もやもや

これまでの講義を通していちばん、もやもやした日だったと思う。何がどうもやもやなのか、書きながら整理してみようかと思う。

作曲者と編曲者の話

私は吹奏楽部出身で、社会人になってからゴスペルサークルに入っていたこともあるので、作曲者と編曲者の仕事の違いは理解しているつもりだった。(先生からは、その辺話せそうに見えなかったんだな…という気づきはありつつ)
ただ、今回のような切り口で考えたことはなかったので、改めて考えてみると、作曲は「アート思考」で、編曲は「デザイン思考」だと思った。
美しい音楽を0から生み出すのは、まさに芸術だけれども、それをコンサートホールでオーケストラでやるのか、ジャズトリオでバーでやるのか、Youtubeでデジタル配信するのか、その場面場面で、一番曲が映えて、プレイヤーが満足できる構成を考えるプロセスが編曲だ。そう思うと、美しいビジョンをどうやってやっていくかを考えるのが、サービスデザインのプロセス、そうするとやっぱりプレイヤーの得意分野だとか組み合わせを考えるのが、肝だという気がした。
昔聞いたことがあるのは、ピアノから音楽に入った人とギターから音楽に入った人とでは、アレンジに癖が出るそうで、ピアノで弾きやすいコード展開、ギターで弾きやすいコード展開に寄ってしまうらしい。
ギターの感覚でベース譜を書いたら「こんなのできねぇよ!」とベーシストが怒った、という話も聞いたことがある。アセット、それも本質的な部分をちゃんと見れてるかどうか、ということが大事なんではないか。

ビジネスのそろばんと、パッと見の目的は違う

音声読み上げソフトの話が心に残った。目が見えない人のためのものではない、文字が読めないことでスマホを使えなかった人の市場が開拓できる、という点。そろばんがはじけないと美しさを謳うこともできない。
2015年に北陸新幹線が開業して、北陸出身の民としては、開業の必要性を長年訴えていた元知事たちがテープカットをしているのを見て感慨深いものがあったが、その後、日本政策投資銀行勤めの友人に「北陸新幹線は北陸の人のためのものじゃないよ。群馬とか栃木とか、北関東圏の人の関西方面移動ルートを複数確保するため。」とばっさり言われて、「北陸」新幹線なのに、となかなかに衝撃だった。
スケールするかどうか、のポイントがないと、「じゃあ投資」にはつながらない。そこはやっぱりそうなのだ。

サービスの価値も概念化した上で理解しないといけない

この会社は〇屋だ、と言えるセンスの話を講義で聞いたけれども、それはスケールのポイントなんだろうと思った。
自分のチームの成果物をまず考えなければいけないと思うが、今回何気にいちばんショックだったのは、他チームへの先生のフィードバック「なんでそんな小さいところに絞るの」だったように思う。
私は業務で、「子育て支援につながるサービス」の企画をお客さんから依頼されることがある。でも、社内で必ず出るのが、子育て世代向けサービスは広がらない、なんでそんなことに困るのかわからない。それを思い出した。
じゃあ、マイノリティの困りごとはやっぱりビジネスとして解決しようとかはできないのか、とか、お金を引っ張ってもらうには何の要素がいるのか、とか、しばらく思考停止するぐらいには悲しかったのだけど、一晩経ってから、いやそうじゃなくて、困りごとが意味することや、本質的な価値をつきつめていけば、スケールするポイントや納得するシナリオは描けるのかもしれないと思った。思い出したのは一人目の産休中のことである。
私が一人目の子どもを産んだ後に味わったのは、お母さんとしての困りごとというより、「急に一人で自由に動けなくなった悲しみ」とか「何者でもなくなって、尊重されなくなった」弱者としての自己肯定感の低下、に集約される。あの頃、車いす生活の人やお店とかで理不尽にキレるおじいちゃんの気持ちが少しだけわかった。立場が違っても、経験を通して感じる感情に似たものを感じたからだ。
自分1人だったら気にならなかった歩道の幅や凹凸が、ベビーカーだとものすごく歩きにくい道だったり、ちょっとしたドアも一人では開けて通れなくて、誰かの善意を受けるたびに、ありがたいけどちょっとみじめになる感じとか、会社の肩書も何もない状態で人に会うと、なぜか「相手は何も知らない人」として雑に扱われているように思う感じとか
今回見てたペルソナの中でも、いちばん「わかる」と思ったのは、高齢者のターゲットの妻、の気持ちで、「頼んで買ってきてもらうのではなく、自分で買いに行きたいんだ」というところだ。だから、ペルソナは属性じゃなくて体験の集合体というところは、すごく肚に落ちる。
それから、やっぱり今回の課題においては、トヨタなりトヨタコネクティッドがやる事業なのだから、会社の規模を考えた上での規模というのは大事な要素の一つで、それはビジョンとか以前の「なぜ我々が」というところだ。
ユーザー視点で考えると、トヨタならそれくらいお金出せるでしょう、と言いたくなるけれども、そこはむしろ逆なのだろう。トヨタだからこそ、トヨタがお金を出す意味を考えて、一番意義があるところに投資しなくてはいけない。慈善事業じゃない。ビジネスだから。
とはいえ、マネタイズを考えるのは本当に苦手だ。頭が痛い。

おまけ・便利はお金を払う理由にはならないけど不可逆

一か月ほど前に、夫が車で事故った。幸い単独の物損で済んだのだけど、車は全損になり、しばらく代車生活だった。が、
・代車はETCが使えない
・バックモニタがついてない
・iPodが接続できない
何度か高速道路に乗る必要があったのだけど、ETCが無いってこんなに不便だったかと思った。バックモニタにしても、車を買ったばかりのころは、むしろバックモニタをほとんど見ていなかったのが、いざ無くなると
駐車場が怖くてしょうがなかった。
人は便利にはお金を払わないはわかるが、同時に手にした便利は不可逆だとも思った。なんとか無事に新しい車も来たので、ここ1か月のドタバタもやっと落ち着きそうだ。

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