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未来を託せる子どもたちを育む地、下田

まだまだ寒い1月中旬の早朝。
しっかり防寒着を着込み、集合場所に向かいます。
今回私がお話を聞きに来たのは、
さいとうスクール∞R齊藤 武(サイトウ タケシ)先生。
さいとうスクール∞Rでは小中高生を対象とした学習塾、保育園児や幼稚園時児も通うスイミングスクール、それから今日のような自然体験活動等、多岐にわたる活動をしています。
学習塾では「先生」として、スイミングスクールでは「コーチ」として、自然体験活動では「タケちゃんマン」として、齊藤先生は子どもたちに引っ張りだこです。
今日はその齊藤先生の主催する、「1000年後の子どもたちにきれいな海をプレゼントしようプロジェクト」に参加しに来ました。

プロジェクトへの参加者はさいとうスクールに通う子どもたちが主で、たまに親子間での知り合いや、齊藤先生と活動を共にする伊豆半島ジオガイドの仲間たちが参加します。それからたまたま活動を見かけた地元の方もよく飛び入り参加してくれるのだとか。
本日の集合場所、玉泉寺駐車場に集まったのは、総勢15名くらいの親子と、伊豆半島ジオガイドの方々。
子どもたちは自分でゴミ袋を持ち、火ばさみを構えて準備万端。集合場所から浜に向かうまでの道でもゴミを見逃さず拾っていきます。

海岸ゴミ拾い1

そもそも、「1000年後の子どもたちにきれいな海をプレゼントしようプロジェクト」とは。2020年に始まった下田市内の浜をきれいにする、いわゆるビーチクリーンです。
下田の綺麗な海にも例外なく、大量の海洋ゴミが流れ着きます。なかでもプラスチックごみは分解に非常に長い年月がかかり、例えばペットボトルでは400年。釣り糸では600年もの間分解されずに海を漂うそうです。

「でも、それって、今この瞬間からごみを捨てなかったら、
1000年後の子どもたちはきれいな海を見られるってことなんですよ。」

このプロジェクトを始めた年、2020年は新型コロナウイルスによって世界中で忘れられない一年になりました。きっと1000年後の教科書にも載るであろうこの年に、齊藤先生は1000年後にその教科書を読む子どもたちのための活動を始めようと決めたのだといいます。

足元

もともと福岡県の北九州市が出身の斎藤先生は下田市の移住者。移住をする前は東京で働きながら、下田に通っていたのだそう。どうして下田に移住して学習塾を?と聞くと、返ってきたのは意外な返事でした。
「いや、最初は塾をやろうだなんて思っていなくて。実は陶芸家になりたくて下田に来たんです。」
当時陶芸家を目指していた齊藤先生は、21世紀が来たことを機に2001年、陶芸の師匠のいる下田に移り住みました。しかし、バブルの崩壊直後、景気も悪く陶芸家としてやっていくには厳しい状況です。師匠から「陶芸一本で食っていくのは難しい、他にも仕事を探せ。」との助言を受け、2004年に塾を設立。昼は陶芸家としての活動をしながら、夕方は子どもたちの勉強を見る。それがさいとうスクールの始まりだったといいます。

「フィールドワークというか、最初は子どもたちの息抜きだったんです。」

最初は陶芸活動と並行で始めた塾でしたが、だんだん軌道に乗り始め、結果的に塾が齊藤先生のメインの仕事となりました。
その時から度々、勉強の合間に外に遊びに行くようになりました。子どもたちの息抜きになればと思ったのです。
しかし、「魚の名前」や「虫の名前」、子どもたちに尋ねられても答えられないものが多く、これではいかんと一念発起。伊豆海洋自然塾で自分自身が伊豆の自然、海について学び、子どもたちへ教えられることの幅を広げました。

ゴミの分類議論

遊びを通した学びは子どもたちにも好評。最初は、「海に親しんでもらい、海を好きになってもらえたら。」程度の気持ちからはじめた自然体験学習でしたが、2012年にジオガイドをはじめてから、徐々に変わっていったといいます。

「まずは、『遊ぶ』。子どもたちの原体験のなかに下田は楽しいという気持ちがあれば、自ずと戻ってきてくれるのではないかなと思っています。」

ジオパークでの活動の基本理念にSDGs(Sustainable Development Goals)、持続可能な開発目標というものがあります。資源のことだけでなく、教育や人材についてもこれに当てはめることが可能です。
ただでさえ大学がないために、若い世代が外に流れていきやすい下田のまち。若い世代の担い手不足や、後継ぎの不足から下田の雇用と人口は減少していく一方です。これでは持続可能な地域社会が見えてきません。
齊藤先生の意識は、「子どもたちに地元への愛着を持ってもらうこと」、そして「下田で雇ってもらえる、起業できる人材を育てる」という方向にシフトしていきました。
私自身も過疎の進んだ地域で生まれ育ち、大人から「何もない」、「仕事もない」、そんな土地だと聞かされながら育ちました。
地元が楽しい場所であるということ、自然が豊かな地であるということ、この地に暮らす人たちがとても優しいということ。
地域に生まれ育ったほとんどの子どもたちは、きっとこのことを知らないまま地元から出て行ってしまいます。地元の魅力を教える先生が、子どもたちには必要だったのだと気が付かされました。

