うちひしがれている。

過去3回受講した中で、終わった後のずーんと沈み込む気持ちが大きかった。自分は今まで何を考えて仕事をしてきたのか。これからどうやって仕事をしていくのか。課題を狙い通り進めることができるのか。寄せては返す波のような不安。毎回何かを学ぶというより、仕事と人生の棚卸反省会をやっている気になる。

ラマヌジャンの話

結局は人間をどうみるか、自分の美意識「これ以上は下げられないライン」を上げていくか、という話を聞いて、数学者ラマヌジャンの話を思い出した。天才は偶発的に生まれるのではなくて、特定の地域で特定の素養を持ったところに生まれる、美しいものにどれだけ触れて育ったかに起因するという話。美しいビジネスだから広がる。計算されているビジネスだから美しい。感覚を磨こうと思ったら、自分が美しいと感じるものに触れて、観察して、なぜか、にひたすら向き合っていく、そのプロセスの繰り返しになるんだろう。美しいものに囲まれていれば、美しくないものに触れたときの「これは違う」もすぐ出てくるんだろうし。
自分はどっちかというと、「これは違う」という感覚に蓋をして、落としどころを探っていくプロセスに関わることが多かったような気がする。それをやめて、関係者が納得できるものを描けるようにならないとなと思った。なれるのかな。

事業モデルと収益モデルの話

自分の仕事に直結した話はまさにこれで、そこをひきずってインタビューも失敗したなぁというのが一番の反省だ。
既存のビジネスは事業と収益が一致しているが、事業モデルと収益モデルを別に持ち、データがその間をつなぐ、LINEはこれができているからスケールする。私の仕事のお客さんは自治体で、事業や収益を考えるときに真っ先に言われるのは「受益者負担の原則」であり、自分で提案するときもその枠組みを出ないように考えることが多い。で、だんだんそれが通用しなくなってきていると思うことも多い。そうすると今度は補助金頼みになったりするけども、補助金というのはカンフル剤でしかないので、持続可能にスケールするかという点では違う。
日本の会社は垂直統合が多くて、自社で作って賄おうとする、これも突き刺さった。でも、LINEのように収益モデルを確保しつつ事業モデルで幸せ実現できる企業に対して、既存の事業・収益モデルで行こうとすると勝負にならない。自治体なんか特に、税収が減って財政事業には厳しいから同じことができて安いならば安い方に流れる。そりゃそうだ。かといって利益度外視で自社が負担するのも続かない。講義でもあったけど、それができるのは金持ちの道楽だけで、企業はボランティアじゃない。
正直、インタビューしながらいくつか事業モデルのアイデアは浮かんだ。でも、結局「どうやって儲ける?誰がいくら儲かる?」「それは双方にとって幸せなのか?」という問いがすぐに浮かんで、アイデア出すだけじゃダメなんだよなと思った。それで同時に自社が一緒にやるとしたら、どうなるんだろうなとも考えたりしてみた。
そうして、自社を振り返って考えてみると、中途半端だと思っている。
自分たちの製品でよくしていきたいなら、突出した技術力をPRして、社会貢献はしたいけども手段を持たないような大企業からタニマチ的な援助を受ける道もあるんだろうし、逆に地域にとってのプラットフォーマーとしてありたいのであれば、自社製品にこだわらずとも、いろんなサービスを買ってきて組み合わせて提供したりってこともできるんじゃないのか、とか。
オープンイノベーションの協業は主従じゃない、役割。ならば、何か事業をしたいと考えたときに、PDUモデルの中で、どの位置づけでかかわっていきたいかを明確にするというのも必要なんだと思った。

老害恐怖症

課題の発表と今後の取り組みについてが明確になり、グループワークも本格的に始まっていく。今までアンラーンというと、これまでに得た知見とか成功体験とかそういうことばかり考えていたけど、頭の使い方とか課題に取り組むときの思考のクセみたいなものが染みついていて、これがアンラーンの難しさかとつくづく感じた。型にはめる、をもっと考えないといけないなと思う。独学で学んだ人が基礎から学ぶことで変についた癖を矯正するというのはスポーツでもなんでもあることで、今の課題もそうやって意識しないと、結局自分の考え方をイノベーションできない気がする。こういうのにこだわるといわゆる老害になるんじゃないか。
同じグループのメンバの方々はじめ、やる気もあってできる若い人に接すると、最近は自分がいかにこの人たちの邪魔をせず、かつ自分も関わった時に「このおばさん、そこそこやるじゃん」と思ってもらえるようになれるかなと思うことが多い。ずっと変わらずに評価されるというのは、絶えず変化しなければならないこと。今はマイナーチェンジじゃなくて、フルモデルチェンジするくらいの意気込みがないとダメだなと思う。

ヨシタケシンスケのクリアファイル

私はヨシタケシンスケ氏の著作が好きで、今全国で巡回展をやっているのだけど、そこで売っているクリアファイルがとても好きだ。
「見せようと思っていたプリント入れ」という文字と、プリントを見せた人・見せられてびっくりして目を見開いている人のイラストが描いてある。
たぶん私がビジネスで作りたいのは、こういうクリアファイルの体験なんだと思う。
ズボラうっかりさん人生を送ってきているので、昨日までに出さなきゃいけない提出書類を出してなかったとか、そもそももらった紙をなくしたとか、枚挙にいとまがない。で、そういうのを直そうと思って、メモ書きをするとか、リマインダを使うとか、いろいろ対策はして、自分のことはなんとかできるようになっても、子を持った今は、自分+子どもの提出物管理とタスクが増える一方で、結局自分のキャパは追い付かない(開き直り)
そんな時にこのクリアファイルがあったら、ネガティブな体験もちょっと笑えるものになるし、なんか安心材料になる気がする。
どんなままならない現状にも、何かしらの風穴はあけられるし、ものの見方を変えてみたら面白いんじゃないか。それを仕事でできたらいいなと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?