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「生きたい人生を描く」ための教育|新里勝一郎さん
こんにちは!!with OKINAWAのさむです。
今回は沖縄で教育NPOを立ち上げ中の 新里 勝一郎(しんざと かついちろう)さんに取材させていただきました。
新里さんは中学生の時に沖縄を離れ、一時期は沖縄にルーツを持つことがコンプレックスだったこともあるそうです。
しかし、首里城火災・コロナなどの様々な出来事を通して、沖縄で教育事業を始めようと思い、現在活動中です。
新里さんの心境の変化、そして新里さんが考える「教育」とは、などに注目しながら読み進めていただけると嬉しいです。
↓新里さんのFacebookはコチラ
今の活動について
ーーーよろしくお願いします。まずは簡単に自己紹介をお願いできますか?
新里勝一郎と申します。現在37歳で、大阪で仕事をしています。
沖縄県の宜野湾市に生まれ、12歳の時に沖縄を出て長崎の寮付きの中学校・高校に通っていました。
浪人時代と大学は東京で、社会人になってから大阪で過ごしています。
8月末に今の会社を辞める予定で、9月に法人設立計画です。
そこからは大阪と沖縄での二重生活を送ろうと考えています。
ーーーありがとうございます。9月に設立する法人について、コンセプトなど詳しく教えていただけますか?
『GAJYUMARU 沖縄をつなげる教育NPO』を立ち上げ予定です。
コンセプトはほとんど名前に書いちゃってますね。笑
この中で特に大事にしたいのは「ガジュマル教育」です。
ガジュマルって沖縄の大地から、ぐわって太い幹が出ていて、枝とか気根とかしっちゃかめっちゃかで一本たりとも同じ木なんてないじゃないですか。
沖縄の子たちもそんなふうに、ユニークな人になってほしいなと思っています。
ミッションとしては「一人一人が自分の描きたい人生を描く」を掲げています。
生きたい人生を描く後押しをすることが、20年後30年後の未来を切り開くと思っているので。
ーーーそのNPOでは実際、どんな活動をされる予定ですか?
まず保護者に対して、「孤育て」(孤独な子育て)を解消したいです。
保護者同士が相談しあったり、意見を交換しあえるコミュニティの再生のため、「コペアレンティングスペース」(Co-Parenting Space、一緒に子育てする場所)を作れたらいいなと思っています。
そして、子ども達に対しては、一人一人の資質ややりたいことに合った出会いを提供したいなと思っています。
おもしろいことをやっている人や企業、行政ってたくさんあると思います。
今は「それに出会えたらその人の人生が広がるはずなのに」って思えるものに出会える状況が整っていないと思うんですよね。
だから、その子に合ったマッチングを作っていくことができれば「一人一人が描きたい人生」の後押しができると考えています。
そして、これを一人一人にリーチするためには、どこか一拠点での展開では難しいと感じています。
なので複数の拠点を作ろうと思っていて。とりあえず石垣市、うるま市、名護市ではやる予定です。
ーーーなるほど。この事業は、どんなことを課題だと感じて始めようと思ったんですか?
もともとのきっかけは、小学生のころから感じていた罪悪感でした。
僕の父は銀行員で、比較的裕福な家庭で育ったんです。
ただ家庭の仲はちょっと悪く、家になるべく居たくなくて県外の寮付きの中学校を受験しました。
でもそれって、裕福な家庭じゃないと叶わないんですよね。
小学校には、いろんな面で僕より才能があって凄いなぁと感じる友達もいたんですけど、彼らに県外に行くことを話すと「うらやましいけど俺は無理」と言われたり、そういう雰囲気を感じとっていました。
沖縄にはまだ経済格差があって、子ども達が自分で生きたい人生を描くのが難しい現状があると思います。
ーーー今お話しされた沖縄の「経済格差」の課題を、なぜ「教育」で解決しようと思われたのでしょうか?
