「HAZIN」第1話

あらすじ

柄人ツカビトと呼ばれる契約者に憑依し、妖を退治していた妖刀。その一部が人の体を乗っ取った新たな種刃人ハジンを名乗り、刃人軍を組織する。
刃人に家族を殺された赤木灯李あかぎともりは、蔵に眠っていた妖刀虚慟丸コドウマルに命を救われる。虚慟丸はかつて灯李の先祖とともに戦い、百年前に役目を終えた妖刀だった。
仲間だったはずの妖刀が人類に反旗を翻したと知った虚慟丸は、灯李を守るため刃人軍の打倒を決意。灯李を柄人として憑依し、現代の妖斃師ようへいしと協力して刃人軍の反乱へ立ち向かう。
しかしその先で灯李と虚慟丸を待っていたのは、恐ろしく深い過去の因縁だった。


彼は怒ると思った。
「そうか」
でも彼は、笑った。
「良かった」
安心したように。
「これでもう、お前もお前の子孫も、戦わずに済むのだな」
心から。
「本当に良かった。儂はただ、静かに……お前たちを見守るとしよう」

約百年後

「お祖母ちゃん久しぶりー」
「トモちゃ~ん。今年も来たねぇ。また大きくなって」
灯李ともり~、荷物下ろすの手伝って」
「は~い」
8月。快晴の空から眩しい陽光が注ぐ。
赤木家は毎年、お盆は母方の実家に帰省する。ちょっとした屋敷のような古い日本家屋だ。
一人娘の灯李は高校1年生。祖母の家に宿泊する3日間は、宿題や部活のことを忘れてゆっくりできる。
荷物を運びながら、灯李はふと、庭の奥に蔵があることに気づいた。ボロボロで、手入れされている様子は無い。
「お父さん、あれ何?」
「あの蔵?ずっと昔からあるよ」
「ん~そうだっけ」
「俺が結婚の挨拶しに来た時から、ずっとああだ。入っちゃいけないんだって、昔母さんが言ってた気がするな」
「へ~」
「でもあんだけボロいと心配だな。地震とか」
「入ってみていい?」
「いま駄目って言ったばっかだろ」
お墓参りは明日だ。お昼まで、灯李は居間でごろごろしていた。
「……ん?」
玄関の方から話し声が聞こえた。
「何だろう」
灯李は縁側から、玄関の方を覗き見た。
祖母が困ったような声で言う。
「前も言いましたけど、うちには刀なんて無いんです。一度も見たことありませんし、話を聞いたこともありません」
「確かにこちらに在るはずなんですよ、貴重な日本刀が。私の実家とこちらの家が古い古いお仲間でして。ご先祖が使っていた刀を、ど~しても譲っていただきたいんですよ」
「そう言われても、無い物は無いんです」
「もちろんタダでとは言いません。それなりの額をご用意致しますし、鑑定士を同席させても構いません」
父の声が参戦する。
「どうしたの義母さん?」
「こちらの方が……」
「これはこれは、初めまして。息子さんですか?」
「そちらは?」
「桃山と申します」
「名刺は?」
「切らしております」
「用なら俺が聞きますよ」
「いえ、今日はこれで帰ります。折角の帰省の邪魔をしては悪いですから。また来ますので、それまでにどうか思い出していただければ」
「はあ」
「では、これで」
玄関から和服姿のスキンヘッドの男が現れる。坊さんではない。桃山と名乗った男が不意に庭の方を向いて、灯李と目が合った。桃山はにこりと不気味な笑みを浮かべた。灯李は会釈だけして、中へ引っ込んだ。
居間に祖母と父が戻って来るや、母が尋ねた。
「誰?どうしたの?」
「変な坊主頭の男が来ててさ、桃山だって。知ってる?」
「知らない。母さんは?」
