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宛てのない散歩

※今日はとりとめのない文章しか書けていないので、興味がないという方は読み飛ばしていただいて構わない。



私は、なんの目的もなく外出するということができない。

たとえば本屋をぶらぶらするとか、ある店でウィンドウショッピングをするとか、飲み物を買いに行くとか、なにか一つでいい、はっきりとした目的がないと、どうしても外出する気になれない。

私の母は目的もなく外をぶらぶらすることが好きな人だった。私は対照的にこんな質なので、よくぶらぶらしに行く母の背を見送ったものだった。今では母は外出もままならない身体になってしまったが、今でもどこかに行きたいという気持ちだけは持っていることだろう。

家にいてもだいたいの場合はやれることがあって、それはゲームだったり読書だったりするのだが、今日はあいにくやりたいゲームがないし、読書はどうにも気が進まない。はて、どうしたものかと困ってしまった。

遠出するのでもいいが、行ってみようかな、と思った場所は残念ながら軒並み都内なのである。それは某水族館であったり某喫茶店だったりするのだが、詳しい場所は言わないでおく。

じゃあせっかくなら後回しにしていたことをしようと考えて、今日は取り込んでいなかったCDを取り込んだりメモしていなかったレシピをひたすら書き写したりしていた。おかげでそちらは終わったものの、やはり時間は大幅に余った。



私はつい最近まで、ヒマだなと感じることがなかった。いつもなにか、やらなければならないことに追われている気がしていたのだ。そして実際問題、やらなければならないことは山積みだった。

三月始めに休職してから、そんな焦燥感のようなものは薄れつつある。朝は早起きしなくてもいいし、料理は作り置きしなくてもいい。休みの日にやることをリストアップしなくてもいい。なにもかもいいことずくめだ。

頭の中が常にひたひたの熱湯に浸かっているような感覚は、今はもうなくなった。だがその代わり、心は磨り減ってしまったんだろう。今まで鮮明に浮かび上がっていた思考はだいぶ不鮮明に、靄の向こうに隠れてしまった気がする。

いつか以前のように、はっきりとした思考を取り戻すことができるだろうか。回復までの道のりはまだまだ長いだろうが、今は一歩一歩着実に、できることをやっていこうと思う。

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