雨野みな

虐待、いじめ、トラウマサバイバー 。 親族からの身体、精神的虐待、性的虐待、小中高での…

雨野みな

虐待、いじめ、トラウマサバイバー 。 親族からの身体、精神的虐待、性的虐待、小中高でのいじめにより精神を病む。 解離性同一性障害(寛解)発達障害、複雑性PTSD 立ち直る日がくるまで人生を諦めない。

最近の記事

もうすぐ社会復帰して2ヶ月。1日に何度も、朝起きて仕事に行くことやこの生活を続けることに対して全然覚悟できていないと思う。どうなるんだろうって考えそうになると、筋肉つけてる途中だから大丈夫と言い聞かせる。大丈夫そうに見える人も、きっと同じ気持ちのはず。絶対に大丈夫。

    • 這い上がり

      4歳のときに叔父から性的虐待を受ける、幼い頃から母親から虐待を受ける(物置きに閉じ込められるのは日常茶飯事、2階から宙吊り、真冬の吹雪の夜に裸で放り投げられる、毎日お風呂では体を爪でつねられる、顔が腫れるほど殴られるのは日常茶飯事)、叔母や母親、兄からからバカだ、頭が悪い、何もできないと否定され続ける、小中高と虐めに遭う、高校の時のあだ名はヤリマン、高校卒業後就職するも勤務先で性の対象にしかならず社会に居場所がないので夜の世界へ、19歳のとき付き合った男に借金を背負わされソー

      • 社会復帰4日目。 会社で人に酔う、通勤の電車に酔う、研修についていけないかも、一般社会の人ってドライすぎる、やっていけそう、やっぱりやっていけなさそう、色んな気持ちになる。 でも会社帰りの駅までの道とか空気感が愛しいとか、そういうのは頑張らないと味わえなかった。今が全て。

        • 解離性同一性障害、複雑性PTSDを寛解した元風俗嬢が本気で社会復帰を試みるその1

          わたしは現在46歳、26年振りの社会復帰を試みている。44歳で今もお付き合いしている彼と出会ったことをきっかけに何とか風俗業界を引退し、約3年かけて普通の生活をすることや、自分が抱えていた心身の問題と向き合って折り合いをつけてきた。解離性同一性障害であること、複雑性PTSDであること、1年前には難病を患っていたことまで判明した。こうして書いているとなかなかハードな人生設定をして生まれてきた自分はマゾヒストなんだろうかと笑ってしまう。 解離性同一性障害や、複雑性PTSDから寛

        もうすぐ社会復帰して2ヶ月。1日に何度も、朝起きて仕事に行くことやこの生活を続けることに対して全然覚悟できていないと思う。どうなるんだろうって考えそうになると、筋肉つけてる途中だから大丈夫と言い聞かせる。大丈夫そうに見える人も、きっと同じ気持ちのはず。絶対に大丈夫。

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          解離性同一性障害が寛解したら人生一から経験し直しになった話

          解離性同一性障害について書いてみる。 わたしは両親から、特に母から「あんたは多重人格」とよく言われてきた。言われ始めたのはたしか高校を卒業する頃からだと思う。当のわたしは何を言ってるんだろう、多重人格って人格が入れ替わると記憶がなくなるやつでしょう、記憶がないことなんかない、と言われたことを不愉快に感じていた。多重人格とは小学生の頃読んだダニエル・キイスの「五番目のサリー」の中でサリーが悩まされたようなものだと決めつけていた。 自分の解離について冷静に考えられるようになった

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          風俗で働いていたわたしが複雑性PTSDから立ち直り断薬したきっかけは普通の恋愛だった

          狂った世界に長らく住んでいた。 25年間飲み続けた抗うつ剤や眠剤や安定剤や発達障害の薬をやめて目が覚めて正気になった今、よくあんな世界で生きてきたね、お疲れ様だったねと思う。 社会に居場所が見つからなかったわたしは長い間風俗業界で生きてきた。トラウマからくる精神疾患と20年以上闘った。複雑性PTSDだとわかったのはここ1年、自分のおかしさにきちんと原因があったとわかってから様々な段階を得て寛解に至った。 精神疾患持ちの自分はダメ人間だと思い込んできたわたしにとっては「明ら

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          風俗嬢がストーカー被害で家を失った話

          風俗からの引退を決意した頃、ストーカー被害により住む家を失った。 もともとストーカーがつきやすく、よく狙われてよく後をつけられていた。 キャバクラで仕事をした帰りに乗ったタクシーの後を車がつけてくるだとか、郵便受けに差出人のわからない手紙や花が入っているだとか、そんなことがよくあった。知らない男にスーパーで目が合うなり「みーつけた」と突然言われ逃げたこともある。日常的によくあったのと、職業柄そんなものかと思っていたのと、若かったからか、気持ち悪い、気味が悪いとは思ってもそれほ

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          複雑性PTSDが原因で人生の半分を風俗で過ごした話

          複雑性PTSDを抱えながら44歳になるまで風俗業界の第一線で働き続けた。 自分の自己肯定感の低さが虐めや虐待のトラウマからくるのか、風俗嬢という肩書きからくるのか、自分の性格なのか、何なのかわからなくなっていた。つい2年前までの最近のことなので自分の心理状態をよく覚えている。 引退を決意した頃、わたしは全国的に少し名の知れた有名嬢になっていた。なりたくてなったわけではない、売れないと生きてる資格がないと本気で思っていたから死ぬ気で売れるような仕事をした。 売れるために写メ日

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          44年後の光

          0歳、この世に生まれる、いつから始まったのか母親と同居する叔母からの虐待。4歳、叔父からの性的虐待。5歳、兄からの暴力、近所の子からの虐め、いつも一人でいた。6歳、小学生になる。大人の男の人がこわくて学校に行くことが吐き気がするほど嫌だった。学校から帰ってくると世界に絶望して一人で泣いていた。周りは敵だらけ、この世は既に残酷だった。 母親がわたしをきれいに着飾らせるのも手伝って目立って変な子だった。目立つのに喋らない、同調できない、大人の味方も子供の味方もいなかった。 いつも

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