こんなに拾ったゴミ


「天城とは反対の方を向いて、海の向こうをみてほしい。
そうしたら世界が見えるから。」

下田は観光業のまち。それも関東圏からのお客さんが圧倒的に多く、つい天城を超えた先にある都心に目を向けがちです。「昔はこんなに下田から人がいなくなると思っていなかった。息子には勉強して、下田を出て、いい会社で働きなさい。そう伝えたけれど、今すごく後悔している。」齊藤先生が下田在住の方から聞いた話です。
また、一方で下田は開国の地。海の向こうは黒船がやってきた国だけじゃなく、どこの国とだって繋がっています。斎藤先生は下田の生活に溶け込む海を通して、日本国内だけでなく世界を意識できるような、そんな大人になってほしいと話しました。

「子どもたちを信頼して未来を託そう、
そう思ったからこのプロジェクトは始まったんです。」

ゴミを拾い、歴史の勉強をし、付近の避難場所までみんなで行ってこの日の活動は終了しました。後日、あらためてインタビューに伺った際、「1000年後の子どもたちにきれいな海をプレゼントしようプロジェクト」のきっかけとなった「伊豆急全線ウォークに子どもたちと参加した時のこと」を齊藤先生がお話ししてくれました。

玉泉寺で歴史の勉強

電車を乗り継ぎながら、
約10kmを歩くウォーキングイベント伊豆急全線ウォーク。
子どもたちと沿線を歩いている途中、大きな目立つゴミを見つけたそうです。しかし、まだ駅までの距離は遠く、これから上り坂が始まる地点。
目には入りましたがそのまま歩き続けようと齊藤先生が思った矢先、子どもたちが「ゴミがおちてる!」と自主的にゴミを拾い始めたそうです。
「わたしビニール袋持ってるよ」とゴミ袋になるものを用意する子や、よしきたといわんばかりに周囲のゴミを拾い始める子。
気が付けば子どもたちの拾ったゴミは両手いっぱいになっており、ながい上り坂を交代しながらゴミを持って、駅へたどり着いたのだといいます。
駅に着いてからも自主的に駅員さんに声をかけ、許可を取ってからごみを捨てている子どもたち。
齊藤先生は一連の流れをみて少し恥ずかしくなったと話してくれました。「この後上り坂だし」「持つのが大変だし」そうやって言い訳を考えてゴミを見なかったことにしようとした自分とは裏腹に、子どもたちは「ゴミは拾わなきゃ」その一心で動いたのですから。
しかし、恥ずかしくなったと同時に子どもたちの成長を感じました。信頼して未来を託せると思えたと齊藤先生はいいます。

近くの避難場所まで行ってみた


「1000年後の子どもたちにきれいな海をプレゼントしようプロジェクト」は、プロジェクトが始まったその日から1000年間、誰もゴミを捨てないことで成り立つプロジェクトです。
ただゴミを拾うだけでなく、ゴミを捨てないことを今の子どもたちに教えること。何よりも、その子どもたちを「次の世代にゴミを捨てないことを教えられる大人」に育てることがプロジェクトの大事な部分なのです。
この事例は2021年10月、島根県で行われる日本ジオパーク全国大会で発表される予定。
土日だったら子どもたちにも来させたかったんですけど、と言う齊藤先生の口ぶりからも子どもたちのことを信じ切っていることがよく伝わりました。

お疲れ様


現在齊藤先生が計画を進めているのは
地元市民向けの「ジオパークスクール」の開校。
ジオパークとして優れた自然遺産をもつ伊豆半島は、観光客向けの「ビジターセンター」はあるものの、地元市民がジオパークのことを学ぶ場所がなかったといいます。
自然豊かな土地があって、その上に築かれた文化がある。子どもたちに下田の土地を教えるのにジオパークはぴったりの教材です。
未来を託せる子どもたちを増やすため。「1000年後の子どもたちにきれいな海をプレゼントしようプロジェクト」実現のため。
今日も齊藤先生は「先生」として、「コーチ」として、「タケちゃんマン」として、子どもたちと楽しみながら勉強に励みます。


(ライター・写真/VILLAGE INC. 本間 千裕)

さいとうスクール∞R
代表:齊藤 武
ブログ:http://saitoschool.livedoor.blog/
facebook:https://www.facebook.com/takeshi.saito.56829446
連絡先:saitoschool@yahoo.co.jp


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