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人と向き合うこと

(メインブログ「神様達と共に」で2013年3月30日に公開された「人と向き合うこと」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)

うーん・・・大事なことだと思うのですが、なかなか筆が進まない内容があります。

それは「人と向き合うこと」についてです。


これは僕なりに実践していることで・・・いろいろ自分なりのノウハウがあるのですが、なーんか人様にシェアするのは違うんじゃないかなぁ~って思っています(´Д`)

なぜなのかは、ちょっとわからないのですが・・・なんとなーくそんな感じなのですよ。


で、先ほど試しに自分なりの「人と向き合うこと」について記事を書いてみたのですが、つまんなかったです(笑)

やっぱり、書いてて僕が楽しくないと読者さんも楽しくないだろうなぁとは思います(´ω`)

まぁ、それでも情報として有効なものならよいのかもしれませんが・・・漫画家というか、一表現者としては、少なくともこちらの心が前向きに感じる表現をするのは大切だろうなぁって思うのです。


さて・・・ということで、自分の考えをシェアする前に、このブログのアドバイザーであるあるじと「人と向き合うこと」について話し合ってみようと思います。

あるじぃ~(* ̄Oノ ̄*)


あるじ「うむ・・・まぁよかろう。

お前の言いたいこともわかる。

このような表現(ブログなど)は堅くなってはつまらんものだ。

だが・・・お前がどうしたいのか?

それが一番大切ではないのかな?

ワシが見るに・・・お前はまだそのことについて・・・自分がどうしたいのか明確になっていない。

それ故に・・・モチベーションが乗った文章が書けないのだよ。

それは・・・多くの精神世界に関わる者が抱えているジレンマでもある。

『人と向き合うこと』の重要性は・・・誰もが心で感じていること。

だが・・・それを発すれば一面的な理解を他人に押し付けること・・・そうではなくても・・・自分という限られた範囲内の理解で・・・他人を導くということになってしまう。

それ故に・・・まずはより普遍的な『ワンネス』であり・・・『癒し』であり・・・『幸福』などが入り口にふさわしいのだろう。

より複雑な説明と対応が必要な・・・人間関係については・・・活字ではとても説明しきれないというわけだ。

だが・・・本当にそうだろうか?

ワシはそうは思わない。

大切なのは・・・発している者がいかに重要な部分に気付き・・・それを深めてきたかであろう。

『自分と向き合うこと』と同じ様に・・・『人と向き合うこと』にも・・・おさえるべき要点があるのだよ。

お前は・・・それがまだハッキリとは見えていないようだ。

だから・・・まずはこうしてワシと談義を深めることが肝要なのだろうな。」


あ~・・・なるほど・・・たしかにねぇ。

僕的には、どちらかというと「人と向き合うこと」よりも、「自分と向き合うこと」の方が得意なのですよね(´Д`)

それ故に、筆が進まないという部分もあるのかなぁと思います。


あるじ「それ故に・・・お前には『人と向き合うこと』を挑戦させる出来事が数多く起こってきたな。」


ははは(笑)

まー、20代の頃は自分と向き合ってばかりでしたが、30代になってからはそうですねぇ(^▽^;)

30代は自分と向き合いながらも、人と向き合ってばかりいた記憶があります。


あるじ「それで・・・お前はどう感じているのだ?」


どうって・・・。

やっぱり・・・『自分と向き合うこと』と同じくらい『人と向き合うこと』は大切だと思います。

自分一人では、何かエネルギーが停滞していくといいますか・・・だんだんエネルギーが籠っていくのですよ。

でも、目の前の人の気持ちを大切にして・・・それでいて自分も素直に心を表現していくと、徐々にエネルギーが開放されていって、表現することが楽しくなっていきます。

素直に表現することは、最初は怖かったり、勇気が必要なことが多いですが・・・慣れていくと徐々に『表現そのもの』が楽しくなっていくんです(^^)

女性がおしゃべりが好きなのは、そういうことなのだろうと思いますが、男もそういうことは可能なのだって僕は実感していますよ(笑)


あるじ「うむ・・・悪くないシェアだな。

お前の言うとおり・・・心を発することはそれ自体が楽しく・・・幸せなものよ。

そのためには・・・ありのままの自分を表現し・・・それを否定せずに受け止めてくれる仲間やパートナーがいることが大切なことだな。

時に・・・ぶつかっていくことは・・・その様な仲間作りには欠かせないことだろう。

表面的に顔色をうかがっていては・・・いつまで経っても表現する喜びを味わうことはできない。

できるだけ本音を発し・・・その上で・・・相手を否定せずに受け止める。

人と向き合うというのは・・・つまりそういうことではないかな?」


ああ~!( ロ) ゚ ゚

その通りですね(´Д`)

僕が自分で記事を書こうと思ったら、全然書けなかったことを、あるじは簡単にまとめてくれました(笑)

なるほどぉ・・・要点は『できるだけ本音を発し、その上で、相手を否定せずに受け止める』ということですね(^^)

やっぱり本音は”できるだけ”でいいのかな?