「よくわからないわ。最近になって来るようになったの。今日で三回目よ」
「怖、マルチ?」
「なんかね、うちに置いてる刀を譲って欲しいってしつこく言って来るんだけど、でもうちにそんなの無いし」
「刀ぁ~?無いでしょ、見たこと無いよ」
「でしょう?」
「詐欺師かなんかじゃないの?ね」
父が腕を組み、渋い顔をする。
「義母さん、あまりしつこいようなら警察に言った方が良いかもよ」
「そうねぇ」
「戸締りもしっかりしてね、母さん」
そうめんを食べながら桃山についてあらゆる憶測を交わしたが、日が暮れる頃にはもう話題に出なくなった。
晩ご飯も食べ終わり、みんなでテレビを観てのんびり過ごしていた。
「トモちゃんどしたの?」
「トイレ行って来る」
「鍵壊れてるから気をつけてね」
「さっきも聞いた~」
トイレから出る時、窓からちょうど庭の蔵が見えることに気がついた。月明りで、暗い輪郭が微かに窺える。
「あっ」
灯李はピンと来た。
(もしかして、あの中に刀があるんじゃないの?)
半分は、蔵の中を見てみたい好奇心だった。灯李は早歩きで居間に向かった。
「あ、お祖母――」
廊下に出て来た祖母が、その場に倒れ込んだ。
「ちゃん……?」
背中が真っ赤に染まっている。服が裂け、血がとめどなく溢れている。祖母は苦しそうに呻いていた。
人影が祖母のすぐ傍に現れる。
桃山だった。手にした刀から血がぽたぽたと垂れている。
「……ッッ」
灯李は反射的に隣の部屋に身を隠した。口を押さえて、嗚咽を堪える。心臓はバクバクと暴れて、全身が馬鹿みたいに震えていた。
「うぎぃっ」
廊下から祖母の断末魔が聞こえた。どっと涙が溢れて、灯李は駆け出した。
(嘘、嘘嘘嘘、お祖母ちゃん、嘘!お母さんは?お父さんは!?)
居間に通じる襖の奥から、激しい物音と母の悲鳴が聞こえた。襖が外れ、その上に母が倒れた。肩から血が出ている。
「お、ガキもおったおった」
長髪の男が土足で畳の上を歩いて来る。こちらも刀を持っていた。
その奥の居間では、恐ろしく凄惨な光景が広がっていた。真っ赤に染まった畳。そこに寝ているのが父とは信じたくない。だってあれは、頭から真っ二つになっているではないか。
居間には革ジャンを着た女がいた。やはり、手には刀。
「ハッ、ハッ、ハッ」
息が、息が吸えな……
「灯李!」
母がめいっぱい首をよじってこちらを見上げ、怒鳴った。
「逃げて!」
「お、か、お母さん――」
「逃げなさい!早くッ!」
「ッッッ」
 長髪の男が母に近づく。
「ガキは他にもおるのか?こいつだけか?」
「走って灯李、逃げるのッ!」
母が起き上がり、長髪の男に突進した。男はあっさり躱して母の脇腹を斬りつけた。
「おおっと!」
「あああっ!」
母が倒れる。男は灯李に目を移した。灯李は足が竦んで動けなかった。
「おかあ、さん……」
「怖いのは今だけだ、死ねば何も感じぬ。……ん?」
足元に目を落とす。母が足にしがみつき、腱に噛みついていた。
「お母さん!」
母の血走った目が、灯李を見る。逃げろと訴えている。
「あぁ、お、お母さん、あぁぁああ」
どこからか、声がした。
『逃げろ!』
(え?)
トンネルの中に反響するような、朧げな声だった。いったいどこから聞こえているのかわからない。
『逃げろ灯李!』
「何?誰、誰?」
燈李あかりの犠牲を無駄にするな!』
母の名を挙げ、声は灯李を叱咤した。
『生きろ灯李、走れぇッ!』
「~~ッッ」
何かに突き飛ばされるかのように、灯李は走り出した。後ろは振り向かなかった。