実は、前職で塾講師をやっていたんです。
その頃から「教育は未来の投資だ」と思っていました。
教育は、経済面や人の成長、あるいは幸福度みたいなところに出てきます。
僕はその「未来への投資」である教育の力を信じているんですよね。
様々な機会に触れたり、人生観を変える出会いに触れることが個人の未来をつくると思っていて。
それが次の世の中を開いていくと思っているので、今回の事業の構想に繋がっています。
ーーーちなみに、この法人の設立はclubhouse内で決まったと聞いていますが。
そうなんですよ。
最初のきっかけは首里城火災でした。
ニュースを聞いたときは涙が止まらなかったですし、出張の帰りの新幹線で首里城応援Tシャツを買いましたね。
その時から「生まれた島に何か返せないかな」と強く思い始めました。
そこから約半年後に、コロナが流行したんですよね。
「これは長期化して、その間沖縄への観光・インバウンドが全部止まるんだろうな」と思う度に「やばい」と感じていました。
経済的に苦しくなると、補助金や給付金など、お金が目先の対処療法にしか向けられなくなりますから。
誰かを責められる話でもないですが、10年後20年後を担う子ども達へのケアがおざなりになることも確かです。
そこで、「比較的大きな企業で塾講師をしていた、前職の経験が活かせるのでは?」と考えたんです。
とはいえ、僕自身25年沖縄から離れていたので、突然帰っても何もできる気がしなくて。そこで、沖縄の魅力を伝えるYouTubeをやっている小学校からの友人に連絡をとって、思っていたことをそのまま相談したんです。
そしたら、「紹介できる人いないか探してみるね」と言ってくれて。
後日、沖縄でママコミュニティをやっている方を紹介してくれました。
そこからはあっという間でしたね。
2月25日に「何かできないかな?」と話し合って、その日の日付を跨いだころに「とりあえずclubhouseでクラブを立ち上げてみよう!」と決まり、26日の朝9時に初めて配信をしましたね。
当時はNPOを立ち上げる予定も、現職を辞める予定もなかったんですが。笑
clubhouseをやっているうちにやりたいことやできそうなことが明確になっていって、3月19日には現職をやめ、法人を立ち上げると宣言しました。
ーーーすごく早いですね。「やるぞ!」って思った1番のきっかけは何だったんですか?
期待感ですかね。
clubhouseを、平日は毎日、めちゃくちゃ長い時間やってたんですよ。多い時で8時間とかね。
それにずっと付き合ってくださる方がたくさんいて。
例えば僕みたいに沖縄で生まれて県外に移住した人が、沖縄の現状を心配して、僕がやりたいって言っていることにすごく共感してくれたり。
沖縄で暮らしている人も「ウチナーンチュが戻ってアクションを起こしてくれるのは嬉しい」って言ってくれたり、県外にいながら沖縄を愛してくれる人も「おもしろそうだね」って。
想像していた何十倍もの期待をひしひしと感じて、いい意味で「逃げられないな、これでやらないのは人間じゃなないな」って。笑
その期待感からはすごく力をもらいましたね。
複雑な心境から「沖縄のために」
ーーーここから少し、新里さんの昔の話をお聞きしたいです。
ーーー中学生で長崎に出た時、「沖縄から来たのを理由に嫌なことを言われた経験がある」と聞きました。詳しく教えてください。
これには、悪気のないものとそうでないものがあると思います。
悪気のないもので言うと、例えば方言ですね。
長崎の学校だったので、やっぱり強いのは九州の方言でした。
僕はイントネーションや単語が他の子と違うことはわかっていたので、「きっといじられるだろう」と思っていたし、その考えは間違ってなかったと思います。
なので最初の1ヶ月はほとんど喋らずに他の友達の話し方を聞いて真似ていました。
あとは、顔ですね。
典型的なウチナーンチュの顔立ちをしているので、眉毛がめちゃくちゃ太くてセンターで繋がっていたり、色も学校で一番黒かったと思います。
「眉毛どんだけ太いねん」って言われたこともあるんですが、これは事実だったので仕方がないと思います。
逆に悪意のあるもので言うと、友人に「沖縄なんかボタン押して海の中に沈んだらいいのに」と言われたことですね。
しかも彼は、鹿児島の出身で。
「薩摩の人間にだけは言われたくない」と思ったのを覚えています。沖縄は薩摩に占領され、併合された歴史があるので。(※)
ただ、その発言がすごく嫌だと感じた1番の原因は、「沖縄は遅れた土地である」って認識がベースにあったからだと思います。
安室奈美恵さんのブレイクを肌で感じた世代ならわかると思いますが、彼女のブレイク前後で県外からの沖縄に対する印象はガラッと変わります。
僕が県外に出たのは安室さんが有名になる前でした。
当時は「沖縄」のワードが出るだけで笑いが出るほど、沖縄に対して「遅れている」という共通認識がありましたね。
先ほどの友人の発言も、男子同士のからかい合いの一場面だったのですが、どうしても前提に沖縄を見下しているのを感じ取ってしまったんだと思います。
今でも、県外の人に対して距離をとるウチナーンチュがいますが、きっとあの頃に培われた沖縄に対してポジティブになれない感覚がまだあるのかもしれません。
(※:全ての沖縄県民がこのように思っているわけではなく、また、鹿児島県民を嫌っているわけでもありません。
しかし歴史的な背景から、今もなお複雑な心境を抱えている方もいる一例であり、重要な事実だと判断したため、この話を記載させていただきました。)
ーーー新里さん自身も、沖縄に対して複雑な心境を持っていたんですよね?
