調和って何だろう
つい最近、知り合いと3人で軽くランチをした。
一人は以前から付き合いがあるが、もう一人は最近知り合ったばかり。
二人とも小さいお子さんを持つ母であり、妻であり、仕事もしていて毎日目まぐるしく生きている。
お二人のことは尊敬してるけど、ランチでは気を使いすぎて疲れ果ててしまった。
調和を保つのって、なんて大変なんだろう。
人を傷つけないように、
失礼にならないように、
自慢に聞こえないように、
不快な気持ちにさせないように、話しましょう。
愚痴ばかり言うのも辞めましょう。
ユーモアを添えながら話して、
共感性を持ちながら相槌して、
なるべく笑顔で人の話は聞きましょう。
そんながんじがらめの中では何も話せなくなる。
息苦しい。
結局、何でもない日常を面白く話すのが正解。
結局、自虐ネタが一番ウケる。自己肯定感ってなに?
他人の意見とか、本当に思っていることなんて結局誰も聞きたがらない。
個性を尊重しましょうってなに?
個性は押し殺しましょう、だよね。
調和を崩す人は必要ない。
でもこんなことを書きながら、気づかされた。
自分の個性、自分の意見、自分自分自分って、そんなに自分が大事なのか…?笑
自分が本当にどう思っているかわかってもらおうと懸命になる必要はあるのか?そもそも自分でも自分のことがよくわかってないのに、他人にわかるか?
自分を否定されてしまったと思って傷つく必要はあるのか?
馬鹿にされたと勝手に傷ついて、自分が他人の意見を受け入れてないだけなんじゃないか?
相手が楽しく過ごせたのなら良いのではないか?
調和。
それってもしかして、自分が楽しもうという気持ちではなく、他の人を楽しませようということなのかな。
付き合いの浅い人とは、自分を知ってもらおう、ということではなく、いかに調和を楽しめる人なのかを知ってもらおう、ということなのかな。
その「場」に、どれだけ良いエッセンスを加えられるか。どれだけ周囲を和ませるか。どれだけ笑い声を届けられるか、だけでも良い。
何事も難しく考えすぎない方が良いのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?