見出し画像

お茶屋と煙草屋

実家はお茶屋さんだった。
お茶屋といっても待合とか喫茶とかではなくて、純然たる煎茶を売る店、茶舗である。

これは母親が、何か商売がしたいという長年の夢を叶えた店で、本屋か花屋かお茶屋という三択から選んだものだ。

なんでもこの3業種は、母の中で「きれいな商売」として認知されていて、「きれい」であればどれでも良かったという、いささか乱暴な話であった。

が、いざ始めようといろいろ調べてみると、どうも本屋は初期投資額が大きく、花屋は素人が参入するにはいささか専門知識が難しかったらしい。
たまたま、父親の親戚筋に九州で茶畑を営んでいる人があって、これが決定打になった。

開店はわたしが中学に上がる年で、もちろん当初からがっつり店番などさせられたのだが、確かにただ売るだけなら、それほどの専門知識はいらないなぁ、と思ったものだ。

すぐに目分量で100g 200gと袋詰めできるようになり、あとは贈答品用に包装紙できれいに包むこと、コーヒー豆を挽くこと、レジ打ちなどを覚えた。

そういえば、嗜好品繋がりで、店の一角では煙草も販売していた。
お茶屋に煙草は葉っぱ同士で相性がいいというのを、母がどこかから聞き込んできたのである。

煙草の種類は無闇にあったが、中学生くらいの脳みそはさほど苦もなく、全ての銘柄と値段を覚えてしまった。
当時ショートピース50円 ハイライト70円 セブンスター100円であったと思う。
キャメルとか、ラッキーストライクなんていう洋もくも扱ったが、こちらは高いからかあまり売れなかった。

日本製の煙草もその後、結構な頻度で値上げを繰り返し、セブンスターが120円、150円、200円と上がるくらいまでは店番をしていたのだが、自分が高校に入学すると、それなりに忙しくなってもう値段を覚えることをやめてしまった。

ところで煙草屋は、半径100mだか200m以内には一軒以上作ってはならぬという規制があって、このおかげで後年、うちのすぐそばにできたコンビニでは煙草を売ることができないでいた。
この狭い範囲の煙草販売は我が家で独占していたのだ。

あるときコンビニの店長が、長い巻尺を片手にうちの店の前まで距離を測りにきて、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを忘れない。

このお茶屋兼煙草屋は、母親に認知症の兆候が出るまで40数年続いた。
最後の方は煙草の方の実入りが大きくなって、販売面積も増えたけれど、お茶と煙草でどっちの売り上げがよかったのかは聞いたことがない。

あと今となっては、煙草の販売が母の中できれいな商売だったかもわからないままとなった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?