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自分を主語にして語れるか〜ハザカイキ〜

THEATER MILANO-Za
2024/03/31-04/22

ハザカイキ、観劇してきました。
東京完走おめでとうございます!!

固定ファンがガッチリついたアイドルが演じるのは週刊誌に芸能人のゴシップネタを売るフリーの記者。ある女性アイドルと人気プロデューサーのゴシップを追うことで、彼の身にも、、、。
という触れ込み。

これを普段は週刊誌に追われる立場のアイドルに演じさせることに意味があるのだろうなんて思って見に行ったんだけど、それよりもただひたすらに、やっぱり丸ちゃんはその人間味と情けなさと優しさがたまらんかったな。

特に、関係性をなあなあにし続けることで同性からダラダラ好意寄せられてるの、本人にもありそう過ぎる!!!!とテンション上がった。

2幕は各人の謝罪場面の連続なんだけど、
これら「謝る」ということよりも「許す」方がテーマなんじゃないかと思った。

と、パンフ隅々まで読んでたら、丸ちゃん⇒勝地くんへの質問でも「許す」に関する質問してて、いぇーい✌️
ついでにパンフの話すると、風間さん⇒丸ちゃんへの質問も優しいな〜って思ったよ。弱みを見せられる場を提供出来るのって優しさだよなって。
その回答を読んで、過去の答え合わせも出来た気がして。

舞台の感想に戻り、
許すというのは、「赦す」ことでもあって。

自分の心から湧き出た言葉じゃなくて、
それをゆうちゃんが1番嫌うこと分かっていたのに、
世間を理解した振りをして。
という里美ちゃんのセリフがあって、
あーーーー菅原って優しいんだよねと思った。

だって世間に溢れるどんな正しい概念よりも、
私の感想を大事にしてくれる、それを認めてくれる。
世間を盾にしたことを咎めて、それを許してくれる。

どんなことがあってもこの人を赦そう。
そう思えたから結婚しようと言えた、その言葉が湧き上がったんじゃないかな。
そうすることで菅原も強くいられるから。

常に、自分を主語にして語れるか。どんな概念が生まれようとも、結局は人と人なんだから。

我々はキレイな概念に逃げがち。
ひとつも嫌なことがないように。

やっぱりこう、社会って人と人で成り立っている。その事を忘れてはいけない。

社会を風刺する作品かと思って見に行ったんだけど、初日見た時からラストシーンで涙ぽろぽろ止まらなくて、どうしようもない人間の弱さが、堪らなく優しい舞台だった。

2階サイドからの見切れは酷いし、なんかマイクハウってるし、イスもチープな手すりだし、向かう道路は汚いしっていう環境なんだけど(急なディス)、まあなんか全部許そっかなーーーって、丸ちゃんやっぱり大好きーーーーー!!!

丸ちゃんにしか出せない優しさがあるよ。
私も世界に優しくありたい。

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