「HAZIN」第3話

(喉渇いたな)
壁に掛けた虚慟丸を見る。
あの夜に聞いた会話がフラッシュバックした。
――百年間一度たりとも眠ってなどいなかった。
――鈍ったか!?
「……」
灯李はベッドを降りた。
(自販機、すぐそこだし)
廊下は無人だった。灯李は駆け足した。
(水でいいや)
ペットボトルを取って立ち上がると、すぐ隣に誰かが立っていた。
「うぇっ?」
ビクッとし、灯李は財布を落とした。小銭が散乱する。
「あっ」
「大丈夫~?」
ピンクのパーカーにギターケース。同い年くらいの少女だった。一緒に小銭を拾ってくれた。
「はいど~ぞっ」
「すいません、ありがとうございます」
「あ、ちょっと失礼~」
少女は灯李が腋に挟んでいたペットボトルを取り、ゴミ箱に放った。
「ちょっ、何すん――」
「今一人?」
少女がニイッと笑い、八重歯が覗いた。
「虚慟丸は一緒じゃないの?」
「――ッ」
ゾッと悪寒が走った。
少女が灯李の腕を掴み、再び財布が落ちた。
「アハ、当たり♪」
汗が噴き出し、心臓が跳ねた。
(動けない。金縛り……これ、虚慟丸と同じ妖術!?)
少女の瞳が猫のように細くなる。
「とりま、死んどこっか♡」
「~~ッ」
大きな影が少女を覆った。
「何のギター使ってるの?」
「!?」
「あっ!」
少女の後ろに、純が立っていた。純は愛想良く微笑んだ。
「中、見てもいい?」
「だーめ☆」
少女が純の顔面に裏拳した。バチィンと鳴り、眼鏡が飛ぶ。
純は切れた唇で言った。
「そっかぁ残念」
「ありゃ?」
純の手は少女の胸ぐらを掴んでいた。
「おじさんセクハラぁ?」
「あはは。刀に人権はねーよ」
純が少女を持ち上げ、自販機に叩きつけた。自販機が大きく凹む。
尻もちをついた灯李に、純は怒鳴った。
「部屋に戻って!」
「あ、の……」
「早く報せて!」
「――はい!」
スリッパを脱ぎ捨て、灯李は駆け出した。
純は少女を振りかぶり、再び自販機にぶつけた。自販機が倒れて中身が散乱した。少女は自販機の上に着地し、純と組み合った。
「アッハ♡おじさん妖斃師?」
「どう考えてもお前の方が年上だろ」
純は笑顔のまま言った。
「そのケースの中を抜く前に極めさせてもらうよ」
「柔道?殺し合いは試合みたいにはいかないよ♪」
「大丈夫」
純は少女の股間を思い切り膝蹴りした。
「僕のは対妖の実戦型柔術だから♡」
「うっわw人間にやったらヤバイでしょこれ」
「だから対妖だっつの」
純が少女を背負い投げする。
少女は床に叩きつけられる前にパーカーを脱いで抜け出した。
「危っぶなぁ」
ギターケースのファスナーを開けようとする少女に、純はパーカーを投げつけた。
「わ?」
「噴ッ!」
純はパーカーごと少女をぶん殴った。拳が顔面を直撃し、ぶっ飛んだ少女はドアを破って空室に転がり込んだ。
ギターケースを突き立てて止まり、即立ち上がる。
「スッゴ♡鍛え過ぎでしょw」
少女は鼻血を舐めた。
「タンマ!柄人が死んだらどーすんの?人殺しになっちゃうよ?」
「どうせ魂死んでるだろ?」
「バレてら」
少女が外れたドアを蹴り上げる。起立したドアに、純はタックルした。少女はドアもろとも純を巴投げした。
純は前宙して着地し、ドアをキャッチしてフルスイングした。同時に、少女はギターケースをフルスイングする。少女の頭上を掠り、ドアが壁に突き刺さる。ギターケースは純の脇腹をヒットした。
「熱っ!?」
打撃自体は何てこと無かったが、灼熱が脇腹を襲った。服が燃えている。急いで脱ぎ捨てた。
「わお!スゴい躰」
少女が褒めたのは、びっしりと彫られた祝詞と陰陽図だった。
「イイの彫ってんじゃん。うちは妖じゃないから効かないケド」
ギターケースが燃えていた。少女は僅かに開けたファスナーから中に手を入れていた。
刃傀抜刀はかいばっとう
ギターケースが焦げ落ち、メラメラと燃える刀が現れる。

