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歴史と文化~保守の観点から美しい日本の歴史と文化を語る~

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歴史を保守の観点から紹介し考察。※洋楽等は『エンタメ』専用マガジンに移動しました。
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記事一覧

信長と秀吉が示したもう1つの武士道

武士道とは何か?これを話し始めると、人により色々な表現が出てくるだろう。ただ誰でも真っ先に思い浮かびそうな言葉は『武士道とは死ぬことと見つけたり』ではないだろうか? これは、江戸時代中期に書かれた書物で、肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基が筆録し、まとめた本、『葉隠れ』からの引用だ。『生命の危険や死への覚悟を持ち、戦闘や義務を果たす覚悟が重要』という意味と言われている。 しかし、信長と秀吉が示した武士道は、少し異なる。 まず、織田信長

日本と欧米だけで高度な文化が発達した訳~二重基準の存在が運命を分けた~

大分昔にXでポストした内容と被るかもしれないが、今回は、日本人が絶対に知っておくべき、このテーマを改めて詳しく語りたい。 世界を見渡して、高度な文化が発展した地域は日本と欧米しかない。 なぜなのか? 大きな理由の1つは、社会の安定だ。 民度と言っても良い。 ならば、なぜ日本と欧米だけで社会が安定したのか? ここが重要なポイントである。

『床の間』の精神性~世界的に稀有な家庭内アートスペース~

日本人の美意識を語るうえで『床の間』の存在は外せない。 日本人にしてみれば、昔から家の中にある場所で、そこには花や掛け軸がかけられているだけの『場所』にすぎないと考えてしまいがちだが、今回は、この床の間について掘り下げて語りたい。 この世界にも稀で、画期的で誇るべきスペースとは?

明治維新の真実~ロスチャイルド家陰謀説と坂本龍馬無能論を論破する!~

明治維新の頃から日本は欧米の傀儡政権だったという説がある。イギリスは薩長を支援し、フランスは幕府を支援したとか、坂本龍馬は、グラバー商会のグラバーに操られていたとか、グラバーはロスチャイルドの手先だとか、幕府はフランス系ロスチャイルドの手先で、薩長はイギリス系ロスチャイルドの手先だとか色々な説がある。この中には一部正しいと思われる事は確かにあるのだが、これらの説の多くを論破してみたいと思う。

縄文時代の重要ポイント~縄文土器・土偶・弥生への移行~

今回はリクエストのあった縄文時代に関して語りたい。 縄文時代も語ると長いので、今回は縄文の重要ポイントであり、日本人の根源に関わる『縄文土器』『土偶』『弥生への移行』の3つのポイントに絞って語りたい。他のポイントは、別の機会に語りたい。 一般的に1万数千年前から紀元前300~400年前まで続いたのが縄文時代と言われているが、この縄文時代こそ日本人の根源にあたる時代だと確信している。縄文時代の以前の石器時代においても日本の磨製石器は世界最古であり、既に石器時代から創造性に溢れ、

お雇い外国人~今の外国人労働者と一緒にすんな!~

江戸時代という長い安定期は日本文化を大きく開花させたが、科学面では少し後れを取った。科学の発展は常に戦争と一体だったから、戦争のない江戸時代には科学に力を入れる理由が無かったからだ。しかし、アヘン戦争等、中国の情勢には常に目を光らせており、欧米列強の脅威を多くの武士は感じとっていた。それが明治維新につながるのだが、明治政府は、遅れを取り戻すべく『お雇い外国人』を雇った。 その数は諸説あり、国内の資料で確認できる範囲では3000人。 海外の資料によると8000人という説もある。

鹿島神宮の謎~高天原はここにあった~

日本の歴史学会は資料偏重主義がまかり通っていて、文字として記載がないものは史実と認めない。しかも主に古事記・日本書紀に限定しており、その他の古文書は信用できないとレッテルを貼っている。 一方で、なぜか中国の古文書は尊重するらしく、易姓革命が繰り返され、新しい王朝を正当化するために書かれた歴史書をありがたがる。これも中国は正しいと信じたい左翼的流れをくむ風潮である事はあまり知られていない。だから戦前は、魏志倭人伝は、それほど尊重されておらず、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼も今ほど重

古代白人到来説~ナマハゲと赤髪と蕨手刀~

たまには歴史ものを。 日本は島国のため日本に流れ着いた人は定住する以外に術がなかった。最近のDNA解析からも分かる通り、日本人は他のアジア人よりも複雑なDNAである事が分かっている。特に私は東北には白人系の血が入っているのではと考えている。きっかけは秋田美人だったw。秋田美人に限らず東北には色白の人が多い。そんな他愛もない事から始まった仮説だったが、調べていく内に、その名残を表すものがあるので紹介したい。これはジョークではない。結構、本気で論じている。 ナマハゲ 秋田県男鹿

新時代の日本史コラム

徒然なるままに、日本の歴史や伝統文化に関わる事を語ってみた。だから、歴代順に並んでいる訳ではない。思いつくままに並べたものだが、そこには一貫して流れる日本らしさがある。それを感じ取っていただければ幸いだ。 X(旧:twitter)で公開した物に言葉を加え、再編集しなおした。 約8000字という割と大き目なコンテンツができあがったと思う。 知的好奇心こそ最上のエンターテイメントだ。 異なる角度や視点から、日本を、日本史を、日本の伝統文化を改めて見てみたい。そんな願いをタイトルに

飴の発祥は日本!?~日本書紀に隠された謎を解け!~

戦争ネタが多い今日この頃ですが、たまに歴史・文化ネタを。日本書紀や古事記を感性を鋭く保ちながら読んでいくと、意外と多くのヒントが隠されていると感じている。今回の話題も、そんな感性から導き出した1つの推測です。たかが飴、されど飴です。昔の物は、なんでも中国から来たと言う発想を捨てる1つのキッカケになりうると私は考えている。 日本で最初に飴(水飴)を作ったのは神武天皇だったと日本書紀には書かれている。神武天皇は『我、今まさに八十平瓮(やそひらか=たくさんの平らな皿)をもちて、水

天照大神・卑弥呼・邪馬台国の新説~前方後円墳の形の新説も~

魏志倭人伝は歴史委資料に値しない。だから魏志倭人伝を無視し、つまり卑弥呼や邪馬台国を無視し素直に古事記、日本書紀を読むと日本の古代史は見えてくるのだ。そもそも古事記や日本書紀に記載のない卑弥呼や邪馬台国は、日本の様々な時代の伝承を寄せ集めにしただけのものでと考え、素直に古事記、日本書紀を読ばよいのだ。もちろん卑弥呼や邪馬台国が別の時代の何かを指している可能性はある。それは別途提示する。そして、記紀を素直に読み、動かぬ証拠である史跡や遺跡をヒントにして考えていけばよい。 すると

天照大神・卑弥呼・邪馬台国の新説2

前回の説明の通りに解釈すると辻褄が合うものが多いのだ。 2900年前の富士山噴火に天照大神が巻き込まれたのが天岩戸隠れであり、天照大神の御遺体は見つかるはずもなく、だからこそ富士山自体が天照大神の墓となった。だから、天照大神を祀る伊勢神宮は、奈良に近く、西日本で富士山がかろうじて見える場所に建てられた。奈良からは富士山は見えないのだ。伊勢神宮は天照大神の神社であるがゆえに、墓である富士山が見える所に建てる必要があったのだ。 伊勢神宮がなぜ三重県に建てられたかと言う謎も、私の説