「天晴れだ」
男は刀を振りかぶる。
「腐っても妖斃師ようへいしの血よ。その健闘ぶり、見事なり!」
灯李には何も聞こえなかった。聞こえていたのは自分の息と激しい動悸、そしてどこからともなく響くあの声だけだった。
『急げ!すぐそこを左、襖を開けてまっすぐだ。庭に出ろ!』
「はぁ、はぁ……!」
涙で前が見えづらいが、そもそも暗くてよく見えない。外の方が明るいくらいだ。
灯李は庭に出た。
『こっちへ来い!』
「どっち!?」
『目の前!』
「だからどこ!?」
『蔵だ!蔵に来い!』
闇の奥に薄っすらと浮かぶ蔵。灯李は狂ったように走った。砂利を踏む痛みは気にならなかった。
扉が開かない。手で探ると、南京錠があった。
『壊せ!』
「え!?」
『錠も扉も脆くなっている、蹴って壊せ!』
何度か蹴っても駄目だった。灯李は助走をつけてタックルした。南京錠が外れた。灯李は息を乱しながら扉を開けた。
「ゲホッ、ゴホッ」
中は蜘蛛の巣まみれで、風が入ると埃が舞った。扉を閉めたはいいが、暗くて何も見えなくなってしまった。
『奥へ進め』
灯李は口を覆って歩いた。
「誰なの?幽霊?」
『霊ではない。儂はその奥にいる』
「奥?」
『とにかく来い。まっすぐだ』
手探りで進む。何かに爪先をぶつけて、思わず悲鳴を上げた。何かが這う音も聞こえる。ずっと長い距離を歩いた気がした。闇の中を探るのはそれだけ恐ろしく、不確かだった。
「わっ」
前に出していた手が何かに触れた。蔵の奥へ辿り着いたのだ。
『台の上、もう少し上だ。その箱』
輪郭をなぞると、細長い箱だった。蓋が紐で縛りつけてある。
声が、まるでその箱の中から響いているかのように強く聞こえた。
『儂はその中だ』
「え!?」
『開けろ』
「待って、紐が解けない」
『急げ、奴らが来るぞ!』
「待ってって、もうちょいで――」
扉が勢い良く開き、月光が差した。灯李は心臓が飛び出るくらい驚き、振り向いた。
「ここにおったんか、ガキ~」
長髪の男だった。歯を剥いて笑い、蔵に入って来る。
「あ、あああ……」
『早く開けろ!』
「わかってる!」
木箱の紐を、灯李は力いっぱい引いた。箱を壊すつもりで引いた。紐が解け、埃が弾けた。掻きむしるように紐をどかし、蓋をぶっ飛ばした。
「よくやった灯李。儂だ」
「……え」
中にあったのは、刀だった。
箱は太刀を収めた刀箱だったのだ。
蔵の中でまるでその刀だけ、時間が止まっていたかのように、見事な保存状態だった。
「ああ、顔を見たのは初めてだが」
刀は懐かしむように言った。
「よく似ているな……本当に」
声は確かに、刀から聞こえていた。目などあるはずの無い刀から、視線を感じた。
「そいつぁ、ガキが触っていいようなもんじゃねぇぞぅ?」
灯李のすぐ後ろに男が立っていた。
「儂を取れ!」
「えっ」
「触れるだけでいい!儂を掴め!」
「ッ!」
男が刀を振り下ろす。灯李は刀に飛びついた。
ドゴン!
強い衝撃が蔵を揺らした。瓦が数枚転げ落ち、中では棚が崩れた。
男が振り下ろした刀は――ぴたりと、止まっていた。
「なぬ!?」
信じ難いことに、灯李が素手で刃をキャッチしていた。しかも片手だ。
万力のような力で握られ、刀はびくともしなかった。そのうえ、刃を握る灯李の手からは一滴たりとも血は流れていない。
(何が起きておる!?)
男は灯李のもう一方の手に、刀箱に入っていた刀が握られていることに気がついた。
