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福田恆存を、勝手に体系化する。0

「文学界」令和五年七月号に、「甦る福田恆存」という特集が組まれた。年来の愛読者である私は、若い世代の批評家たちに福田恆存はどのようにうつっているのか、とても興味をもって読んだ。それというのも、私よりもかれらの方が、対象への距離感が増しているわけであるから、その全体像をより視界におさめやすいはずである。

 生前の福田恆存は、私の知るかぎり、大勢の批判者とごく少数の理解者にかこまれていた。じっさい、私がかれの著作を読みはじめたのはかれの晩年に相当するが、当時、発表の場が極端にせばめられていたらしい。私の周囲にも福田ファンなどおらず、「右翼」のカテゴリーに入れられていた。だが、ここで問題となるのは批判者ではなく、むしろ理解者の方である。
 たとえば同時代の佐伯彰一とか磯田光一、西尾幹二、のちの西部邁など。かれらはそれぞれ福田恆存を理解し、論じ、高く評価し、さらには同じ立場に立つ者としてふるまってさえいる。つまり、距離が近すぎるのだ。それに対し福田恆存は、たいていの場合、大人の対応で表面的には好意的に遇してはいるが、本当のところ、どう考えていたのであろうか。答えは、訊かなくてもわかっている。

――解ってたまるか!

 その点、今回読んだ若い論者たちのものは、へんなしがらみのないぶん、すっきり読めた。とはいっても、私が期待していた感じとは、かなり方向性がちがう。当然の話だ。世代の差。
 そこで、一念発起して、自分で書いてみることにした。ある意味、遺言のつもりでのぞもうとおもう。まだそういう歳でもないのだが、ひょんなことから、どうやら長生きできそうもないことが発覚したからだ。

 ということで、私もまた、福田恆存との一定の距離を大切にして、私の視点から私のやり方で、かれの思想の根本問題とおぼしき論点をあぶりだしてみたいとおもう。しかも、かれの思想をできうるかぎり体系化してお目にかけたいと願っている。とはいえそれは哲学ではなく、あくまで文学の領域におけるものであることをはじめに強調しておきたい。
 死人に口なし。もはや死者となった福田恆存の業績は、われわれにあたえられた貴重なレガシーである。私は敬意をもって、文化遺産となった思想的遺跡を、もはや他人の手を借りずに、みずから砕片を拾い集めて再構成してみるつもりだ。そしてそれは、かれの人生の内側に入りこんで、かれの相対した事象を志向することによってのみはたされよう。
 

 で、福田恆存といえば、孤高の人というイメージがある。かれの事績を検討していえるのは、ひらたくいえば、清濁併せのむということのできない人。こういう人は組織の中でのし上がったり、組織を拡大することにはむかない。党を割り組織を去る。業界では敬遠される。それは日本人がもっともおそれ、なんとしても回避したい事態といえる。だが福田恆存は孤独をかくべつ忌避しないばかりか、人の和を乱し、忖度をひかえて他者を批判する。それが自分にあたえられた使命であるとさえみなしていたふしがある。孤高と貴族主義――それは、かれがみずからに課したものだ。

 そのせいか福田恆存はことあるごとに、人間は徹底的に孤独である、と強調する。「人と人のあいだに架ける橋はない」と。それゆえに、かれを論じた文書には、孤独感ということがかならず言及されている。が、その意味することを根本的に論じた批評を私はいまだ読んだことがない。
 だが、この「孤独」というテーマは、福田恆存の人間観・世界観の根本から直接発した切実な問題である。

 そこで私は、まずこの「孤独」というテーマを入口として、福田恆存の精神世界へと入ってゆこうとおもう。 

福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。