刃吐じんと一輪火車イチリンカシャ

「抜いちゃった♡」
「燃える刀……棺猫カンビョウか!」
「知ってるの~?うちって有名?」
「素行の悪さでね」
「アハ。殺す♡」
妖刀、棺猫。
燃焼に必要な酸素、熱、可燃物の三要素のうち、棺猫は熱と可燃物を思念のみで補う。
恋焦がれる。情熱を燃やす。百年の恋も冷める。背筋が凍る――感情思念には、温度がある。
棺猫は殺意という熱い思念を刃に込める。そして燃えろと願うその強い思念こそが、最も純粋な可燃物となる。
燃焼特化、思念吐出型刃吐タイプの刃傀だ。
火災報知器が鳴り響いたが、スプリンクラーは作動しなかった。
純は顔をしかめた。
(水が出ない?)
屋外に設置された貯水槽は破壊済みであった。
棺猫は燃える切先を突きつけた。
「こーゆー時はどうすんの?おじさん」
「専門外かな」
「雑っ魚w」
刀を振りかぶる。
ズブリ。
横の壁から突き出た刀が、棺猫の胸に刺さった。
「あァ?」
棺猫が壁に刀を振る。炎が渦を巻き、壁を吹き飛ばした。廊下へ退くと、隣の部屋からも人影が飛び出した。
白髪になった灯李、いや――
「やっほぉ虚慟丸ぅぅ!」
「チ、心臓を外したか」
「うちの巨乳に風穴空けやがったなこのヤロー」
「今度はその軽そうな頭に穴を空けてやる」
「おまっ、柄人の悪口はやめろよ」
虚慟丸と棺猫は対峙した。
「貴様も刃人か」
「やっぱりみたいな反応ウケんだけど」
「前から軽い奴だったが、より聞き取り難くなったな」
「超ディスるじゃん」
「他にもいるのか?」
「ソロだよ~ん」
かしらは誰だ?這切百足は色々偉そうにほざいてたが、大将の器ではない」
「死体蹴りすんなしw」
「貴様もな」
「それはそう」
「誰がこんな巫山戯たことを始めた?」
「ん~まぁ隠しても意味にゃいから言っちゃおっかな」
「何?」
「ホントはわかってるクセに。こんなこと考える妖刀なんて一振りしかいないじゃん」
「誰だ」
「人間丸」
「――」
虚慟丸は凍りついた。
「あ」
髪が揺れ、逆立つ。