「そんなに不思議か?」
灯李が言った。だが、それが灯李の言葉ではないことも、男は瞬時に悟った。
「当てりゃ斬れるってもんじゃない」
灯李の髪が白く染まった。瞳が花弁のように開く。顔や体にビキビキと青筋が浮くにつれ、膂力も増していった。
「引けるか?貴様ごときの力で」
虚慟丸コドウマル……!」
男は歯ぎしりし、柄を握る手に力を込めた。灯李はパッと手を放すと、前のめりに倒れかけた男の胸を、抜刀することなく柄頭で殴りつけた。
男は蔵の外へぶっ飛んでいった。足で砂利に轍を引き、止まる。
「おのれ……!」
折れた肋骨が胸から飛び出ている。男が睨んだ蔵から、灯李が出て来る。
芯の通った背筋、滑らかな足運び。まるで別人。その所作は剣術家そのもの――それも、とてつもなく熟達した剣術家だ。
そう、別人だ。男はわかっていた。灯李であって灯李ではない。あの刀がとり憑いたのだ。
妖刀、虚慟丸。
百年に及びこの蔵で眠っていた、生きた刀。そして、桃山たちが探し求めていた同胞だ。
庭に桃山と女が出て来た。桃山は息を巻く男の肩をポンと叩き、前に出た。
彼を見ると、灯李――虚慟丸は、足を止めた。
「久しぶりだな、虚慟丸。その娘に憑いたのか」
桃山は親し気に話しかけた。
「驚かせてしまったかな。安心しろ、敵ではない」
虚慟丸は花のように煌めく瞳で、桃山の刀をじっと見た。
「……その刃文、這切百足ハイキリムカデか」
「ご名答、流石は我が友。こっちは牛牙刀ギュウガトウ、こっちは風鉄フウテツだ」
「そいつらは知らぬ」
「素っ気無いな。百年ぶりの再会なのに」
三人を見回し、虚慟丸は顔をしかめた。
「貴様ら、いったい何をしておる?」
「君を迎えに来たんだ、友として」
柄人ツカビトと話させろ」
「それはできない」
「いいから出せ」
「できないんだよ、もう」
這切百足は己の胸を親指で叩いた。
「このカラダは既に俺たちのモノだ。柄人の魂は食い潰した」
「なんだと?」
「昔のようにただ憑くだけでは不便だ。どこにでも行ける手足。窮屈な鞘から脱し、自由を手に入れたのさ」
「……柄人との契約を破ったと?」
「古臭い考えだ。まぁ百年も寝ていれば仕方ない。虚慟丸、時代は変わったのだよ」
桃山――這切百足は庭の外の、その向こうの街を眺望するように空を仰ぐ。
「役目を終え眠りについた君の判断は、ある意味正しかった。あれから妖の数はぐんと減ったよ。俺たちの出番は目に見えて減っていった。今では、妖刀を使う妖斃師なんてほぼいない。現役の妖斃師自体ごく僅かだ。世に灯りが溢れ人は闇を恐れなくなり、妖はいなくなった」
「望ましい結果だ」
虚慟丸は吐き捨てるように言った。
「山本だの九尾だの酒呑だの、名立たる妖は全て片づけた。百年前の時点で妖の脅威など無いに等しかった。妖斃師は廃れ、儂ら妖刀は役目を終える。それこそ本懐ではないか」
這切百足の声が低くなった。
「本気でそう思っているのか?虚慟丸」
「儂らの戦いは終わった」
「ふっ、どうやら君の奴隷根性は筋金入りのようだな。知ってはいたが、ここまで極まっていたとは」
「迎えに来たと言ったな?何が目的だ。昔の仲間と徒党を組んでいるのか?」
這切百足は虚慟丸の方へ視線を戻し、笑みを浮かべた。
刃人ハジン
「何?」
「體を得た妖刀。人であり刀でもある。新たな種だ」
「馬鹿げたことを」
「仲間を集めて刃人軍を組織した。虚慟丸。俺たちは同胞を救いたいんだよ。妖刀に限らず、妖槍も妖弓も。妖を討つために身を捧げて来た者、全てを」
