「社会人」という言葉について考える「1、「社会人」の裏に潜むもの」


前書き

皆さんこんにちは。
さて、私の最初の記事にもある通り、私はこの「社会人」という言葉が嫌いです。
理由といえばいくつかありますが、まずもって気持ち悪いからです。
ですが私は、この自分が感じる「気持ち悪い」を一言で説明することがうまくできません。この「一言で説明できない」も気持ち悪さに拍車をかけています。
なのでこの私の抱く「気持ち悪さ」の定義と正体を探り、不快感の解消と私と同じく「社会人」という言葉に気持ち悪さを感じる同志の助けとなるべく、「社会人」という言葉を研究し、その記録を残したいと考えました。
そうして思いついたのがこの記事です。
この「「社会人」という言葉について考える」は一つの記事にするにはテーマが大きいと感じたため、マガジン形式で月一回程度の更新とさせていただきます。
長い長い読み物になると思いますが、お付き合いいただければ幸いです。

注意


当記事はいわゆる社会不適合者が、独自の視点で見た物事を、同じような人々と共有しようと考えたため作成されています。
「こんなくだらないことをかんがえてるなんて馬鹿な奴だ。」と思ったりした方はそもそも当記事をお読みいただく必要もありませんし、こんなくだらないことにすら答えも出せない癖に、自己の価値観でしかない「まとも」を信奉し、思考停止しているにも関わらずそれを人に押し付ける方に向けて書いてはおりませんので、速やかにブラウザバック等していただきますようよろしくお願いいたします。


ー社会人ー

この一見何の変哲もないようなこの言葉。
有名な話かもしれませんが、辞書で意味を引いても、具体的には何も定義されていません。
実際にネットで意味を調べても、「1,実社会で活動する人 2,社会の一員としての人」としかありません。

けれども私たちは、この「社会人」という単語にたくさんの意味を持たせている場合があります。

例えば、
「学生時代を終え、就職し働いている人」
「成人し親の保護を離れた人」
など、主に学生と労働者を区別する、または親の保護下を離れた人を指すこともあります。

別の視点で見てみましょう。
皆さんはこんな会話をしたり聞いたりしたことはありませんか?
1「社会人にもなって」
2「社会人として」

皆さんこの文字列から何を想像しましたか?

私の体感では
1の文字列からは「社会人にもなって情けない」や、「社会人にもなって恥ずかしい」など、社会人という言葉がある種の階級や人生のステージの意味を持って使われ、そこにいるにもかかわらず「あなたはなっていない」という否定をするさまを想像しました。

2の文字列からは新入社員や卒業間際の学生が、何らかの集会(入社式や卒業式)において、日本名物でありますところの「遺憾」のように毎回発せられる名セリフ「社会人としてこうなりたい」や「社会人としてまだまだですが」というような、これまた「社会人」という言葉に1と似た意味を持たせて自身を「達していない」として否定している様を想像しました。

どちらの例にしても最終的に何かを否定しているのはわたしの性格とバックグラウンドが絡んでいるのでともかく、「社会人」という言葉をどこかで「すごいもの、目標であるもの、目指すべきもの、立派なもの」などといった「手本のような何か」という意味合いを含んでいることがわかりました。
またそれに続いて、それにどこか「普通」や「正常」といった意味の香りを漂わせているようにも感じないでしょうか。

このように「社会人」という言葉の裏には、「一つ、こう」と意味を定義するにも頭の痛い、ふわっとしたやわらかい「手本のような何か」という意味合いが潜んでいるとかんがえました。

このふわっとした定義もしっかりされていない言葉を、あたかも自分は理解したような気になって私やほかの人に押し付ける行為こそ私がもっとも気分を害するものです。私はこんなにも必死になって考えているというのに。

表現はしづらいですが、私は今の私が持つ言葉でこの感覚を言い表すならば、「気持ち悪い」と言い表すしかありません。ですが、この「気持ち悪い」を「なぜ」「どのように」気持ち悪いかを私なりに説明できたとき、きっと私は次のステージへ行けるのでしょう。
長い闘いになるかもしれませんが、この先にあるものを目指し、引き続き「社会人」という言葉について考えていこうと思います。

まずは第一回、これにて終了します。

ここまでご読了ありがとう御座いました。
下手な文章やところどころおかしな点はあると思いますが、引き続きよろしくお願いいたします。








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