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老害考

貸アトリエで一緒のOくんが、ちょっと聞いてくださいよと話しかけてきた。
なんでも教えている絵画教室で、生徒さんから理不尽なクレームを受けたとのことで、大変に憤っている。

詳細を聞くと、確かに彼に非があるとは思えない。
百歩譲って、クレームを入れた方の気持ちも理解できなくはないが、大人ならそこは我慢して、黙っているだろうといった内容だった。

だからOくんも愚痴を言いたいだけだったのだろうが、話しているうちにだんだんエキサイトしてきてしまった。

「まったく、ああいうのを老害っていうんですよ」
「本当に年寄りというのはしょうもない」
「60以上はみんな滅べばいいのです」

おいおい、君が今話している相手をいくつだと思っているのだ?

喉まで出かかった言葉を飲み込んでいたら、さすがにOくん冷静になって、「あっタグチさんは違いますよ」と慌ててフォローする。

                       

こちらは高齢者の側にいるのだから、やはり「老害」という言葉には、多少の反発はある。

若い奴らにだって、相当失礼で困った奴はいて、ではそういう人間が未熟ゆえの「若害」などと呼ばれるかといえば、そんなことはない。
もちろんそれは端的にいって、老害と呼ばれるのが「権力を持った人たち」だからなのだが、ならばなおさら、うだつの上がらない自分まで、60以上なんて一括りにされたらたまらないのだ。

世の中には、「権力を持たない普通の老人」もたくさんいる。

まぁせいぜいジジイ、ババアあつかいまでは甘受するが、十把一絡げで害なす者というレッテルは酷いじゃないかといいたいわけだ。

                       

もちろんどんな人間も、歳と共に視野は狭くなるし、頑固になるし、思考は硬直する。

わたしも、老人になれば、劣化していくのは避けられないと思っている。(というか、すでに劣化して久しい)

ただ、常にそのことに自覚的でありたい。

本人が自覚さえしていれば、身を引くにも、耳従うにも、いやいや思い切り現状に抗うとしても、そんなに無様なことにはならないのではないか。

個人的には、無理して物分かりが良くなろうなどとはこれっぽっちも考えないし、老人は老人らしくしっかり周りに迷惑をかけてやろうと目論んでいるが、せいぜい可愛げのあるジジイでいたいものだ。

                       

てな話をOくんにもできれば良かったのだが、結局「まぁ穏便に」程度のことしか言えず、歳をとっても自分の器量などこの程度のものだ。




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