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みんな大好きマッチングアプリ

等とタイトルにしてみると、「んなことねーわ。こちとらしょうがなくやってるの!」というお怒りのお声がどこからともなくやってくる気がする。気の所為ではなく、近々本当に言われんだろうな、という確信がある。

 「執着」を広く捉えて「好き」と言い換えるなら、やっぱりみんなアプリを「好んで」使用しているだろうと思う。
だって5分に1回は誰もが羨むような素敵な誰かからのいいねを心待ちにして必死にアプリ確認してるんでしょ?

え?私ですか?
恋人は居ませんが、アプリはやってません。
やったこともないし、これから使う予定も無いです。
どうも。「会いに行けない凡人」、私です。

スレッズで反響があった私の一言に、
「マッチングアプリなんてやらない。
私の魅力がそんなもんで伝わるはずがない」
というのがあった。
コメント欄には男女共に「カッコいい!」というお褒めの言葉が並び踊っていた。有り難い。

ただ、書いた当の本人は何だか不思議な気持ちにつままれていた。
「当然のこととして書いた」からである。

アプリで出会い、恋人という関係を築きあげることが如何に難しいかは、ツイッターに死屍累々の呟きが溢れ返っていることからも想像に難くない。
たまーに成功例が混じっているが、「宝くじ当たったんだな」という気持ちで眺めている。腕まくりをしてアップを始める気にはさらさらならない。

とてもイヤな言い方だけど、マッチングアプリとは出会いを提供するのではなく、ただ「期待感を持たせるだけのファンタジー溢れる装置」だと思っている。
一攫千金を狙うゴールドラッシュ。
私の住まう世界とは違い過ぎて、まるで遠い星の出来事のようだ。

前の記事にも書いたように、「期待感」とはかくも怪しげな意識である。
付け込む為に上手く作られた「落とし穴」のようなものだと思う。
そこに大勢の人がこぞって群がり、あまつさえ人生でそうそうないビッグイベントの「結婚」まで漕ぎ着けようとするのはちょっと鼻息が荒すぎる。

世の中、タイパだのコスパだの持て囃されているのに、こんなに遠回りなやり方が重宝されていることに矛盾しか感じない。
私なら若く体力がある時にマッチングアプリごときで人生を無駄にすることの方が耐えられない。

というと。
来たるべき次の質問は実はもう読めている。

「じゃあ、何処で出会うんですか?」

これである。
スレッズでも実生活でも本当によく聞かれた。
逆にアプリしかないと思っているの?と半ば呆れてしまう。
随分、視野狭窄じゃない??

私は将棋をやるので「道場に行ったら?」とスレッズで返答した。
質問してきた女性はバカにされたと思ったらしく、「ワタシ、出会い求めてるオジサンじゃないです!女です!!」と何だかよく解らぬ主張をしてきた。
だから何だと言うのか。私は誰であろうと同じ回答しかしない。
何故なら本気で言ってるからだ。
切磋琢磨出来る良いパートナーが出来そうなんだが。

考えただけで方法はいくつか思いつく。
結婚相談所、習い事、読書会、バーに行く、知り合いのツテ。
でも、私は知っている。
「カネが無い」等と難癖をつけた結果、みんなアプリに帰結するということを。
安い出会いの、安い関係。
クレイジーケンバンドもそう歌っているから、まぁ良いんじゃないでしょうか。

私なら、バーへ行く。
酒が飲めなくてもどうにかなるし、カネが無くても数千円あれば断られることはない。
先ずは人間そのもの、「実物をじっくり見たい」。
そしてもっと言うと、「その人の目を見て話がしたい」。
イケメンかどうか気にするのは、相手をひとりの人間としてきちんと見ようとしていないからだ。
大体、アプリで先ず目に付くのは「写真」であろう。
特別イケメン好きでない私でも、一番最初に知るデータが写真ならば、騙される自信しかない。
なお、イケメンと付き合いたかったら向こうから言い寄られない限り、ムリだと思います。「選ばれる」とはそういうことです。

ちなみに、もし私が万が一アプリをやるとしたら、「ナンパ師」のツイッターを先ずは参考にする。
ヤリモクは手口をひけらかしたいバカが多いので、術中を公開していることが多い。
とある人は「会話成り立ってないけどイケた」と言ってて驚いた。
カワイイとか褒めるだけでイケる女のコがいるらしい。
ということは、裏を返せば「知性がある女」は嫌いだろう。
試しにそういう男には、どういうジャンルのどういう本を最近読んだのか質問して、説明させてみたら良い。
きっと答えられないはずである。
(何故なら彼等はアプリしかしてないから)

やはり、アプリなんかで時間を無駄にするなら、本の一冊でも読んでいたい。
浅田次郎はこう言った。
「面白い本というのは、良い女が家で待っているようなものだ」。
期待した結果、きちんとそこに応えてくれるものが私は大好きです。

つまんないイケメンと実体のない期待感を携えながら思惑通りに行かずイライラして毎日暮らすよりも、静かに一人で何にも期待せずに暮らしたい。

それなら叶わぬ想いを貴方に抱き続けて生きたとしても、神様だってきっと許して下さることでしょう。

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