福田恆存を勝手に体系化する18 自由・その本質
「二つの自由概念」
アイザィア・バーリン「二つの自由概念」という、おそらく現代自由論の古典に数えられる論文がある。現在ではあまり言及されることもなくなったが、福田恆存が活動していた当時、広く読まれ、さかんに論及されていた。
バーリンはその中で、題名が示すように「自由」の概念を二つに分けていて、そこが注目を集めた理由である。この分類法はいまだにしばしばもちだされるのだが、一つは消極的自由、もう一つは積極的自由と定義されている。前者は「××からの自由」 後者は「××への自由」と記述される。〈「二つの自由概念」生松敬三訳)
消極的自由とは、J・S・ミルの古典的述作「自由論」にあるような、「国家や他のいかなる権威も足をふみこむことを許されない私的生活の範囲」を確保することを意味している。つまり、他者による拘束、抑圧からの自由といえよう。そこで想定されている抑圧者はおもに、政治権力だ。
積極的自由は、「ひとが自分自身の主人であることに存する自由」とされている。「決定されるのではなくて、みずから決定を下し、自分で方向を与える行為者でありたい」という願望に依拠する。「××への自由」の場合、そこに入る「××」は個人の任意である。
一見して、政治的自由と精神的自由の区別とおもえるが、そうではない――そう誤解する人も少なからずいるだろう。
バーリンはいずれも政治的自由の枠内で語っている。自由の分類は、精神の課題ではなく、あくまで政治理論として探究されているので、かなり込み入ったものとなっていて、ちょっと解りにくいところがある。
それというのも、バーリンのしめす自由の分類をみて、ともするとわれわれは「積極的自由」が「消極的自由」の上位にある真理であると早とちりしてしまいがちだとおもうが、じつはそうではない。
たとえば、専制政治のもとにおいても自由がないとはいえないとバーリンはいい、フリードリヒ大王やヨーゼフ二世の治下においては、択ばれた少数者には、制度や慣習の圧力は民主主義国におけるよりも軽減されていた、とのべている。だがこうした自由は、それがどれほど寛容なものであれ、「デモクラシーないしは自治とつながっていない」という理由から、「消極的自由」と規定される。
ということは、「積極的自由」とは「デモクラシーないしは自治」をめざすものということになる。結局「××への自由」の「××」は「主権」ではないか。しかも、「積極的自由」の意味を理解しえない人びとは、かれらが意識していないにせよ、それがかれらの真の自由を獲得するための最良の選択であるという名目で、自覚せる指導者によって事実上強制され抑圧されてきたと、バーリンはのべている。その場合の指導者として、カントやヘーゲル、マルクスらが手厳しく批判されている。
カントは人間に理性にしたがう自律的存在者であることをもとめているのだが、そのカントにして、その自由が理性的ならざるものであるならば、それを法が規制するのはなんら不合理ではないとしていることに、バーリンは異議を申し立てている。
カントにかぎらず、将来の唯一あるべき自由な社会を実現するという大義にもとづいて「消極的自由」が踏みにじられるという事象が近代史に繰り返しあらわれてきたと、バーリンは倦むことなく批判の矢を射ている。「積極的自由」のための戦いは、しばしば「大多数の人間を抑圧し、隷従させ、絶滅」させた、と。
かれは、ホッブズ、ロック、ミル、バークの血筋をひく経験論者なのである。それは観念論者への手厳しい非難としてあらわれている。ルソーに対しても、「(革命後の)自由の法律は圧制の軛よりもはるかに峻厳なものであらん」という言葉をとりあげて、それは「自由の拡大ではなく、隷従の重荷を移動させた」だけだと批判している。
