集『小窓自紀』に次のような文章が載っています。
《世の中に慣れれば、情に流されてしまう。世の中に疎いと、人付き合いがうまくゆかない。大変なんだよ、この世の中を生きて行くのは。(世情熟、則人情易流。世情疎、則交情易阻。甚矣、処世之難。)》

山道を登りながら、こう考えた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 =夏目漱石 『草枕』=

こう並べてみると、夏目漱石の名作『草枕』の出だしの一文と呉従先の句が、驚くほどに似ているのに気づかれるでしょう。
呉従先の句に、知の一行を加えれば、草枕の文章になります。漱石山人の漢文の力は、彼が学生の頃に書いた紀行文『木屑録 』や晩年の漢詩を一瞥すれば、現代のわれわれに想像もできないものであったことが理解できるでしょう。

明治も初期の頃の日本人の感覚は、現代の日本人とは遠くかけ離れていました。その代表的なものが、文化に対する感覚です。
明治の初期のころの文人の作品では、まぁ幸田露伴頃迄でしょうが、中国の清の文化は自分たちの生きている時代の文化であり、明の文化はそのちょっと前、江戸時代の文化を見るのとそうは変わっていなかったように思います。
今の人たちが米国の文化を同時代の文化と捉えているのと同じです。

明治の日本の文化人は、物珍しいものにすぐに飛びつく日本人根性丸出しで、欧米の文化を一日でも早く取り込んだ方が勝ちといった風に一目散に欧米文化崇拝に奔りこみました。
だから社会の目立つところは、福沢諭吉とか森有礼や北村透谷といった欧米万歳派の主張一色に塗りつぶされたように見えましたが、社会の一般的な感覚は、江戸時代の流れを引きずり、明・清の文化に親しみを持ったままでした。

夏目漱石が『草枕』を書くときに呉従先の句を横目で見ながら書いただろうなどと失礼なことをいう気はありません。
しかし、夏目漱石の漢文力、読書力からして、明や清の時代の随筆をかなり読んだであろうと考えられますし、その中に呉従先の文章があり、それが記憶の片隅のどこかに残っていて、それを核にしてこの名文ができ上がったのかもしれません。

◎ 合山究『明代清言集』中国の古典、講談社
◎ 呉従先『小窓自紀雑書』古今説部叢書一集、上海文芸出版社
◎ 夏目漱石『草枕』新潮文庫

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