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うれしかったこと

年度末にもなると、来年度の人事が発表される。
2月末、3月の早い段階でも、だれがどこに異動するのかは、
大体わかっている。もちろん管理職が、だが。
事情がある先生方は早いうちに校長室に一人ずつ呼ばれ、
もしくは、自主的に行って、人事について話をしている。
さも、当たり前のように書いたが、実は最近までこのような話をしているだなんて気にもしていないかった。異動と留任は必ず書く。もう何年も同じ学校にいるので、ここ最近は異動を書いていたのだが、何年生を持ちたいとか、そういうことは一切書いたことがない。人事の話を平(ひら)の勤め人がするだなんて、私の中では考えがなかったから。なぜかというと、私が希望を言っても、今のコンフォートゾーンのままだから、新しさが少ないのでないだろうか、と思うのだ。
だから希望学年については校長一任ということを私はよくしていた。それで、これまでも新たな経験、学びをさせてもらってきたし、新たな視点を得てきた。
しかし、2月の春らしい風を感じた日の放課後、
校長室に人事の話で呼ばれたのだ。

私は今いる学校がどの先生よりも実は長いから、そろそろ異動かと思っていた。
「Witty先生、今年は異動かな。」
というような話に職場の先生となる。
昨年度末の教頭先生にも「来年一年やって、それで異動だと思っておいて」と言われたし、今年新たに代わってきた教頭先生にも「今年が最後かな〜」と言われた。
今思えば、今の教頭先生の言葉は、
私へのメッセージ、というか、学校現状の大変さで、
頼れる人がおらず、腹括るゾという意味合いで私に宣言し、ご自分に言ったのだろうと思う。
この教頭先生は結構言葉にいろんな意味を含めてくる。
読書家の先生で話がとても面白い。
話がそれてしまった。

実は校長室に呼ばれる前にいろいろと違和感が
私のまわりであった。
同じ学年をもったご年配の担任A先生が私に
「 Wittyさんは今年異動されるでしょうね。長い間お疲れ様でした。」
と年度はじめにもかかわらず、お疲れ様と丁寧につけてくださりながらも、私の異動を明らかなものとして言われていた。
2学期末になって急に風向きが変わった。
「いきなり新しく来た先生に任せるには荷の思いクラスがいくつもありますね。」
「あのクラス、来年度担任の持ち手がいないですよね。どうするのでしょうか。」
「もしかしたら、誰か残るのかもしれませんよ。私たちの中で誰か。」
と言われ始めた。それは大変だなと思うだけで、心の中では
私は決して残留ではないだろうと思っていた。多分A先生かなと。
A先生はごく普通の女性の方だ。ごく普通に子供と関われるし、子供のペースが分かるから子供に無理させない。しかし、モラル、倫理観もあるので、ここは外してはめちゃくちゃになるというツボを知っている。許すだけでなく、厳しさも兼ね備えている。口だけでなく行動できる。声が大きい。加えて笑いのセンスも上品下品の分別ももたれ、見事な隙をついて、好感ある笑いを提供してくださる。まさに大変なクラスでもぴったりのプロの方なのだ。大変なクラスの子らは親、先生、大人に対して不信感を抱いている。だからこそ、A先生はうってつけなのだ。

しかし、こういった私の分析と予想を覆す、衝撃の話を聞くことになった。

A先生が校長先生に直談判されたというのだ。
12月勤務終了後、星空が綺麗な夜。駐車場でA先生本人から聞いた。
校長先生に「今年転勤させてください。転勤できないなら辞職します。」
と言っていたそうだ。
「だから、Witty先生。あとはよろしくお願いしますね。」と
茶目っけある笑いとともに言われたので、
私は「またまたーそれはないと思いますよぉ。」と返した。
A先生は笑っておられた。

A先生の直談判の理由は明白だった。A先生邸が学区のすぐ隣なのだ。
しかも、けっこうやんちゃしている子らが住んでいる地区の横。
迂闊に散歩していたら、学校の子供たちと出会ってしまい、
住みにくくなったという。
それからはよく利用していたお店も何軒も行けなくなったと言われていた。
利用しているスーパーも変更したという。
A先生は今年度代わってきたばかりの先生。
今年度になって相当気をすり減らしての生活になっていたのだ。
確かに5月、コロナでたおれられ、
体調すぐれない日々があった。
プライベートと仕事をはっきりと分けられるし、
自分が安心して生活できるように一生懸命になっておられた。
それは人として当然のことだと思う。
仕事はプロだったA先生。
プライベートで不安を抱えながらも、今年一年、勤め上げられた。
だからこそ、わかる理由だった。
否定なんて、私にできるものか。

実はもう一人同じ学年を持っているB先生がいた。
この先生は今年講師2年目で、採用試験に合格。
来年度は異動がほぼ確実。
私だって、実は去年異動のはずだったが、様々な事情で残留させられ、
今年はラストになると言われていた。
さて、誰が残るのだろう?いよいよわからない。
ということで、これ以上深く考えることはしていなかった。
学年で一人は必ず残すという決まりもないし、もしかしたら3人とも異動の可能性だってある。
そんなことで、特に気にも留めず、日々を過ごした。
しかし、私の予想は2度も外れることとなる。

冬休みの時。職員室でいつも通り来年度の人事の話をしていた折、不意に
A先生が「来年の○年生はWittyさんにもってもらって」
と言われたのだ。耳を疑った。続けて
「え、持ち手がいないでしょ。色々出られるそうですよ。そうじゃないと。だれが持ちます?」
鳥肌が立ってしまった。言葉を失った私に少し間を空けて
「でも、嬉しくないですか。持てると思われているって」
とおっしゃってくださった。確かに嬉しい。認められたっていうことは。
ただ、今は浸っている場合じゃない。それ以上のショックが私の心の中を満たしていた。

