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雲はわき

ニュースを見ていたはずなのに、いつの間にか甲子園大会の開会式が始まった。

高校野球はオリンピックに輪をかけて興味がないのだが、パソコンに向かいながらテレビをつけているという状況で、ついチャンネルを変えるタイミングを逸した。
怠惰な話である。
まぁ、こんなものにタイミングも何もないのだが、とにかくだらだら視聴していたら、お決まりの入場行進になった。

高校生の入場行進というのは、時々滑稽なことになる。
なぜなら、そもそもかなりの生徒が、「真面目な」行進というのをしたことがないからだ。
ここでいう「真面目」というのは、手足の動きを合わせる、すなわち軍隊式の行進のことである。

昭和の時代と違って、今やオリンピック開会式だって、足並みを揃えての行進なんぞやらない。
閉会式に至っては、もうスマホなんかで自撮りしながら、わらわらと入ってくるのが最近のスタイルだ。
同様に学校の運動会、体育祭もだいぶカジュアルになってきていて、その上、近年の猛暑対策で運動会での長々した行進などどんどん廃止されていているのである。
件の生徒たちにしても、ろくに行進などしたことはないのではないか。

ところが本邦の国体と甲子園大会だけは、頑なに昔ながらの軍隊式行進を踏襲し続けている。

というわけで、下手すると生まれて初めて隊列を組まされた高校生の中には、この行進のリズムに対応できずに、なんだかぎこちなくないステップを踏んでしまう子が散見されることになるわけだ。

野球は上手いが、リズム感の悪い高校球児だっているはずだし、全国中継のカメラの前で舞い上がってしまっても不思議ではない。
誰か失敗してしまうのではないか、いつの間にかそんな意地悪な視線で、テレビを眺めていた。


さて、今年は南からの入場、九州の学校から入ってくる。

案の定、足こそ揃っているが、なんとなく気持ち悪いリズムを刻む学校もあったが、それでも(少なくとも画面には)ダブルステップをふむ球児はいない。

まぁよかった(何目線だろう)。
ただ気づいたのは、どうも行進の指導というのは、学校ごと別々にやっているようで、各校に歩き方の個性があるということである。

たとえば関西の学校は、拳をしっかり握って手の甲を上に向け、腕を胸の上まで振り上げるスタイルが多い。
これをやると、慣れていない生徒たちはそれに気がいって、足の動きがぎこちなくなる傾向があるようで、途中まで入ってくる学校すべて、なにか不穏な動きをしていて、見ていておおいに不安であった。

ところが神奈川、東京あたりにくると、急に腕の振りが小さくなり、リラックスした感じになる。
拳も握らないで、自然にしている。
どうやら東日本は全体に腕は大きく上げないスタイルだ。
一校だけ手を広げて甲を外側に向ける、敬礼スタイルの学校があったが、とにかくも手の振りに気を使わない分、足の運びはだいぶ自然だったように思う。

全体を見て、慶應義塾高校のいかにもKEIOボーイといった垢抜けて力の抜けた行進と、花巻東の慣れてますよと言わんばかりの、そつない入場が目についた。


何やら行進評論家のような文章になった。

小学生の時、体育の時間に運動会の練習をさせられていたら、たまたまグラウンドにいた教頭先生に行進の指導を受けたことがある。

教え方がうまかったのか、我々の足並みはみるみる揃い、そのうち「 ザッザッザッ」と小気味良い足音が聞こえてきた。
初めての経験で、不思議に心が高揚したのを覚えている。

今思えば、あれは軍靴の音である。
教頭先生も、考えてみれば戦地に行った年代であったはずだ。
あの頃は全くわからなかったが、当時は銃を持って戦った経験のある人間が、市井の人としてそこら中に生活していたのだ。

そんなわけで、高校球児は行進などうまくなくともいい。
いや、行進などやめてしまえ。


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