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わたしの伯父さん

亡母には3つくらい年上の兄がいて、私が子どものころの夏休みには、よくこの伯父の家に遊びに行って可愛がってもらったものだが、母が亡くなって2週間足らずで後を追うように鬼籍に入った。

香典が埼玉と山形を行ったり来たりする慌ただしい状況だったが、仲が良かった兄妹だったから、連れて行ったとか、ついて行ったとか、まあ、親戚一同思ったわけである。

ところで伯父にはひとつ借りがあったのである。

遠い昔の美大時代、芝居にのめり込んで、とうとう黒テントよろしく、手作り巨大テントを大学の裏山に建てて、素人興行を打った際のことだ。

照明に必要な電気を学内の配電盤からかすめてくる(バレバレだったけど)という荒業に出た我々を、電気工事業を生業にしていた彼が助けてくれた、というか、盗電の片棒を担がせたことがあったのだ。

日当いくらだせるんだと聞かれて、できるだけお安くとしかいえなかった我々は、結局タダで工事してもらって、さすがにそれでは悪かろうと、一升瓶さげてお礼にいったのだが、それも自分たちで呑んでしまった。

その後も、私は八王子から軽トラで作品を運んでもらったり、いろいろしてもらったが、そういえば、みんなありがとうございます。の一言で済ませていた。

なんとなく親戚なんてそんなもんだろうと思っていたが、大した世間知らずであったものだ。

今となってはお礼も言えないが、自分が死んだら一升瓶さげて訪ねていきたいと思う。

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