見出し画像

withE通信:腹を割って話そう!

皆さんは「腹を割る」という慣用句を知っているでしょうか?あるネット辞典には「本心を打ち明ける。隠さずに心の中をさらけ出す。」と説明されています。
その昔、日本では物事を考えるのは頭ではなく、腹であるとされていました。今でも「腹黒い」「腹を探る」といった慣用句にその痕跡は残っています。「腹を割る」とは本心ともいえる“腹の中”はお腹を割ってみないと分からない、というところから生まれた言葉なのです。
ところで皆さんは誰かと「腹を割って」話したことはあるでしょうか…?
今日は「腹を割って話す」ことについて考えてみましょう🤔

「会話」と「対話」

腹を割って話す、について考える時にまず注目したいのが「会話」と「対話」の違いです。この2つの言葉、よく使われる日本語だろうと思います。でも両者の違いは何かと聞かれたら何と説明して良いか困ることはないでしょうか?
劇作家・演出家の平田オリザは次のように説明します。

会話=親しい人同士のおしゃべり。
対話=異なる価値観や背景を持った人との価値観のすりあわせや情報の交換。あるいは知っている人同士でも価値観が異なるときに起こるやりとり。

(平田オリザ『22世紀を見る君たちへ―これからを生きるための「練習問題」』講談社現代新書)

おそらく私たちが普段しているのは「会話」です。
A「昨日の夜ごはん、何だった?」
B「カレー!すごく美味しかった!何食べた?」
A「肉じゃが。肉じゃがってなんかお袋の味って感じだよねえ(笑)…」
だいたいこのような感じでしょう。
では、「対話」とはどのようなものか。先ほどの会話の続きを見てみましょう。
A「…肉じゃがってなんかお袋の味って感じだよねえ(笑)豚肉とジャガイモのハーモニーって言うのかなあ、私大好きなんだよねえ。」
B「…豚肉?肉じゃがに豚肉って入れるっけ?」
A「え、豚肉でしょ?Bの家は何入れるの?」
B「牛肉…。普通は牛肉でしょ?」
A「うそ、うちはずっと豚肉だよ!え、何で牛肉なの?豚肉でしょ?」
B「なんでって言われても…」
対話というのはおおよそこのように、異なる価値観同士が出会った時に生まれます。皆さんも似たような状況に出くわしたことはないでしょうか?我が家では当たり前なのに、友達の家では当たり前ではない…ということ。
さて、AさんとBさんはこの後どのような“対話”を繰り広げるでしょうか。想像してみましょう!

「腹を割ること」と対話

腹を割って話すことと対話というのは近しいものがあると私は思います。
価値観や背景というのは普段は表に見えない、ある種「本心」のようなものと言えます。
これからの日本では「本心」を見せる場面、対話をする場面、「腹を割って話す」場面が増えていくと私は思います。
日本には「空気を読む」という言葉があるように多くを語らずとも共通認識を持つことが美徳とされる文化があります。これは集団の中に居る人々が皆、同じ価値観・同じ背景を持っていることで成り立ちます。ところが今の日本はそうではなくなりつつあります。自分の当たり前が相手には通じないことが増えることでしょう。自分とは異なる価値観や背景に触れた時、私たちは往々にして戸惑います。様々な反応があるでしょう。驚き、笑い、困惑、怒り、言葉に出来ない感情など、他にもあるかもしれません。
ですが、自分と異なる価値観と触れ合うと自分の世界は確実に広がります。歳を重ねるにつれて色々な人と出会い、そのたびに新しい発見があるはずです。その時の作法として対話をするという姿勢は必要になってきます。

まずは身近な友達や家族と「対話」してみると面白いかもしれませんね😊
それがひいてはこれからの社会を創っていくことにつながるはずです。

作・パパ(社会科担当)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?