さて、だいぶ話が横道にそれてしまったのだが、
このようなことがあったので、2月にもかかわらず、春らしさを感じた日の放課後に呼ばれることはなんとなく予期していたことではあった。
そこでは校長としてはWittyに留任を希望しているということをお話された。
そして留任を教育委員会に申し出ることも話された。
その承諾を得たいとのことだった。
異動異動と言われてきた私。今年、異動を希望として出していた。
校長先生の潔さを感じ、承諾した。私にはこういうところがある。
潔しと思う人には助力したくなる。

承諾し、校長室を出た後、急に腹の中がモヤモヤしてきた。
体が「このままではいけない」と危険信号を発信しだしたのだ。
「今年のような構えで学級経営をしていたら、身の危険がある」
と解釈した。反面、「留任が決定ではない。教育委員会の最終判断がある。私を長くいすぎだろうという考えもあるはずだ。長くいすぎるからその悪影響も自分にも、学校にもあるだろうということも考えられる。」そういう気休めの異動説を後押しする考えも頭に浮かんできた。
帰宅すると、ネット通販Amazonで学級経営や、学習規律、授業づくり、そういった教育書を検索し、購入している自分がいた・・・皮肉なことに、留任説の方が有力だという証拠を自分で作っていった。

学級が大変だったクラスというのは二度もったことがある。
その時はとても大変だった。クラスが大変になるには原因がある。
とある本には教師が原因だと言い切られている。その本は教師の指導技術を高めるための書籍であったので、書籍を読んでいる自分はそんな教師ではないと、
変なモチベーションを高めるための一文だったのかもしれない。しかし、ともすれば虚飾の安心感、プライドをつくってしまう危うさがある一文でもある。まあ、さておき、その原因論は否定はしない。
そうしないと指導技術を磨かない教師で溢れるだろうから。大変さを示すのは、現状の課題を見せてくれていることなのだ。
例えば、
作業指示のわかりにくさ
説明のわかりにくさ。
教師の大切にしていることのわかりにくさ
自分たちのことをわかってくれていることのわかりにくさ

そんなことが子供の心が離れていく原因がある。
どれも、準備、研磨が必要なものばかりである。
だから、準備がとても必要なのだ。
しかし、4月の準備では追いつかないところがたくさんあった。
昔は若さと元氣で乗り越えた。
しかし、今はそれだけでは立ちいかないこともあることを知った。
今から準備をしておかないと、

今担任しているクラスがあるにもかかわらず、来年度のことに
気がむいている自分に「不義理なやつだ。お前はそれでいいのか?」
という心の声が聞こえてきた。
しかし、私は聞こえないふりをして本を読み、昔大変お世話になった先輩に新年度の準備について聞き、学級開きの準備を着々と進めてきていた。
段取りが大切だ。しかし、この腹の底のモヤはなんだろう。
一向に晴れない。
準備しても準備してもモヤは腹の底に溜まったまま危険信号を発し続けている。

昨日、晴れた日の卒業式。卒業生たちが学校を去り、
片付けもひと段落した段でも祝賀の雰囲気があった。
ただ私だけは少し違った。緊張の中にいた。
隣の席にいたA先生に「実はこんな日に言うのもなんなんですけど、今、緊張感がすごく強いのです。」と言った。言うだけで全てを察したA先生だった。「まあ!先生!どうして?」と驚きながら問うてくださった。私はここ最近の休日の過ごし方を話した。「そんな、先生。今年やったようにやればいいじゃないですか」「先生、大丈夫」と言ってくださった。加えて「今度の休みの日はお子さんと遊んで」「ご自分のやりたいことしてリラックスして」「本ばかり読まず」とも言ってくださった。「先生なら大丈夫」とも。「今年もっているあの子達、とても幸せそうじゃないですか」と嬉しい言葉もいただいた。
「今年のままでいい」
言葉のまま受け取ると、多くの誤解を生む。とくに技術面で今年のまま、はよろしくない。研磨しないといけない。教員は研修と修養が必要だ。ただ、私が受け取ったメッセージは技術の話ではなかった。それは意識、心の持ち方。
子どもを思う心があれば大丈夫。真剣に向き合っているのならば大丈夫。それが先生は今年一年できていたよ。来年度もその真剣さをもっていれば大丈夫。と。A先生は技術は不問とする。しかし、一生懸命かは問われていたような気がする。一生懸命さは前に出てくるものだ。前に出てくるものは錬磨される。結局一生懸命にやっていると何かにぶつかっても、その場で動かないという選択は取らない。自然と必要な本は読むだろうし、技術も目の前のことに合わせて上げなくてはいけないことがあることを知り、錬磨する。

この言葉をいただいて、腹のモヤがぬけていった。
言葉は魔法だとはよく言い表している。
その体験をもっていないと、その言葉は身にしみない。子供達もそうだろう。
私は私で一生懸命やっているのだ。そんな自分を大いに受け入れよう。
人と比べている場合じゃない。
とにかく一生懸命やるのだ。
そういう思いがあるじゃないか。

今日は春分の日。朝から吹雪いていたが、今は日の光が差し込み、
雪解けの水光る瓦が目にはいる。
うっすらと溶け切らない雪もあるようだが、
あたたかな日差しに次第にとけゆこう。
私の心を表している。
これが情景描写。
A先生、ありがとうございます。
一生懸命やりますよ。

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