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佐野元春『おれは最低』~アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』より

1989年6月リリースの佐野元春さんの6枚めのアルバムである
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』。


1989年。
日本では昭和天皇の崩御、世界的にも天安門事件やベルリンの壁の崩壊等大きな出来事が次々と押し寄せる程激動の年でした。

前年の1988年8月、佐野さんは世界で原子力事故が発生した地名(固有名詞)を歌詞に取り入れたシングル
『警告どおり計画どおり』
をリリースします。

この原子力行政の反発ともいうべきプロテスト・ソングを発表した後すぐにロンドンに渡りUKのパブロック・バンドであるブリンズレー・シュワルツのメンバーやエルヴィス・コステロのバンド、ジ・アトラクションズのドラマーであるピート・トーマスらとレコーディング・セッションをし、日本では自らのバンド、ザ・ハートランドのメンバーと録音した曲で構成されたアルバムが
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』
です。

アルバムの中には非常に抽象的なため分かりづらい表現もありますが、アムネスティ・インターナショナルの概念である「良心の囚人」とよばれた人々の解放について描かれた『雨の日のバタフライ』や、長き植民地時代の歴史や先住民文化である情熱的なダンスが象徴的で当時ニューリベラリズムの実験による経済的破綻をもたらす(数年後日本もバブル崩壊)等、政権の混乱が生じた国名をタイトルにした『ボリビア~野性的で冴えてる連中』など社会的かつ政治的なナンバーが収録されています。
この時期の佐野さんは自身でもクレイジーだった、とおっしゃっています。


私はアルバムを聴く前にアルバム・ジャケットの裏面に記載されたタイトルをざっと眺めどんな曲なんだろう、といろいろ想像することがあるのですが、その中に一つだけ私が「えっ?何?」と興味を持った曲のタイトルが
『おれは最低』
でした。


アルバムのリリース当時、私は大学生になったばかりでした。
通学途中にちょうど電車が橋を渡る時、川の流れを眺めながら先行シングル曲『約束の橋』を聴いて新生活の不安な気持ちを奮い立たせていたのを思い出します。
十代、二十代はアルバムの中でも疾走感のある『約束の橋』、表題曲『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』やコステロを思わせる軽快なアップテンポの『ジュジュ』、日本の美を歌った叙情的なラブソング『雪~あぁ世界は美しい』が好きでした。


しかし年を重ねるにつれ、複雑な業務や人間関係で疲労困憊する程社会の中に身を置き心身ともに余裕がなくなると、今まで特にお気に入りでもヘビーローテーションで聴いていたわけでもなかった『おれは最低』という曲がぐるぐると私の頭に流れ込み、歌詞が非常に共感出来ることに気づいたのです。


ある晴れた日  嘘をついた
働く気も起こらない

すべては腐り続けたまま
何も変わらない
変わらない

おれは最低
おれは最低



私自身ビジネスの場面で応急措置として故意に自分の過ちを誤魔化す、ということがありました。とはいえ自身や取引先が甚大な損害を被るわけではなくビジネスではよくありがちともいえる失態と言えなくもありません。しかし、良くないことは十分承知であり自信を失いかなりのダメージを受けました。
そんな時、この『おれは最低』がふいに頭の中で流れてきたのです。



自殺か祈りか奇跡か 
迷い込む

愛されてる  突如知る
泣きそうだぜ  嬉しかった

おれは最低
おれは最低



「自分が他人から“愛されてる”と感じること」は普段の生活ではなかなか難しいのではないかと思います。しいて言えば自分の誕生日や◯◯記念日、結婚・出産や入学・卒業式等お祝いされる日くらいでしょうか。
この曲の中の“おれ”は今まで気にもしていなかった、あるいは自分が愛されていると思ったことがなかったのに何かのきっかけで自分が“愛されてる”と初めて(あるいは久しぶりに)知った、そして嬉しいという感情を意識したのでしょう。



仲のいいわかりあえる友達の
ふりしてただけさ

途方も無くくだらない街の聖者
気取っていただけさ

おれは最低
おれは最低



最後のフレーズでようやく胸の奥底に隠していたであろう“おれ”の本音が明かされる、という感じでしょうか。
その本音を“おれ”と仲がいいと思い込んでいたであろう友達や、“おれ”を聖者のように拝み、信用していた街の人々を対象に直接“白状”しているではなく、あくまでも“独白”として心の奥底で叫んでいるのではないか?と私には思えます。

こうして歌詞だけをみると非常に内省的かつ自己否定的な“病みソング”に思えます。
初めてこの曲を聴いてから30年以上経ちますが今思い返すと私には何故かユーモラスな人生観が漂う曲に思えて仕方がないのです。


その理由はかつて私が目にした『おれは最低』における佐野さんのライブパフォーマンスが影響しているからかもしれません。


それは歌詞の「おれは最低」のフレーズ前の長めのブレイク間でのパフォーマンス。
シャウトと同時に一回転しスタンドマイクから離れた後、手の甲で額の汗を拭うジェスチャーをしてからゆっくりとスタンド・マイクに近づきマイクの前まで来るとエンジニア・ブーツを履いた足で1,2,3,4とカウントを取り再びシャウトで演奏が開始。
おれは最低、と叫んだ後手首の裏で頭を叩くポーズ。


非常にシリアスでありながらどこかユーモラス。
それは自分で自分のことを“最低”であると自虐的になりながらもその姿を滑稽なピエロのように“道化師”として体現しているからではないでしょうか。


リリース時佐野さんが渡辺美里さんパーソナリティーのラジオ番組にゲストとして出演した際、「佐野さんがこういう曲を歌うのがすごく意外でした」と美里さんが感想を述べたことに対し「あー、そう?」と佐野さんの方が意外そうにしていた記憶があります。
佐野さん自身はいつもと視点を変えたという意識はなかったのでしょう。

当時の佐野さんは中堅といえるキャリアでしたが既にジャパニーズ・ロックの最前線にいて美里さんら当時の若手アーティストからもカリスマ的存在であった「佐野元春」のイメージと少しかけ離れていたからかもしれません。

実は当時私も美里さんと同じ感想を持っていました。
しかしこの曲が『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録されていたお陰で今までの“都会的でスタイリッシュな孤高のアーティスト”という佐野さんのパブリックイメージが、自分と同じ惨めで情けないところもある、”生身の人間”であることを認識し、非常に人間臭さを感じさせたのです。

最後の3番の歌詞に表現された
“途方も無くくだらない街の聖者気取っていただけさ”
という部分が
“人々を代弁して街の風景や心情を歌う、ヒーローのようなアーティストであるかのように振る舞っていた”佐野さんの自虐的な表現なのでは?と(勝手ながら)私には思えるのです。


当時このアルバムはセールス的に周りが予想していたよりあまり芳しくなかったと聞いたことがあります。
『SOMEDAY』で一躍人気に火がついたあと『NoDamage』で「佐野元春ブーム」を巻き起こし『VISITORS』で賛否両論であっても幅広い評価を得て『カフェ・ボヘミア』で不動のカリスマ性を得た後、世間では一時の熱狂さは落ち着いたように思えました。

しかし佐野元春をよく知らない人にどんなアーティストなのか?と聞かれたった一枚だけアルバムを選べと問われたならば、私であればこの『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』を推奨すると思います。
国外のミュージシャンと実際にセッションしながら曲を生み出し自身のバンドの音をも追求し続け、日本の「和」を取り入れたり世界及び社会に向けたメッセージや非常に個人的なラブソングを歌うことができるアーティストであることをこのアルバムが証明しているからなのです。



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