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ドラマ2本

今期のドラマでは「すべて忘れてしまうから」が良い。
最初のうちは、なんかつかみどころがないなと思っていたのだが、話が進むにつれて、これは現代人のコミュニケーション不全の話ではないのかと思うようになった。
出てくる人出てくる人、どこか不器用でズレているのだが、そのことに本人たちは気づいているのかいないのか、わりと無茶苦茶なストーリーが、淡々と進むおかしさがある。

主演の阿部寛と尾野真千子の組み合わせも、周りを固める役者の一癖ある感じも、なかなか気に入っている作品だ。
毎回最後に、ゲストアーティストとしてミュージシャンが一曲歌う演出も洒落ていて、今風とは違うかもしれないが、今のドラマだなと思う。

一方、今朝はたまたまケーブルテレビで50年前のホームドラマを見た。
名作「気になる嫁さん」
石立鉄男全盛期の一本である。
彼の作品は「気まぐれ天使」の悠木千帆(樹木希林)とか「パパと呼ばないで」の杉田かおるなど、共演者にも曲者が多いのだが、これはヒロイン榊原るみの可愛いさで、子供心に記憶に残っていたドラマだ。

こちらはもう、高度成長の昭和期バリバリのいわゆる、今では「不穏当なセリフ」と「不適切な描写」のオンパレードである。
「気違い」を連発し、女性には当たり前のように茶を入れさせ、食費も入れずに開き直った挙句、死んだ弟の嫁を「借金のかた」と言い放って、悪気はなかったで許されてしまう展開。
なかなかのものである。

で、思ったことなのだが、しかしこの無茶苦茶な展開の中に、コミュニケーション不全はないのだ。

言いたいことを言って、泣いたり怒鳴ったりして、伝わることは伝わるし、伝わらないことは徹頭徹尾伝わらない。
ただ、伝わっていないことは、きちんと理解されているし、そこに齟齬はない。
わかりやすいのである。

令和風と昭和風
お互いを気遣う気持ちはありつつ、相手に伝わらず、自分でもよくわからないのと、無茶苦茶をいいつつ、気持だけは伝わっているのと、どちらがいいのか、それはわからない。
ただ50年の時間を経て、我々は随分と遠くまで来たように思う。



だがこれはドラマだ。
現実はさほど相手を気遣いもせず、気持ちも伝わっていないよなぁ。


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