お隣
現住所には中学生の時から50年近く住んでいる。
ここはいわゆる実家である。
建て売りだったが、当地にくる前はずっと公団団地に住んでいたから、まぁ、手垢のついた言い方をすれば、両親が苦労して手に入れた夢のマイホームというわけだ。
独身の一時期や、結婚してからの数年、実家から離れて暮らしたこともあったのだが、なんだかんだでここに戻ってきた。
建物は後に私が新しくして、もう建て替えてからの方が長くなっている。
元々は、多少のタイムラグはありつつも、郊外の広大な田んぼだったところを少しずつ埋め立て、そのたびに3戸、5戸と家が建った場所だった。
なのでこの辺り全てが、そういった建売住宅を購入して転居して来た世帯で、途中で住人が入れ替わったり、建物を建て替えたりと、各戸いろいろあったけれど、この50年はほぼそのまま、近辺のコミュニテーの歴史だといえよう。
さて、お隣さんとはその初めから一緒だった。
ここらに最初に建った3軒のうちの2軒だ。
隣のお母さんとは、顔を合わせば必ず挨拶したし、たまに立ち話もした。
私の母親の介護の時期には、気を遣って町内会の仕事を代わってくれたこともあったし、施設に入ったときには「最近姿を見ないけれど、お母さんはお元気?」と声をかけてももらった。
しかし客観的に見て、深い近所付き合いがあったとは言い難い。
この辺りにみんな50年住んでいるけれど、実はお互い何をしている人なのか詳しくは知らないし、家族構成なども外から見かける以上の情報はない。
中には詮索好きの世帯もあるやもしれないが、少なくともうちでは、同じ町内会という以上の付き合いがある家はないし、概ね他所もそんな感じで、極々ドライに暮らしているのである。
だから多分、ある時期から朝決まった時間に出勤せずに、家にいることも多くなった自分などは、何をしている人間か訝しく思われているかのもしれない。
お隣さんのことも、うちの妹と歳の近い兄妹がいることとか、お父さんは現業系の仕事をしているようだとか、その程度のことしかわからなかった。
前述のように細々とした接点はあったけれど、町内会の同じ班15軒のうちの1軒としての付き合いしかなかったのである。
それが、この間たまたま回覧板が回って来たタイミングで、娘さんと立ち話になり、お母さんが亡くなっていたことを知った。
先々月のことだそうだ。
最近だいぶ痩せて来ていたことは知っていた。
それでも、時々は植木の世話などをしている姿は見かけていたのだが、2年前から癌だったのだという。
こんな時回ってくる、ご近所の不幸を知らせる回覧もなかったし、今時忌中の紙を貼ったり、通夜を自宅でやるような地域でもない。
本当に何も知らないうちに、彼女は現世から退場していた。
ああ、結局私はこの方の下の名前も知らなかった。
そう思うと、喪失感のような、そんなに大袈裟なものではないけれど、ある種の寂しさを感じて、自分でも少し意外であった。
ただいつもいたはずの隣人がいなくなったというだけのことではあるが、確かに50年間、彼女はお隣で暮らし、人生を紡いでおられたのだ。
いつも自宅の前に花を欠かさない人であった。
どうぞ安らかに眠られんことを。