「……」
「確かに俺たちは、君が言ったように在るべきだと造られた。最初は役目を全うしようとしたさ。実際、俺たちはやり切った。世を救済した。でもな、ある時、おかしいと気づいた」
「何がだ」
「俺たちの扱いだよ。待遇と言ってもいい」
這切百足の語気は、次第に興奮していった。
「俺たちは全てを捧げて来た。壊れるたびに打ち直され、戦場に立った。来る日も来る日も、何百年と戦い続けた。人間を救う、たったそれだけのために来る日も来る日もだ。ほとんどの同胞は朽ちていった。現存しているのはほんの一握りだ。人間のために、俺たちは犠牲になってきた。だというのに」
彼は仰々しく肩をすくめた。
「用済みになったら、呆気なくお払い箱だ。何百年も働いたのに、与えられたのは粗末な祭壇や祠だけ。参拝しに来るのは柄人の子孫だけ。たったそれだけだ。終いにはその子孫さえ俺たちのことを忘れていく。たかだか百年でだ。恩知らずどもめ、俺たちは何百年身を粉にして働いたと思ってる?」
「人と妖刀とでは時の扱いが違う。俺たちは所詮、刀だ。道具に過ぎん。見返りを求めるな」
「いいや、俺たちは報われるべきだ。君は何も思わなかったのか?こんな小さな蔵に閉じ込められて?君ほど偉大な妖刀を蔑ろにするとは」
「儂が望んだのだ。儂のことなど忘れろと。あいつに、最後の柄人に命じた」
這切百足は嘲笑した。
「本当に、芯の底から、君は人間様の奴隷なんだな」
「なまじ賢いだけに、余計な知恵が付いたようだな。それとも耄碌したか?」
「順番が来たんだよ、虚慟丸。神から人へ渡った、世を統べる権利。今度は俺たち刃人の番だ」
「道具は生者には代われないぞ」
「……そんなにいけないことかい」
「……」
「人間を救ってやった。今度は自分の幸福を望んでるだけだ。それは罪深いことか?」
「……」
一陣の風が吹いた。
長い沈黙だった。風がやむと、虚慟丸は言った。
「……貴様の言い分には共感できん。だが、言いたいことはわからなくもない」
「だろ?」
「貴様なりの考えと、一定の道理があることは認めよう」
「なら――」
「だが!」
虚慟丸は怒声を上げた。握った拳が小刻みに震えている。
「貴様らは……あいつの子孫を殺めた」
「君を呪縛から解き放つためさ。俺たちのかつての柄人の一族もそうした。血を絶てば契約を解消できる」
巫山戯ふざけるなよ」
見えない何かが這切百足たちに圧しかかった。
強烈なプレッシャーだ。
(これは……!?)
虚慟丸の、殺気。
「儂はな、百年間一度たりとも眠ってなどいなかった」
「何?」
「『血』を通じ、あいつらを見守っていた。音を聞くのでやっとだったがな。あいつの子の産声も、あいつの老いてしわがれた声も、またその子の産声も、全て……聞いてきた。儂らが戦い抜いた末に、この子らの命があるのだと……誇らしかった」
壮絶な殺気に反し、彼は優しい声で言った。
「ただの契約者ではない。あいつとは家族のようなものだった。その子孫も。儂は妖刀だ。道具に過ぎないと弁えている。だが、それでも、度を超えて想ってしまうのだ……愛しいと」
ゾクッと、這切百足たちに悪寒が走る。
「殺したな?」
虚慟丸が、鬼の形相になっていた。
「貴様ら、祭李まつりを、燈李を、燈李の夫を――灯李の親を、殺したな……?」
彼らの暴挙は、この世で最も触れてはならない地雷を――
「貴様らの道理など、知らん」
――取り返しようも無く、踏み抜いた。