要するに、それが最高の理性によるものであろうと、「一般意思」あるいは、人民による革命政府やプロレタリアート独裁によるものであろうと、人を強制し抑圧することになんら変わりはない、誰がその主体であろうと、それは自由の侵害であると、バーリンは主張している。「積極的自由」は一利のために百害をもたらすものだというのだ。
「なんぴとも決して越えることの許されぬ自由の境界線の厳存するような社会をうちたてなければならない」というのが、かれの最終的なメッセージであり、それはミルの精神を正統に継承するものである。バーリンにしたがえば、社会理論としての自由は、「消極的自由」の確保につきるのだ。
この論文には頻繁にミルの思想が引用され、また批判的ですらあるのだが、言外にバーリンのミルに対する深い敬意があふれている。
福田恆存もまた、社会科学批判を展開した中村雄二郎との対談で、「ミルの精神に還れ」とのべていて、私は意外な名前に驚いたことをおぼえている。おもうに、二人が敬愛をよせるミルの偉大さは、その思想内容というより、自己の理論に現実を仕えさせることを絶対的に拒否した姿勢にあるのだろう。それは並はずれて誠実で清潔な精神によってのみなしうる稀有な偉業である。
これまでのところをまとめると、政治的な現実において、人はちっとも自由ではないということになる。「自由社会」とはいえ、それは一定の自由の制限を前提とすることで成立するものであり、いささかも自然発生的なものではなく、制約条件を共有することで見いだされ、歴史的に少しづつ創りあげられてきたものである。
ただ、たしかにバーリンのように歴史的現象として自由を経験的に捕捉することも大切ではあるが、それに先行するものとして、自由というものの本質も考えられなければならない。独断論から発する積極的自由に対するバーリンの批判も、そうしたレベルの思考からなされなければ、根本的な批判とはならないからだ。そこに経験論というものの現実主義的限界がある。
「消極的自由」においてしか自由の意味を見いだせないというところに、歪んだ近代精神の病理があるなら、それを考察するためにも、政治的なものと区別された、精神の自由についての洞察が必要となる。
ギリシャ末期の自由とストア派のパラドクス
自由には二つの側面がある。
一つは、社会慣習や制度、法体系によって保障される自由。もう一つは、たとえそういうものを外部からあたえらない場合においても、それでも独力で確保しなければならない自由である。
私にいわせれば、これこそが「消極的自由」と「積極的自由」の本来的な区別である。
後者が「積極的自由」であるのは、それが個人の主体性・自律性を根拠としているからだ。ペリクレスの「自由の気風」がまさにこれにあたる。
そこで、その「自由の気風」が廃れてしまったギリシャ世界で、自由がどのように変容したか見ておくのもムダではないだろう。
次の犬儒派ディオゲネスのエピソードは誰もが知るものであろう。
アレクサンドロスがギリシャを統一すると、かれのもとには面会をもとめる多くの高名の士が集まった。だが、ディオゲネスは訪ねて来なかった。コリントスに来たアレクサンドロスは好奇心を起こして、ディオゲネスのもとにおもむいた。
ディオゲネスは日向ぼっこをしていた。自分の前に立つ人物を見ても、まったく知らぬ顔をしている。しびれをきらした大王はいった。
――私はアレクサンドロスだ。
――私はディオゲネスだ。
――お前は私が怖くないのか。
――あんたは悪人かね?
