「覚悟はあるのか?」

はじめに

Xデザインベーシックコース日曜コースに入学した。
なんやかんやあって(これは後述)、noteのリフレクションを書くのが遅れてしまった。ブートキャンプの講義が終わってから3日、ずっと講義の内容や応募動機をぐるぐると考えていたら、ふと16年前の入社試験の面接を唐突に思い出した。
文系出身の自分が、情報システム企業に入社する動機を聞かれた。
私は確か「デジタル格差が経済格差につながるという話を聞いた。
それを解消するために、デジタル活用を通して地域に貢献がしたいのだ」と
答えた。それを聞いた役員から返ってきたのは、
「ふうん。でもまずは、開発できるように実力をつけてもらわないとね。」だった。

なんでこんなことを急に思い出したんだろうと思ったけれど、ああそうか、と思った。ブートキャンプの講義を受けた後に
「あなたは、仕事において、社会において、役に立つ実力を身につける覚悟はあるのか?」そう問われているように感じたからだ。自分がこれからの仕事のやり方に向き合う覚悟はできているのか、試されている。そんなカウンターパンチだった。
結局、絶対落ちたと思ったその面接になぜか受かって、以来私は情報システム会社の地方自治体向けの部署で働いている。

入学の動機

Xデザイン学校に入ったきっかけは、5年ぐらい前から携わっているスマートシティ関連の仕事だ。この仕事をする中で初めて「デザイン思考」という言葉に出会った。ペルソナ、共感マップ、カスタマージャーニーマップ、様々なUXデザインの「ツール」とされるものは、私にはとても新鮮で、これを実務で使いたい、きっとうまくいくはずだ、だってスマートシティは「利用者目線」が大前提なのだから…
でもやってみると、うまくはいかない。
スマートシティ関連では、利用者目線を謳うために、よく市民を巻き込んだアイデアソンをする。私自身も企画に携わった経験もある。その場ではなんとなくアウトプットができて、「なんかうまくいった感じ」になる。でも実装されなかったり、ビジネスにつながらない。講義でもあったけれども、お金を稼がない仕事は会社から嫌われるし、軽んじられる。
利用者目線のサービスデザイン、あるべきビジョンを描くことをビジネスのスタートにすることは間違っていないはずなのに、なぜかうまくいかない。
そうこうしているうちに、社内や社外の声の大きい人に事業の方向が定まっていく。なんとかしたいけれども、反論するツールもストーリーもバックボーンもない。そして、有無を言わせないアウトプットが作れる人間は強い、という感覚もあった。だったら、デザイン思考をちゃんと学んで、誰にも文句を言わせない、美しくわかりやすいサービスデザインを描ける人間になってやろうじゃないの、そう思った。それはイチから学びなおすしかないんだろう。
多分いまの自分は、UXデザインツールを「お試し体験」しただけで、「経験」はしていないんだ、と講義を受けてから腹落ちした。ローコンテクストの重要性もやはりと思った。
ちゃんと武装して戦いたい。戦えるようになりたい。その動機を改めて思った。

ブートキャンプの講義で印象的だったこと

パーパスは他者評価であること、新規事業はゼロベースで考えてはいけない、ということ。講義終了後のリフレクションにも書いたけれども目から鱗だった。停滞している現状を脱しようとすればするほど、過去の経緯や現状は「さておき」、魅力的で共感を得られるビジョンを「パーパス」として、「ゼロベース」で構築しようとしがちだ。だけれども、他者評価であるならば、これまでの経緯で答えは出ていることになる。「パーパス」のとらえ方を仕切り直さなくてはいけない。
「プラットフォームが魅力的ならば、事業は勝手に拡大していく」というのも、ここ数年ITプラットフォームビジネスに関わっている人間としては耳が痛い。日本全国あちこちで、中途半端なプラットフォームが実証されては頓挫している現状。当社も例に漏れない。だとしたら、何が足りない?何が欠けている?答えはまだ出ない。

さいごに

Xデザイン学校に入学を検討する前は、美大の通信教育課程も検討していた。そっちも魅力的だったが、スクーリング日程が厳しかった。
私には今、5歳の娘と1歳の息子がいる。息子はこの春から保育園に通いだしたばかり。
夫には、月1回半日、オンラインでスクーリングをしようと思う、だからその日だけは子どもをよろしく、と伝えていたが、あいにくブートキャンプ当日は田植えとバッティング。仕方なしに子連れで実家に里帰りしたが、前日から息子は園でお腹の風邪をもらってしまったようだった。
講義に集中しつつも、頭のすみっこには息子のお腹加減。
娘は娘で仮面ライダーのバスボムをやりたくて「お風呂まだー」と定期的に襖の向こうから声がする。雑談がどうなるのか気になったけれど、我先にと退室してしまった。
こんな状況で入学を決めたのは無謀だったかなと思うけれども、人は持てる装備でしか戦えないのだし、この状況だから気づくこともあるだろう。
何より、学びたいときが学ぶべきときなのだと信じることにする。
(結局、講義内容と息子の看病に向き合ってバタバタ、やっと落ち着いて書いている)



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