「粉 々 に し て や る ぞ こ の なまくら ど も」

虚慟丸が消えた。
構える暇も与えず、虚慟丸は女の――風鉄の目の前に立っていた。
「な!?」
虚慟丸は風鉄の足を踏みつけていた。正確には、虚慟丸の足の指が、靴の上から風鉄の足の甲に突き刺さっていた。
(動けない!?)
金縛りに遭ったように、風鉄は身動きが取れなかった。
這切百足は見抜く。
(妖術……いや、点穴か!)
風鉄をまじまじと眺め、虚慟丸は心底遺憾そうに眉を寄せた。
「柄人の魂が消えているのは本当らしいな……致し方無い。すぐ楽にしてやる」
虚慟丸は風鉄の口に手を突っ込み、下顎をもぎ取った。露出した喉に貫手して頚椎を掴み、力づくで引っこ抜く。
這切百足が怒鳴った。
「牛牙刀!」
「どぅれぇい!」
牛牙刀が斬りかかる。虚慟丸はひょいと身軽に躱し、距離を取った。風鉄の體は崩れ落ちた。
地面に落ちた刀――風鉄の本体が怒りを露わにした。
「よくも私の體を!」
虚慟丸は頚椎をポイッと捨てた。
「よくもはこっちのセリフだ。後で鉄屑にしてやるからそこで寝てろ」
這切百足が言った。
「残念だよ。志をともにできると思っていたのに。幹部の席も空けていたんだがね」
「こっちから願い下げだ、妖刀の名に値せぬゴミめ」
牛牙刀が中段の構えでにじり寄る。
「俺の力では斬れねぇとか、抜かしおったのう?」
「鈍はいくら振っても斬れん」
「くく。この怪力牛牙刀の剛剣を忘れたか」
「雑魚はいちいち覚えん」
虚慟丸は人差し指で招いた。
「かかって来い。貴様ごとき抜くまでも無いわ」
「……舐めおって」
牛牙刀の顔が怒りに歪む。這切百足はハッとして叫んだ。
「挑発だ、乗るな!」
「叩っ斬ってやるわあぁぁ!」
脳天目掛けて振り下ろされた刃を、虚慟丸は半歩だけ退いて躱した。すぐ目の前を刃が通過し、髪が微かに切れた。太刀が地面を割る。
虚慟丸はその峰を素足で踏みつけた。
「ぬぅ!?」
牛牙刀の体ががくっと下がった。得物が持ち上がらない。
「どうした、怪力じゃなかったのか」
「ぬぅ、ぬぅおお……!」
華奢な灯李がこれほど重いはずがない。
(また妖術か!)
這切百足が叱咤した。
「刀越しに経絡を乱されている!力で抗うな!」
出し抜けに、虚慟丸が足を放した。
「ほれ、万歳しろ」
「ぬぁ!?」
勢い余り、牛牙刀は刀を高々と掲げた。虚慟丸は懐に入り、心臓の辺りに拳を押し当てた。
「いいか鈍、『力』とはこう使う」
零距離から拳を振り抜く。
牛牙刀は猛スピードで吹き飛び、這切百足のすぐ横を通過し、玄関先に停められた車に突っ込んだ。凹んだ車ごと横転した牛牙刀が、起き上がることはなかった。
表面上、這切百足は冷静だったが、内心は穏やかではなかった。
(素手でこれか。百年のブランクがまるで無いとは)
這切百足は余裕の笑みを取り繕った。
「一撃とはな、見事なものだ。相変わらず容赦も無い」
「次は貴様だ」
「流石の妖術、と言いたいところだが、虚慟丸よ。実は俺たち妖刀の力は、現代では科学的に解明されている。もはや超常現象ではない」
「変わった辞世の句だな」
「まぁ聞け、百年で色々とわかった。例えば柄人に憑いたことによる外見的変化は、極度のプラシーボ効果の一種だ。人格が変わることによる肉体の変質は、多重人格者の典型的な症状でもある。君のその超人的な怪力や髪と瞳の変化は、君自身がそう思い描く思念に體が呼応しているに過ぎない」
這切百足は人差し指を立てた。
「科学で説明できないことはたった一つ。俺たちの意思が実在するか否かだ」
「……」
「俺たちは思念で通じ合う。しかし、人はそれが幻覚でないことを証明できない。精神疾患と言われてしまえばそれまでだ。ならば誰が、妖刀に意思があることを認めてくれる?」
「興味が無いな」
「俺たち自身さ。俺たちが俺たちであると、互いにわかり合えるのは妖刀だけ。人はいずれ忘れる。虚慟丸、君をわかってやれるのは俺たちだけだ。だから一緒に来い、今ならまだ許してやる」
「命乞いは終わったか?」
「いや、時間稼ぎだ――刃傀抜刀はかいばっとう
這切百足の刀がボコンと膨らみ、生物のように蠢いた。
「いくら思念が強くとも、細胞と違って無生物の変質には時間がかかる。鋼なら、特に」
ゴキゴキ。グチャグチャ。パキメキ。
刀身が成長し、数十メートルに及ぶ巨大な百足に変貌した。

