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「教会/エクレシア」とは?エペソ1:23日本語の翻訳比較


「教会」は、ギリシャ語の「エクレシア」の訳語。
どうやら漢文聖書の文字をそのまま流用したご様子で、本来の意味からズレている。

「エク(外へ)」と、「レシア(呼ぶ)」という言葉から、「呼び集められた人々」、「集会」、「会衆」を意味する。
本来は、古代ギリシャ都市国家における「市民集会」を指す言葉。

日本語の「教会」の漢字にある「教え」という意味はありません。


そこで、エペソ人への手紙1:23の「教会/エクレシア」について。

まずは英語訳の文と、そのDeepL翻訳を比較してみます。

【KJB】
Which is his body, the fulness of him that filleth all in all.
それは彼の体であり、すべてを満たす者の充満である。

【NKJV】
which is His body, the fullness of Him who fills all in all.
それは、御身の体であり、すべてを満たす御身の充満である。

【TEV】
The church is Christ's body, the completion of him who himself completes all things everywhere.
教会は、キリストの体であり、キリストご自身がすべてのものをくまなく完成される方の完成体です。

【Hebraic Roots Bible】
which is His body: the fullness of the One filling all things and everything;
これは、彼の体であり、万物とすべてを満たす方の充満である


次に、日本語訳の聖書。

【新改訳2017】
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。

【新共同訳】
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

【協共訳】
教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。

お気づきになられていることでしょう。
日本語訳には「ところ」また「場」といった言葉が、付け加えられています。

教会⇒十字架が屋根にある建物、といった印象。
箱モノ宗教に誘導する意図がある?
そのような翻訳です。



良心的な翻訳としては

【口語訳】
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

【新和訳】
エクレシア(漢字表記は「教会」)はキリストの体であり、万のものを、万のものの内に満たしめ給う方の充ち満つるものである。

【エターナル訳/TR】
教会は彼の体であり、すべてのものの内にすべてのものを満たしておられる方の満ちているものです。

【田川訳】
教会は彼の身体であり、一切を一切において満たしている方(=神)が満ちるものなのである。


満ちているもの、満ちるもの、といった翻訳がされています。


さて、エペソ人への手紙5章を見ると

エペソ人への手紙(私編)
5:23
キリストが「教会/エクレシア」の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。
5:29ー30
これまで、誰もわが身を憎んだ者はいません。
かえって、キリストが「教会/エクレシア」になさったように、わが身を養い、いたわるものです。
私たちはキリストの体の一部、骨であり肉なのです。


キリストは頭であり、教会/エクレシアは体である、とされています。
ということは、おのずとそれは「ひとつ」であるということです。


ですので

【岩波訳】
この教会はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。

【回復訳】
この召会は、キリストのからだであり、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。


キリストの充満!キリストの豊満!

これが適切な翻訳でしょう。
実に素敵です。


エペソ1:23の「教会/エクレシア」とは、「ところ」や「場」ではありません。

それは「キリストの充満」です。

つまり、キリストそのもの!


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