「ア イ ツ か ッ!」

虚慟丸が鬼の形相になり、どす黒い殺気が溢れた。
(アハ♡)
ゾクゾクッと鳥肌が立ち、棺猫は紅潮した。
(ヤッバぁ。ガチギレじゃん♡)
虚慟丸が斬りかかる。棺猫は燃える刀で応戦した。
壮絶な衝突だった。銀の閃光と赤い炎が流星のように踊り狂い、火花が激しく飛び散る。
純は絶句した。
(なんて戦いだ……!)
双方、奇怪な太刀筋だった。およそ剣術家らしからぬ荒々しさ。まるで激流。しかしこれこそ真の妖刀の剣技である。
対人ではなく、対妖に研鑽された剣。
奇々怪々、千差万別の妖に対応するため、その型は変幻自在。もはや原型を留めぬ歪んだ型から繰り出される予測不能の斬撃。
実際に目にするのは初めてだった。
(これが……柄人に憑依した妖刀の、本気の戦いなのか!)
虚慟丸は斬撃と炎を同時に捌いていた。彼の剣速は棺猫の倍。
(オイオイ鈍ってねぇのかよ。強っえ~)
棺猫は刀を足で受け、後ろへ跳んだ。
(硬い!靴底に鉄板か)
棺猫は中段に構えた。
「やっぱ剣術じゃムリだわ。ここは潔く必殺勝負だね♪」
八重歯を出してにやける。
「ま、超一方的だけど♡」
「……」
虚慟丸の刃傀はその威力のあまり、屋内では使えない。発動後は爆縮に巻き込まれないために圏外へ脱出するのだが、屋内だと真空に引き寄せられる壁や床に阻まれてしまうのだ。
加えて、上下左右どこに人がいるかわからないホテル内。
(ま、まとめてうちが消し飛ばしちゃうケドね☆)
刀が青く燃え盛る。ギラリと眼を開き、棺猫は突きを放った。
「『蒼炎輪轢殺ナイネツフッショ』!」
巨大な蒼炎の車輪が廊下を駆け抜け、虚慟丸へ突っ込む。車輪は八方へ火の玉を撒き散らし、逃げ場は無い。速度は音速に迫った。
(消し炭だッ!)
虚慟丸は脇構えで待ち受けた。
「刃傀抜刀」
迫り来る火車を、斬り上げる。

刃消じんしょう一寸虚無刀イッスンコムトウ

蒼炎の火車が虚空に吸い込まれ、消滅した。
棺猫はポカンとした。
「……あるぇぇ~~?」
棺猫は目にした。
虚慟丸の刃先が、僅か一寸(約3センチ)だけ消えていた。
(ちょびっとだけ虚無刀にして……炎だけを吸い込むように調節した!?はぁ!?そんな器用なことできんの!?)
棺猫は歯ぎしりした。
(刃先を隠すための脇構えかッ!)
虚慟丸が間合いを詰め、突きを放った。
捌き切れず、左腕を刺された。正確には、無の切先が触れた。
ブチィッ。
爆縮が棺猫の左腕を根元から持っていった。
「あちゃ~!」
傷口を焼き、棺猫は後ずさった。
「アハハハ!やっぱアツいわぁ、虚慟丸ぅ~。ふひひっ。でも参ったね、気に入ってたけどからだ替えないとだな~」
「逃げる気か?」
「モチ!逃げるわ!バイバイ!」
虚慟丸の追撃を躱し、棺猫は風のように走り去った。純が廊下に出て来る。
「あいつマジで逃げた!」
「追うな。奴は健脚だ、儂でも追いつけん。怪我は無いか」
「軽い火傷」
「刺青は?」
「無事」
「よし」
「護衛なのに不甲斐無い」
「いや、助かった。礼を言う」
「凄いねさっきの技。流石だ」
「正直逃げてくれて助かった」
「え?」
「力を絞るのは全力よりも疲れる。少々鈍っているようだ」
本来、思念は封じた分だけ溜まるもの。虚慟丸にそれが無いのは、彼が百年間一睡もしなかった弊害だった。
「騒ぎになってるな。ズラかろう。灯李に説教してやらねばならんしな」
純は我慢できず尋ねた。
「奴が言ってた人間丸って……」
虚慟丸はぽつりと返した。
「……ああ。奴だ」

ニュース速報
『本日都内の銀行で起きた立て籠もり事件の続報です。SATが突入したとの情報が――』

同時刻。
彼はSAT隊員の死体の山に座っていた。
「現代の武士もののふはこんなものか。ガッカリだな」
腰に帯びている刀は人骨で造られていた。鍔や鞘も全て。
影から黒い着物の女がスッと現れた。
「人間丸。棺猫が虚慟丸を見つけたよ」
「ほう?」
「彼は人の側に付いた」
「ふ、やはりか」
彼はほくそ笑んだ。

指定危険妖刀 人間丸もののけマル

「またいくさだなぁ、父上殿虚慟丸

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