――悪い人間ではない。
――それなら、どこに怖れる理由がある。
予想外の返答に窮したアレクサンドロスは、最後にこういった。
――私に何かしてほしいことはないか。
――そこをどいてもらいたい。せっかくの日光浴が日陰になって台無しだ。
絶大な権力をもつアレクサンドロスを前にして、ディオゲネスはへりくだることも、怖れることも、何かをもとめることもしなかった。というより、かれは他者に何も期待せぬからこそ、何ものも懼れぬ態度を保持できたのだ。こうしたシニシズムはのちのストイシズムにうけつがれた。
ストア派の人びとは、自己の外部で何が起ころうとも、それに自分が乱されることなく、内面の自由を守って生きることを格率とした。外部の事象は自己の能力では制御できないままならぬものであるから、かれらは自己の内部につくった要塞に閉じこもる選択をすることで、不確定の要素に惑わされることなく、自己の自由が確保しうると考えた。諸悪の根源は、自分がコントロールできぬものをできると勘違いすることにある。
ここでもまた、外部の条件に何も期待しなければ失望することも無いという思想がつらぬかれている。
その結果、自己の能力では統御できない事象をかれらは甘んじて受け入れる。つまり、かれらは外部の力にすすんで隷従する。その上で、そうした隷属の必然性を正確に認識しうることが、かれらにのこされた最後にして唯一の自由の拠点となる。外部の現実への隷属がすなわち自由なのだというストイックのパラドクスがそこにある。
それは「消極的自由」を極限まで縮小することで「積極的自由」に転じようとする試みだった。たんにあたえられものとしての消極的なものから、自己の責任と選択において得られる自由への転換がめざされていた。
福田恆存はストア派のパラドクスについて、「かれらは、人生を、その幸福を、自由か自由でないかといふ単一原理にまで絞りあげ、それによつて制御しようとする」といい、それは「かれらにとつて、自由こそ最高原理であつたからだ」とのべている。
ストイックの倫理は、みずからのパースペクティヴをミニマムなサイズにまで切り詰めて、そこにあらわれる事象を最小限に制限することにある。そこから純度の高い自由を絞りだそうとするのだ。みずからのパースペクティヴから共生の次元を閉ざし、集団的自我を拘束することが理想の状態となる。しかしそれでは、その延長線上に想定されるのは、外部の事象を完全に遮断する行為――究極の自由としての、自殺という生の扼殺である。
みずからのうちに光をもとめようとする思想は、例外なく、生の否定へと道を通じている。
自由とエゴイズム
自由を価値とする思想を、福田恆存は否定する。それは自由そのものの否定ではない。
自由はエゴイズムに起源をもつ。「消極的自由」は外的権力による抑圧からの自由であるが、それを主体的に確保しようともくろむ「積極的自由」は、結局のところ、バーリンも認めているように、「特権階級への昇格を目ざさざるをえない」ものでしかない。要するにそれらは、「消極的エゴイズム」と「積極的エゴイズム」といいかえても差し支えないのだ。
自由を理想とすることは、手放しの自己肯定と現実追認に帰着し、そこから正義や善、美へとつながる通路は存在しない。
問題は、自由を問題とする場合、ことに現代においては、もっぱら政治権力や国家体制、経済、法制度、慣習、世間の良識など、拘束の主体を自己の外部に見いだすことにある。
ディオゲネスの挿話を思い出していただきたい。大王アレクサンドロスは最高の権力を手中におさめ、最大の自由を享受していたにもかかわらず、たった一人の老哲学者を前に、自己の「独裁的権力欲」を誇示せざるをえなかったのである。
自由とは生の理想ではなく生の現実である。何でもできる自由でもなければ、何もしなくてよいという自由でもない。
生きるということは、何かを選択し何かを行うことであり、それを自己の責任において、自己の判断にもとづいて判断しなければならない――それが本来の意味における自由である。すなわち、自由は私のパースペクティヴに属する一つの性格なのである。それは目的とするものではなく、人間に課された根本的現実である。
自由とは人間にとって負担であり、重荷なのだ。そこからのがれる自由はない。
私は、自己のパースペクティヴの中心にピンで止められている。、私はみずからのパースペクティヴに拘束されている存在者である。そこにはさまざまな事物が現象し生起する。私はそれらを目視することができるが、私がそこから脱け出して振り返り、外部から自分自身を眺めるということだけは許されていない。したがって、何かを判断しようとする時、もっとも不確定な要素は、じつは自分ということになる。
