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這い上がり

4歳のときに叔父から性的虐待を受ける、幼い頃から母親から虐待を受ける(物置きに閉じ込められるのは日常茶飯事、2階から宙吊り、真冬の吹雪の夜に裸で放り投げられる、毎日お風呂では体を爪でつねられる、顔が腫れるほど殴られるのは日常茶飯事)、叔母や母親、兄からからバカだ、頭が悪い、何もできないと否定され続ける、小中高と虐めに遭う、高校の時のあだ名はヤリマン、高校卒業後就職するも勤務先で性の対象にしかならず社会に居場所がないので夜の世界へ、19歳のとき付き合った男に借金を背負わされソープランドに沈められ、19までに散々周りにバカにされ蓄積したものが溢れ出して精神疾患になる。眠剤や抗うつ剤に依存し、虐められ自分醜いと思い込んでいたので拒食症になり激痩せしたのでその勢いでモデルになり、その勢いで有名繁華街の有名なお店でナンバーワンになる。激務に心身が持たなくなり閉鎖病棟に入院、退院後社会復帰のため介護の仕事をするも先輩に虐められ退職、やはり社会に居場所がないとその後はストリッパーをしてみたり、風俗に戻ってみたり、ふらふらし、26歳で出会った人と結婚。子供に恵まれたがDVのため離婚。結婚生活で精神がさらにおかしくなり精神科にお世話になりっぱなし、薬に依存し、生きにくいためまた風俗へ。長生きしないだろうと体を酷使して自分を虐め、有名になり稼ぐことでしか生きてる実感が持てなくなり、ひたすら働くうちに有名嬢になる。そのうち体がおかしくなり、食べられなくなり始めとうとう先が見えなくなった頃に出会ったお客さんを好きになり風俗を完全引退。彼に引き上げられ、本来の自分の精神と肉体を3年かけて取り戻し、やっとまともに生きられるかもと思ったところで難病が判明し、右手が不自由になった。強い薬を使いたくないので治療を拒否してこの体で生き続けることに決めた。右手が不自由なのを隠してコールセンターに就職し社会復帰を果たす、離れて暮らしていた子供と暮らし始める。

ものすごく端折ったけれど、わたしの今までの人生だ。
まともに生きられて幸せな瞬間なんてなかった。いつも不安でさみしくて、誰かに笑われていて、自分はだめで惨めで最底辺の人間だと思っていた。

でも這い上がるうちに、それらは周りにインプットされたものでインプットされたものを自分がバカ正直に信じ込んで採用していたから、それを自分だと自分までもが決めてしまったからだと気づき始めた。

何なら今までのわたしは誰かや自分によって作り出された幻だった。
だからわたしはまた自分を一から構築した。健康で、穏やかで、人に好かれて、人が好きで、何でも平均的にこなせる自分を採用した。

ポジティブな思考はポジティブな細胞を作り出すらしい。その繰り返しがポジティブな脳、肉体そのもの、やがてはポジティブな人生を作り出していくらしい。

今から1年くらい前からわたしは引き寄せなるものを真剣に勉強した。日々の思考に採用した。他の情報を徹底的に排除して、ポジティブなものだけ見て聴くようにした。もともと暇つぶしでニュースやSNSを見ることはしていなかったけれど、更に気をつけた。
毎日毎日瞑想したり、アファメーションを繰り返したり、猛烈にトイレ掃除したり、ありがとうを唱えたりした。

もともと精神世界の住人だったし、神がいる世界に生きていたので修行みたいな毎日を過ごすことは苦痛ではなくむしろ清々しかった。
自分の心が感謝や幸せで溢れることこそが幸せであり、生きている感じがした。

生まれて初めて生きているような感覚。
わたしを虐待した母親にすら優しくできて感謝ができた。なので接する人皆に穏やかに接することができる。わたしの世界は途端に平和になった。
自分が世界そのものとはこういうことかと思った。