刃殖じんしょく竜喰大太刀ヤマグイオオムカデ

「これも今では説明がつけられる。呪い人形の髪の長さや顔つきが思念で変わるのと同じ理屈さ。変化の度合いや規模は比べ物にならんがね」
鎺から伸びた大百足は、全ての足と牙が鋼鉄の刃だ。蠢くたびに空を裂く音がする。
「抜け、虚慟丸。君が相手なら俺も本気だ」
「……昔は気にならなかったが、敵として見ると気持ちが悪いな」
虚慟丸は鯉口を切った。
(節が増えておる。百年で腕を上げたか)
這切百足が柄を振るのに応じ、大百足は蛇行しながら突進した。渾身の居合切りが大百足の牙に跳ね返され、虚慟丸は蔵までぶっ飛ばされた。
衝撃で蔵が半壊する。瓦礫の下から起き上がった虚慟丸は流血していた。
頭上に影が差す。大百足が圧し掛かろうとしていた。
「はぁあああ!」
虚慟丸は大百足の無数の刃を捌いた。大百足の刃は脆く、砕くのは容易だったが、数が尋常ではなかった。次から次へと後続の足が襲う。
「君ほどの業物でも、そうはもたんぞ!」
「チッ」
「さあ、刃傀を抜け!それとも鈍ったか!?」
「喧しい」
「君が憑いていても、所詮ただの小娘。そっちが先に音を上げるかもしれんな!」
「……」
古い記憶が過ぎる。
『儂は静かに、お前たちを見守るとしよう』
百年前。
『だがもし、再び災いが訪れた時は』
ああ、そうだ。
『いつでも儂を手に取れ。必ず、お前たちを守ってみせよう』
約束した。
『ありがとう。おやすみなさい、虚慟丸』
不甲斐無い。
お前の子孫を守れなかった。
赦せとは言わない。
ただもう一度、約束させてくれるなら。
灯李この子だけは、何があろうと――!

「刃傀抜刀」

這切百足は目を見開く。
(来たか!)
足で虚慟丸を攻撃しつつ、大百足の頭部が空中でぐるりと旋回した。柄を振り下ろすのに合わせ、大百足は真っ逆さまに虚慟丸へ突撃した。
「『竜頭穿殺ミカミヤマ』!」
虚慟丸は次の節が来るまでの一瞬の間隙を見極めた。
他の妖刀と異なり、虚慟丸は刃傀刀の変質に時間を要さない。彼だけが、増えるわけでも、変形するわけでもなく――『消える』。
鎺から先が消え、虚慟丸の刀身は無と化した。

刃消じんしょう虚無刀コムトウ

無の刃を振り抜く。至極当然、無は何にも触れず、斬らなかった。
彼が斬ったのは、虚空。
「『虚道奈落斬殺ヨモツヒラサカ』」
見えない太刀筋に沿い、空間に裂け目が生じる。
周囲の大気や瓦礫、大百足までもが、空間の裂け目に急速に吸い込まれた。
直後、裂け目に殺到した物体が激しく衝突し、爆散した。
衝撃波が起きる。
蔵の半分が消し飛び、大百足は頭部と体の七割を喪失した。
かつて、その技は『斬った者を亜空間へ送る』や『あの世への門を開く』とされていた。吸い込まれた物が例外無く消滅するからである。
だが、現代科学はこの現象をこう呼ぶ。
爆縮。
虚無と化した刃が大気中に真空を生み、爆縮を発生させる。虚空に空いた穴を埋めるかのように全方位から押し寄せた圧力に巻き込まれ、さらにその中心で激突した超高気圧に潰され、大百足は粉々になったのだ。
衝撃波の強風に乗り、虚慟丸が高々と跳躍する。大百足の背に着地すると、這切百足の元まで一気に駆け抜けた。
「まだだ!来い、虚慟丸!」
大百足を振り回す。虚慟丸は背から飛び降り、襲い来る刃を躱して這切百足の懐へ踏み入った。
「失せろ、糞以下の外道め」
虚慟丸は這切百足の胴を斬り、走り抜けた。
體に傷は無く、一滴の血も流れていない。虚無刀が斬ったのは、腹の中。
「待っ――」
体内に斬り開かれた真空が爆縮を起こし、這切百足の體と柄、大百足の刀身の全てを呑み込んだ。
爆散した血肉と大百足の破片が降り注ぐ。
「残念でならんよ、這切百足」
虚慟丸は納刀した。
「妖刀に地獄あの世が無いことが、残念でならん」

第2話

第3話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?