しかも始末に困るのは、私を衝き動かしている源泉である生命力は、私の地下世界深くにあるということなのだ。そしてそれはエゴイズムと不可分に一体をなしている。目に見えるエゴイズムなんてたかが知れている。手に負えないのは、そういう意識下で蠢いているエゴイズムだ。
自由における真の意味とは何か
私のデスクの前には、ここ二十年来貼り付けられている紙片がある。それは福田恆存が文化大革命のさなか、郭沫若へ再反論した文章の抜粋である。郭沫若は中国文壇の親玉であり、共産党政府の幹部でもあった。
文化大革命はいまでこそ、毛沢東が権力奪取のために起こした大規模テロをふくむ「内戦」であると理解されているが、当時は、長いこと、先進国の知識人の間では歴史的快挙として賛美されていたのである。「造反有理」というスローガンの下に、中国全土で私刑が横行し、世界的にみとめられていた作家・老舎も「反動分子」とみなされて命を落とした。のべ数千万の人命が失われたといわれている。
それでも、毛沢東の行為は理想を志向するものとして肯定されていた。YМОだって、紅衛兵の自民服を着ていたのだ。そういう時代である。
そうした情勢下、中国全人代の大会で、常務副委員長の郭沫若は、自分の過誤を認め公開の場で自己批判をした。「現在の基準では私の著作は絶対的に無価値であり、焼きつくさるべきものである」毛沢東の指示に忠実でなかった自分は「労農兵のうしろに遠く落伍してしまつた」「もし帝国主義者がわれわれを攻撃するなら、私にこそ手榴弾を投げつけよ」
それを報じた新聞記事に接した福田恆存は、自身の全著作の焚書を主張することは誠実の証しではないどころか、「完全な自己抹殺にほかなら」ず、さらには自分の読者や支持者を「冷酷にも裏切った」無責任な行為だと郭沫若を厳しく批判した。「恐怖政治も恐ろしいが、郭氏の無責任にうかがへる道徳的頽廃の方が一層恐ろしい」〈全体としては、郭沫若に対する同情もふくまれているのだが〉〈朝日新聞〉
要するに福田恆存は、目に見える毛沢東の恐怖政治よりも、意識下にあって動いているエゴイズムの方が、敵として「一層恐ろしい」とのべているのである。というのも、そういう目に見えない自己のエゴイズムの在りかを問うことなく、外部の条件に自由の根拠を帰することは、それもまた「道徳的頽廃」であるからだ。独裁者や全体主義を批判する単細胞な自由主義者もまた、その点では、同じ穴のムジナでしかない。福田恆存の批判は郭沫若個人の責任を問うものでありながら、政治的状況を超えてわれわれ自身へと還ってくるものなのだ。
さあ、これに鋭く反応した郭沫若は、北京におけるアジア・アフリカ作家会議の席上において、福田恆存の一文にはげしく反論した。
かれは自己批判のおかげで、「自己抹殺」のトレードオフとして、身の安全と地位を確保できたのである。手のひらを返したように意気軒昂なのはそのせいだ。
私が貼り付けて毎日ながめている言葉は、それにたいする再批判のうちにある。自由の逆説的な本質が明確に語られている。
これまで二回にわたって見てきたように、底を割ってみれば、自由の社会理論はいたってシンプルなものだ。誰もが政治に参与しうることと、法の支配にしたがうこと、この二つのバランスを維持する社会の構築である。
問題を混乱させているのは、そこから個人の自由を抽出することにある。個人の自由の中には、他人を中傷し、もしくは危害をくわえる自由、さらには自由そのものを否定する自由をもふくむことが、理論上想定される。それを抑制するのが法の支配なのだが、それさえ拒む自由というものも考えられる。
しかしそうした「悪」を統制することは自由の否定であり、したがってその正当性は自由の原理から導出しうるものでは到底なく、厳密にいえば、むしろ背理として論理の一貫性・同一性を破壊し、自由の原理に根本的な論理矛盾を起こさしめる要素となる。自由主義とは、そういう自己矛盾と背理をうちにかかえた政治思想なのだ。
私が毎日見つめる福田恆存の言葉は、いつも私に光明と勇気をもたらしてくれる。
自由を価値とみなし、それを目的化して際限なく追求することの将来に待っているものは、陰惨な自己破壊である。だがわれわれには自由のありかたを選択し、ある場合には、自由を棄てる自由がある。たとえどのような限界状況にあろうとも、自己のエゴイズムと闘う自由がある。そしてその決意と判断は、けっして自由の原理からは出てこないものなのだ。
自由とは人間存在の根本的現実である。それ自体は価値でも理想でもない。しかしながらわれわれは、この根本的な現実にあるからこそ、倫理性をもつのである。
福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。