就職した会社で仕事が続けられるよう頑張った。頑張ったとは言いたくないけれど。人生の大半を水商売や風俗で過ごしてきたわたしはどう振る舞うのが普通なのか、正解なのかわからない。何を着ていって、どんなふうに振る舞えば風俗で生きてきたことを気づかれなくて済むだろうかとノイローゼになりそうなくらい悩んだりもした。とにかく適応できるよう、歯を食いしばって頑張った。同じ水を飲んでいたら体が変わるように、そこに居続けたらわたしの細胞が勝手に適応してくれる、だからわたしは毎日会社に行って、よくわからなくてもひたらすらそこにいて自分がやるべきことを100点でこなせなくてもやるしかない、それしかない、だから夜はよく寝て、朝は何も考えず無理やりネガティブな思考を止めて、朝早くから支度をして、とにかく電車に乗った。わたしという自我ができることはこの肉体を会社に運ぶことだけだった。会社にたどり着けばやるしかないので一日が勝手に過ぎてゆく。退勤したらまた自分の肉体を自宅に連れ帰る、そして寝る、眠れなくても寝る。その繰り返しをするうちに1ヶ月半が経過した。
わたしは本採用になり、最初の必死感も徐々に薄れ、何とかやっていけそうと思えるまでになった。
精神も肉体も人生初の穏やかさを得て、わたしは幸せだった。子供も安心してそばに居てくれる、感謝しかなかった。

でも何故かわたしが立ち直るきっかけをもたらしてくれた彼の心が離れてしまった。
わたしが変わったから、今までの関係は続けられないようだった。彼には家庭がある。自分の家庭を省みたくなったのが先なのか、わたしとの居心地がわるくなったのが先なのかはわからない。
それは彼の世界の出来事だから、わたしには操作ができない。
3年も一緒にいて、とても好きだったから心がちぎれそうに痛かった。どうして穏やかになったはずのわたしが大好きな彼にとっては癒しではなくなってしまったんだいう。何をしたら、何が変われば彼の気持ちは戻るんだろう。悩んでも悩んでも答えなんか出なかった。

わたしが生き直すにあたって、こっちだよと紐をつけて引っ張ってガイドしてくれたはずなのに。彼だってわたしが健康になることを望んでくれていたのに、どうして今のわたしは彼に愛されなくなってしまったんだろう。

何を見ても何を食べても彼との思い出しかなくて、毎日泣いた。

奥さんは彼に愛されてるのかなあ、わたしが奥さんになりたかったなあ、奥さんよりわたしの方が彼を愛してるのに、どうしてだろう。どうして彼の生活にわたしはいないんだろう。

彼の望む幸せって、たどり着きたい場所ってどこなんだろう。それが重なることはないのかな。そんなことばかり毎日毎日考える。

彼もまた被虐待児だった。一生懸命生き抜いてきたわたし達が出会って支え合った先に、一緒になる幸せはないのか、あるのか、生まれる前に決めてきていることが今はわからない。
おじいちゃんにおばあちゃんになったら毎日穏やかに仲良く暮らすのが夢だった。毎日彼のために食事を作って、掃除洗濯をして、天気のいい日は散歩して、雨や雪の日はお菓子作りをしたり、手の込んだものを作って、穏やかに暮らしたかった。

このままずっと一緒にいてやがてはそうする予定だった。この先の未来はどうなるかわからない。また一緒にいられるようになるかもしれない。
でもこのさみしさや切なさとの付き合い方がわからない。毎日毎日一緒にいて、彼の肉体が自分の肉体同然だった。自分の顔より見慣れていて愛おしい彼の顔や体が見れない、触れられない。

愛し合っていたらそばにいられると思っていた。
自分が健康で幸せで仕事ができて、それで生活ができて、そのうえ好きな人と一緒にいる幸せもあってはいけないのと悩んだ。

彼はどうしたら幸せなんだろう。何が彼の心を慰めたり癒すんだろう。わたしにその力はもうないのかな。

どうしたら一緒にいられるんだろう。

頑張って頑張って這い上がったのに、這い上がれば這い上がるほど褒めてもらえると思ったから頑張ったのに、一番大事な彼がそばにいない。

今日も答えは出ないし、彼の顔も見られないけど彼がどうか穏やかで無事でありますようにと祈るだけがわたしにできること。

悲しいかな、彼が奥さんと幸せになってほしいと願えるほどの寛容さはわたしにはまだない。






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