夜明け2

今はもう朝ですが、夜明け の続きのお話しとして、
ざっと児劇のミュージカルでの歌の歌詞を書いていきます。

私の手にあるこのスプーン
世界の不思議を この手の中に
集めて固めた ようなもの
本当はあまり やりたくないが
君らの ために やりましょう
(タップダンス)


お月様
あなたのある夜は
あたたかい風と
静かなメロディ
透き通る
風をおくる


そうわたくしは月
いつもみんなの引き立て役
〇〇〇〇
〇〇〇〇
私を魔女がホウキで横切る
嫌だ嫌だ もう嫌だ


足元だけを見るのはやめた
そうさ ずっと今を みよう
今旅に 出ようよ


毎日 毎日
変わらない毎日
おんなじ学校
おんなじ塾で
(そりゃあそうさ)
学校行く道 帰る道
いつもの先生 お勉強
もう退屈だ

毎日毎日
変わらない毎日
おんなじ会社 おんなじお仕事
(そりゃあそうさ)
仕事に行く道 帰る道
いつもの上役 コンピューター
もう退屈だ


〇〇〇〇
〇〇〇〇
眠れぬ夜にいだかれて
ヒュッと吹くのは夜の風
ここはシティ ロストシティ


今となればあのミュージカルはモモへのオマージュ作品だったんだな。と分かるんですが、
子どもがやるにしてはなんか小難しい話しだなぁと思っていました。
クロノスとか、時間が盗まれるとか、日常が嫌とか。
高学年になってモモの映画をビデオで見て、あー、あれはこれだったのかー、大まかな設定が丸パクリじゃないかー。なんだよー。
と思ったのでした。うん。
原作を読まれて、シナリオを書かれたのなら素敵だなと思ったのだけど、今調べたら前年度にしっかり日本で映画、公開されてますね。きっと大流行してたんでしょう。

おそらく脚本を書かれたであろう演劇の先生、強風オマージュでしたがとても良い先生でした。
パッと見は長髪で髭も長くて怪しい感じでしたが、そうそう、本当に麻原彰晃に見た目がそっくりでした。いつも楽な服装(練習着)だったし。
のちにオウムがニュースになった時に、びっくりして、お年がもっと上の方なんですけどね。
夏の合宿では、最年少の私ともう1人の子を車でスーパーまで連れて行って、アイスを買って、みんなには内緒だぞ。と食べさせてくれたり、他のみんなは特訓で怒られたと思っていたらしい。
何か映像作品をみんなで見ていて、音声が出なかった時は、
お前達、バカだなぁ、こういう時こそこうやるんだよ!と、
あてずっぽうで先生がアフレコしだしたり。
これも合宿中、自称子役の成人なさったお姉さんが、お風呂上がりに着替え忘れたー!と、バスタオルを巻いて走っていくと、焦ってバカもーん!!と怒鳴ったり。(子どもには刺激が強かった)
ミュージカルチケットの手売りでは、これをお友達に売ったら500円自分でもらえるんだよ。親には内緒だよ。と言われて頑張ってたのに、親はちゃんと知っていたり。

いつも楽しげな雰囲気をまとっていて、とても素敵な先生でした。

稽古は歌が最初に出来てきて、カセットテープと歌詞を渡されて、家で練習だったんですが、金属音のメロディ(鉄琴?)のみで、歌詞をのせるのに苦労した思い出。
その後台本が出来てきてやっとセリフ練習が始まり、本番まで結構タイトだった覚えがあります。
先生台本に苦心したんでしょうね。

歌の作曲をされた方はアルファベット3文字で先生から呼ばれていて、それが活動名(芸名)のようで、みんなも同じように呼んで良いよー。と言って下さっていたのですが、とてもじゃないけど申し訳なくて呼べなかったです。先生よりもお年を召していて、年齢に関しての自虐のようなアルファベット3文字さんでした。
その方への、テレビの取材が来ている事もあって劇団も少しだけ映っていました。

前年度から劇団にいて、出番も多く私の1才上の子役の子がいたのですが、その子は男の子の役で上手だしずっとすごいなー、緊張して喋ってみたくても喋れないなー、と遠巻きにみてたんですが、合宿でお風呂へ入る時になって、女の子だと分かってとてもびっくりした、という事がありました。春から夏の合宿まで、結構な期間会ってたのに、思い込みって怖いですね。
あんまり驚くのもその子に失礼だし、とにかくごまかして、いや、それだけ演技がうまいって事(これは本当)とかなんとか言って、一緒に湯船に浸かったなー。とっても気さくで面白い子で、それからは気楽に話せるようになった。
その子だけ飛び抜けて演技もダンスも上手くて、1人プロみたいな子でした。

劇団は次の年、海外公演が決まっていて、次年度に残れるのは先生が残す子達だけという事で、
私達姉妹は残念ながら残れなかったのです。
私はお芝居をとても続けたかった。
次の年も、海外公演は楽しそう、うちの家計で行けるのか?とか、色々思ったりしたけど、それ抜きで演劇が楽しくてまたやりたかった。最年少だから色々拙くて許されている部分があっただろうけど来年はもっと出来ると思っていた。
そんな感じで、結果を聞いた時は本当に残念でした。
が、親に結果を伝えた時、私以上に残念そうで、何かあきらめた様な吹っ切れた様な、そんな感じの表情を今思うとですがしていた様な、していなかった様な。

その一年後私は親元を離れて暮らし、3つ目の小学校へと通う事になり、小学校卒業前に両親は離婚し、17才の時に親と再び暮らす事になったのですが、それはまた別の機会にでも。

後半少し駆け足で情報を詰め込んでしまったけど、今は師走という事でお後がよろしいようで(良くない)


お読み頂きありがとうございます。
いつか自分と演劇についてどこかで書いてみたいなと思っていて、乱文失礼致しました。
全てお目通し頂いたあなたにbig hugを。


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