見出し画像

賢さに固執する理由

母は8年前に亡くなった。
小学校5,6年辺りに夏休みの自由研究で「脳腫瘍」をテーマに書いた。
「もっとずっと賢い人間だったらいいのにな」
苦しかったのは当事者なのだから、娘である私が不幸みたいに言うのは変だろう。
ひたすら無知で、知るには遅すぎたのがいけないのだから。
「私は地元の高校なんて行かない!ここの排ガスや空気も嫌だ!お母さんの母校に行って、故郷に住みたい!」そう駄々をこねて、病気の後遺症で仕事の収入も減っていた母に無理させて、まともなプランも考えずに引っ越した。

なんか文章に起こすと、本当にバカだなと思えてくる。だから、それ以上書く気分になれなくて、「凪」のごとく過ぎた嵐だと思うようにしてるのだ。

でも、たとえ故郷に住めなくても、牧歌的で自給自足しながら悠々自適に過ごしたいという漠然とした気持ちは今も変わっていない。もちろん、これからの情勢において悠々自適なんて生ぬるい考えだろうが、酪農を営んできた実家の話を幼少の頃から聞いてきて、それを一度も体験せずに終わるのはちょっと惜しいかな。

タイトルの「賢さに固執する理由」だけど、前述した通り母のことに起因してるのだと思う。
すでに別の記事でも何回か話題に出してしまってるけど、世間一般の母親とは似ても似つかなかった。雰囲気があまりにも違いすぎた。ミステリアスというか、一般的に言われる高知能らしくINTJやENTJのステレオタイプに近いイメージだ。気が強くて、フェミニストにすら見えるかもしれない。実際、母は特に尖った思想を持っているわけでもなく、好きな有名人やテレビの話題をよくする普通の人だったけど、愚痴を言ったりメソメソしたりヒステリー的に叱ることもなく、その厳しい雰囲気とは対照的に愛情的だった。教育ママとも正反対。

得体の知れないオーラを発していて、黒くてフォーマルな服をよく着ていて、英文学に嵌っていたせいか自称「魔女」だったのだけど私は400歳くらい生きてたのだと半分信じてた。私は学校でも陰で目立たなかったから、そんな母に劣等感を覚え、憧れていたのである。
社交能力は0で、休み時間に友達と遊ぶことができず、運動神経も最悪だったため、とにかく何かしら趣味や特技を身に着けなければと焦るようになった。

ここで私の生育環境について淡々と述べていく。

父は私が幼い頃に持病の精神疾患をこじらせて入院してしまい、その後離婚したが私が2歳になる前に蒸発した。

私は母と叔父と暮らしていたが、叔父は例えるならちびまる子ちゃんの友蔵だった。一度も怒ったことはないし、外食や遊びに連れてってくれるし(むしろ「連れて行かれた」のほうが正しい気が)、いつでも味方になってくれる甘やかし担当だ。
学校では常に緊張してダメダメだったけど、家では結構ぬくぬくしていた。思えば叔父も仕事の話題や世間話を全くしない人だった。

でも中学に上る前に叔父は亡くなった。
そしたら3ヶ月後くらいに飼っていた愛犬まで、どうやら頭を土のくぼんだところに突っ込んで亡くなってたらしく、その姿を見ることはなかった。甘やかしてくれた叔父がいなくなって絶望したのだろうか。
でも、叔父が亡くなった原因はずっと心筋梗塞などによる病死だと思ってた。生活習慣病になりそうな体型だったから。
本当は自殺で、長い付き合いの彼女と別れたことが原因だった。彼女はヘビースモーカーで、肺の手術を行った後に関係が悪化したらしい。叔父はサラリーマンだったが、酒にめっぽう弱いのに退社後に飲んでしまったのがトリガーとなって、公園の木の上でネクタイを締めて首を吊った。

あの時は一週間くらいずっと家に戻ってこなかったから、出張にしては随分長すぎると不安になった。そんなことをする人には全く思えなかったけど、本当のことを聞かされたのは母が亡くなる1ヶ月前だった。

事実上天涯孤独となったが、運良く保護者と呼べる人に拾われ、発達障害のことで色々文句も言われたけど、今は田舎で穏やかに引きこもりライフを楽しんでいる。

でも、こういった話題を書いてるときにも全く感情がなくて困る。アウトプットしたのは初めてかも知れない。
この記事で何を伝えたかったのだろうと思い返した時、私は世間一般とはどこか浮いてる人としか付き合ったことがなく、学歴でも、知能指数でも、スペックの高さ云々でもなく、周囲に影響されにくい「知性」を好むということだった。ちょっとした変人では物足りないのだ。

母はよく「上には上がいる」と言っていた。だから個人の体験談なんて取るに足りない話だし、わざわざ自分が上であるように主張するのはおこがましい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?