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ポルトガル旅行記

(以下2004年の文章です)

そもそもなんでポルトガルを訪ねようと思ったのか、もうすっかり忘れてしまいましたが、とにかく何年か前、私たち夫婦は、このユーラシア大陸をはさんで、日本から一番遠くにある国を旅行したのでした。

どこの国にも、そして都市にも、まず第一に浮かぶ観光の目玉というのはあるものです。

たとえば、パリには凱旋門やエッフェル塔、サンフランシスコなら金門橋てなぐあいで、どこそこに行こう、ということになれば、じゃ○○は見なくちゃね。なんていう会話になるわけです。

じゃ、ポルトガルだと何だろうか?
例によって、観光の基本はしっかり押さえておきたい妻が、何としても行きたいと主張したのは、有名なロカ岬です。

実は有名な、というほど知られてはいないのですが、このロカ岬はポルトガルの西の端、つまりはヨーロッパの最西端にあり、その昔、ガリレオやコロンブスの時代の人にとっては、まさに地の果 てだったところです。

確かにこの世の果てといわれれば、それは見ておく価値もあるのでしょうが、今や地球は丸いなんてのは、私の6歳の甥っ子だって知ってるわけです。
とっくの昔に地のはてなんてものは消滅していることだし、だったら、ただの岬を見てもしょうがないだろうと、正直私はあまり興味を持てずにいました。

しかし、ポルトガルに来たからには、ここに来ないのは、千葉に来て犬吠埼に来ないのと同じようなものらしく(どう同じなんだか・・)、そんなことで妻とバトルするのも疲れるので、とりあえず行ってみるべえと・・(わたし長いものには巻かれます)

というわけで、大した期待もなく、ロカ岬は、旅程に組み込まれました。


さて、このロカ岬、リスボンから電車とバスで2時間くらい(だったかな?)とにかく結構な田舎です。

路線バスがつくと、大体乗客の80%位がわらわらと降りて、おおっ、ここはやっぱり観光地なのだと、再認識するのですが、そのうち50パーセントは日本人で、これは、ポルトガル全体の観光客に占める日本人率が、多めに見積もっても10%以下であることを考えあわせると、じつに驚くべきことなのでした。

ふっ、やっぱ日本人はミーハーだぜ。と、いつものように自分のことは棚に上げて、ぶつぶつつぶやく私なのでありますが、
とにかくここまできたら、まずは岬の先端へ行こうと、けっこう急な道を上りました。

そしてそこで景色に見入ったのです。

眼前に広がる鉛色の大西洋、荒涼とした岩、吹きすさぶ風。
これがなかなか、いい味を出しておりまして、確かに「ここに地終わり、海始まる」の言葉どおりなのでした。なるほどぉ、だてに観光名所やってないな。風と波のごーっという音に身を任せながら、しばし物思いに耽った私でありました。

§


さて、ユーラシア大陸の西の端。ロカ岬についた私達夫婦は、予想外の荒涼とした風景に、なるほどこれは地の果 てかもしれない、いにしえの人々も、ここで様々の思いに沈黙したに違いないと、柄にもなく感傷に浸っていたのでありました。

と、その時でありました。わたくし思わず目をこすりました。あれーぇ・・。


確かここって大陸で一番西の端なんだよな?ここから西はアメリカまで大陸はないわけだよな?・・するとあの左手に突き出してる岬は何だ?
あれはどう見てもここより西にあるよな?・・おい、どういうことだ、話が違うじゃないかよ・・。

私の錯覚で無ければ、これはどう考えても詐欺であります。
あわててガイドブックを引っぱりだし、岬の地図を広げると、あーら不思議、確かにロカ岬のそばに、ちょこっと突き出す別 の岬があります・・ 思わずへたり込む私でありました。


後日よーく調べたところ、ロカ岬というのは、どうやら「人間の立ち入れる最西端」らしいのです。
確かにあのもうひとつの岬は、先まで木に覆われていて、人は入れそうになかったけれど・・・。

そんなのやっぱりダメだろうと、憤りをかくせない私でありました。


そんなわけで、どうにも割り切れない思いの私でしたが、誰に怒りをぶつけるわけにもいかず、その上せっかくの風景も、15分も眺めていればいいかげん飽きてしまいます。

ちなみに田舎の路線バスは一時間に一本で、後はどうにも間が持たない時間が残ったのでありました。
気がつけば、冬の大西洋から吹き付ける風に、からだが凍てつきます。
私達は崖っぷちから引き上げ、さてどうしたものかと思案しました。

ここには 一応土産物屋が一軒あるのですが、たいしたものがおいてあるはずもなく、仕方なくインフォメーションの方で発行している、「最西端到達証明書」というものに、名前を記入してもらい、それなりの金額を払って購入致しました。

この正しくは「人が歩いていける最西端到達証明書」は、今も我が家の居間の壁に、それらしく額装されてかかっています。
なんだかいかさまの学位証明書みたいで、どうにも情けないのですが、見てくれだけはけっこう立派で、それがまた悲しいのです。


こうして、それまで私のなかでは、出島にカステラをもたらした国、程度の認識だったポルトガルは、じつはなかなかに、あなどりがたい国であることが明らかになったのであります。


余談ですが、翌日訪れたリスボン市内の河畔に、発見の碑というのがありました。
これはエンリケ航海王(だったかな?)の時代に、世界に進出したポルトガル人が発見したという国々を、年ごとに記した記念碑です。
それによると我が日本も1543年に彼等に発見されてしまっていたのでした。


ポルトガルますます侮り難し。


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