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立ち読み

本屋に行くのが億劫になってきた。

当地にはSという老舗の書店があって、街道沿いに構えたその本店は、地上4階、地下1階の堂々とした建物である。
わたしの学生の頃には、ギャラリーや喫茶コーナーも併設しつつ、その広大なスペースが全て本で埋まっていた。
一時は文具や画材まで取り扱っていて、そういえばわたしが油絵の道具を一通り揃えたのも、この店だったと思う。

とにかく昔から、ここにいけば新刊から専門書、洋書までなんでも揃う、この辺りのちょっとした文化発信拠点だったのだ。

中学生時代はここの地下にあった文庫本の棚で立ち読みしながら、最低1時間くらいは過ごして、面白そうな小説などを買って帰るのが常だった。

当時は今ほど平置きの棚はなくて、背表紙がずらっと、ただただ並んでいるという陳列で、当然立ち読みも、気になったタイトルを引き抜いては冒頭を読み込む、というスタイルだった。

ましてや中学生なので、ジャンルを揃えるとか、作家を追いかけるというよう系統立てた読書をせず、本当に一期一会の行き当たりばったりで出会った本を探していたように思う。

結果、星新一みたいないかにも中学生好みの作品も読んだが、「江分利満氏の優雅な生活」とか、なんでそんなものを選んだんだろうというような作品も多かった。

三つ子の魂百までという。
そんなわけで、今でも本屋には、この本が欲しい、という目的を持った訪問はしない。
常に、何か面白そうな本はないかな、という野次馬根性で立ち寄るのである。

                   

しかしここ最近、その立ち読みが辛くなってきた。
原因は明らかである。

老眼だ。

なんといっても背表紙を見るのが辛くなってしまった。
もちろん老眼鏡を用意しているのだが、遠近両用メガネで、並んだ背表紙を端から見ていくというのは、思いのほか難易度の高い行為なのだ。

遠近両用レンズというのは、メガネの下半分に老眼用の度が入っており、さらにその老眼エリアの下の方に行けば行くほど度が強くなる。
なので棚の上の方の本と、下の方の本、視線を変えるだけではうまくピントが合わない。
いちいち頭を動かして、レンズの中の一番ピントの合う部分にうまく視界を設定しなければならない。

これが結構なストレスなのである。
完全にピントが合わずとも、根性で読めなくもないが、それでなくとも背表紙の文字は小さい。
最近は本を引き出す前に目が疲れてしまうようになった。

                   

ここまで書いて、文庫本ではなくて、新刊の単行本ならば、そこまで苦労しないのではないかということに思いあった。
何しろ本が大きい分、字もでかい。

いやしかしなんだ。
立ち読みといったらやっぱり文庫本だよなぁ。

わたしは長年慣れ親しんだ「立ち読み」から卒業を迫られているのだろうか?


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