散歩

今年の6月から、時間があるときは仕事終わりに散歩をすることにした。
きっかけは様々あるが、就職してから二年目にして鬱々とした気分が晴れなかったからだ。
仕事終わり。車に乗り込み、近くの道の駅に向かう。
そこが私のお気に入りの散歩スポットだ。
ワークマンで買ったお気に入りのジャケットを着て、その日の気分で選んだジュースやらコーヒーやらをもって、さながら哀愁を漂わせるロックスターのようにして歩く。
イヤホンをしてお気に入りの音楽をかけながら。
最初の曲はTHE VERVEのBittre Sweet Symphoney。
薄暗い寒色の景色の中、寂しげでどこかほんのりと光だけがあるような感覚。
温もりはなく、ただ白く、弱弱しく漏れるような光。
そんなイメージを私はこの曲に抱いていたし、私の気分にちょうどよかった。

職場やそのあたりからは、山の上ある風力発電機が見える。
私はそれを眺めるのが好きだった。
それが朝でも、夕暮れでも構わなかった。
「ああ、大丈夫よ。タービンが回るわ」
好きなとあるミュージシャンの曲の一節。
風力発電のプロペラが風を受けて回る姿を見て、「大丈夫。今日も回っている。」と訳の分からない励ましで無理やり自分を動かしている日々。
私は自身が疲れているのを知っていたが、それに素直に従えなかった。
解放されたかった。まとわりつく日常、不安、焦燥。
散歩を始めたのはそれを少しでも忘れたかったからだ。
まるで睡眠薬にすがるもののように、その時間を求めていた。

このころ、私は自分が会社に向いていないと感じ始めていた。
いや、それだけじゃない。会社員、さらには社会そのものに向いていないと思い始めていた。
それでもこの散歩の時間、自分の足で歩き、風に吹かれながらコーヒーを飲んでいるこの瞬間だけは何も考えられずにいられる。それでもいいと思える。
特別いやなことがあった日は自分でも驚くくらい長く歩いている。それほど没頭していられる。
風車だって回っている。

私は何がしたいのだろう。
私はどんな風に生きたいと思っているのだろう。
明日死ぬとしたら、その時後悔することは何だろう。
でも今ならわかるかもしれない。
はっきりではない。それでもわかる。
王道で安泰な道じゃなくてもいい。
そんな道は、端から望んでいただろうか?
私が私たりえる場所はすでにここではないと分かったはずだ。
ならば戦略を変えよう。
恐れなくていい。
私が命を懸けて歩むと決めた道ならば、たとえ死の淵にあろうと、私は私が立ち上がることを許すことができるはずだ。

車への帰路につく。
コーヒーを飲み終え、空き缶片手に歩く。
曲はドレスコーズの「Trash」。
いつか私に来る「派手なトドメ」の日に向かって生きてみよう。






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