あるじ「相手の立場・・・心の状態・・・自分の状況など・・・さまざまな要素を把握した時に・・・何が優先されるべきか・・・その時によって異なるだろう。

例えば・・・こちらの本音が『怒り』だとして・・・それを素直にぶつけて受け止められる相手と・・・そうでない相手がいる。

その辺の見極めも・・・時に大切だな。」


ははぁ・・・怒りをストレートに出すよりも・・・自分で消化してから、時間を開けて落ち着いて伝えた方がいい場合もあるということですねぇ。


あるじ「さよう。

全てはケースバイケースよ。

他にも立場的なものや・・・言葉の間合いなどの細やかな状況によっても対応は異なってくるだろう。」


うーん・・・そう考えると、やっぱり『人と向き合うこと』って、言葉では伝えづらいんじゃないでしょうかねぇ(´ω`)

でも、僕はこの分野、超大切だと思うんですよぉ。

どうしたらいいんでしょう?


あるじ「『こういうもの』という伝え方をしなければよかろう。

それ故に・・・このような談義形式が望ましいわけだ。

読み手は・・・ワシらの話し合いの中から・・・必要だと思う部分だけを参考にすればいい。

あとの部分は・・・ワシら同士の話し合いだと思えばいいわけだ。」


あ~、そういうことですね。

やっぱり、僕が体系的にまとめようとすると、『こういうもの』ってカッチリしたものになっちゃうんですね(´ω`)


あるじ「ワシとでもいいが・・・他の存在ともこのテーマは話してみるとよかろう。

さまざまな考え方があるからな。

そして・・・人間も自分なりにそのノウハウを培っているはずだ。

『自分をどう表現するか』・・・『相手をどう大切にするか』・・・『どう距離感を保つか』・・・『どこまでを受け入れて、どこまでを受け止めるか』・・・全ては・・・その者のさじ加減だ。

それを一定のメモリに設定して・・・『これが基本』などとは誰も言えんよ。

その者の個性・・・性格・・・生き方によってまるで変わってくる。

そして・・・その全てが正解なのよ。」


ま~・・・そう言われちゃうとね、そうだろうなぁって思います(´Д`)

でも、僕みたいに元々が『人と向き合うこと』が苦手な方に対して、それをわかりやすく伝えることは重要なのではって気もします。

これって、できている人は当たり前のように自然とできているけど・・・できない人はなかなかできないことだと思うのですよ(´ω`)

特に昔の僕がそうでしたから。

だから、そういう人のお役に立ちたいですし・・・スピリチュアルや精神世界の分野には、そういうニーズが多いんじゃないかなぁって気がするのです。


あるじ「さよう。

そこはお前の言うとおりだ。

自分なりに世界と向き合う方法を見出した者には・・・改めて何も言う必要はない。

だが・・・それが見出せず苦しんでいる者には・・・そこから抜け出すためのヒントが必要だ。

そして・・・なまじスピリチュアルに関わっているが故に・・・他人と向き合うことが難しい者にとっては・・・お前の様な人間がシェアした情報が役に立つこともあるだろう。

遠慮することはない。

ワシは堅い文章でもいいから発してよいと思うぞ。」


そうですかぁ・・・。

でも、まー僕自身が書いてて、モチベーションが湧いてくるかどうかは、一つの試金石ですからね。

今湧いてこないということは、タイミングではないということでしょう(´ω`)

ただ、僕のブログは今後見えない世界を掘り下げることよりも、『人と向き合うこと』と『自分と向き合うこと』のバランスを大切にした方向性になっていくと思います。

特に、スピリチュアルの分野ってのは、『人と向き合うこと』においてまだまだ洗練された情報が必要だろうと感じています。

まぁ、そうはいっても僕自身がもっと洗練されないと発信しようがないのですが(笑)


あるじ「焦ることはない。

お前自身が成長しながら進んでいく様子を正直に伝えていけ。

それがこのブログのよいところでもある。

人には役割があるのだよ。

何も・・・先生として上段から教えることが悪いのではない。

それが必要とされる場所や場面もあるだろう。

だが・・・お前の今のスタイルは・・・今後世間一般でもスタンダードになっていくものだ。

結局・・・なぜ宗教も・・・スピリチュアルも受け入れられないかというのは・・・発する側が最初から『上段』にいるからなのだよ。

『これが正しい』というスタンスでいくら発しても・・・相手には相手なりの真実がある。

これは覆せないことだよ。

それを尊重してはじめて・・・世間一般にも受け入れられるスピリチュアルの土壌が出来たと言えるだろう。

相手には相手の自由がある。

今までは『正しさ』にこだわるあまり・・・見落とされていたことを・・・お前は大切にしていきなさい。

おごらず・・・焦らず・・・相手と歩みを合わせる感覚を持つのだ。

それによって・・・唯一共有していける何かがあるはずだ。

お前はまだその何かを掘り下げ・・・探している段階にいる。

これからそれを見出す時に・・・全ては始まるのだよ。

今はまだ・・・ワシと雑談しているのが望ましい。

ブラブラしておれ。

そのうち・・・時は満ちるのだからな。」


なるほどね・・・(´ω`)

あまり躍起になっても、まだ時ではないということですか。

僕はどーも、湧いてきたことをすぐに形にしたがるクセがあるのかな(笑)


時にじっくり発酵させて、よいものを徐々に創っていく感覚も大切なのでしょうね。

あるじと話すと、いつもそんなことを言われている気もしますが(笑)

とりあえず、じっくりいこうと思います(^^)


ご覧くださりまして、ありがとうございました。


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