そうですね。
10代で県外に出た時は、必死に沖縄から来たことを隠そうとしました。
眉毛は剃ってめちゃくちゃ細くしていましたし、言葉は今でも標準語っぽい話し方です。
「どうして生まれただけでこういうものにならなきゃいけないんだろう」と思っていた時期もあります。
自分が沖縄であることを否定していたんですね。
「嫌い」とは違うんですが、沖縄だったことを「捨てたい」と思ったこともあります。
でも、故郷である沖縄は簡単には捨てられませんでしたね。
ーーーそれが今「沖縄のために」と思うほど心境が変化していますが、何かきっかけがあったんですか?
僕の家は仲が悪かった、と話しましたよね。
寝る前の2時間くらい、母がずっと父の文句を言っていて。だから、父に対する憎悪が強かったんです。
家族に対する気持ちと、故郷の沖縄に対する複雑な気持ちが入り混じっていたんだと思います。
27の時に父が亡くなった瞬間に、沖縄に対する感情がガラッと変わりました。
憎む対象が無くなって、その気持ちも氷解して。
それまで沖縄には「帰省ですら帰りたくない」って思っていて、大学生の間も1回しか帰らなかったんですが、今では毎年帰りたいくらいに思っています。
あとは、大人になったのもあるかもしれないですね。
年齢を重ねるほど、自分のルーツにわだかまりがなくなったのもあると思います。
これからの教育と沖縄
ーーー「これから」について、新里さんの考えをお聞きしたいです。
ーーーコロナになって、リアルで会いにくくなったり、遠足が中止になるなど体験の機会が減っています。このwith コロナでの教育で大事にした方がいいことは何だと思いますか?
コロナって、悪いことばかりじゃないと思うんです。
例えば、僕がやろうとしている二重拠点や、今こうやって大阪と沖縄にいながらオンラインで会話することを「あたりまえ」にしてくれたので。
これからやろうと思っている事業の一つに、子どもと大人がオンラインで1対1で話す場を作ろうと思っていますが、これもコロナがなければ難しかったと思います。
事業説明の時によく例えに出すんですが、与那国島にITに興味がある子がいるとしますよね。
でも、周りにそれを仕事にしている大人がいなくて、諦めさせられちゃうかもしれないし、ITをさらにおもしろいと思わせてくれる人に出会えなくて興味が広がらないかもしれない。
それって、機会格差だなって思うんです。
でもオンラインなら、その子にその仕事をしている大人やおもしろい大人を紹介して繋げることができます。
そうやって出会いや繋がりで世界を広げることが、オンラインならできると思うんですよね。
質問の答えに戻りますね。このwith コロナの中で大事にしたいのは、「いかに体験をデザインするか」だと思います。
リアルで会う時に今までと同じことをしていたら、会える機会が減っているので、ただ可能性が減っただけですよね。
そうじゃなくて、今までのものを見直して、「どういう価値のある巡り合いなのか、それを最大化するためにはどうしたらいいのか」を考えなければいけないと思います。
逆にオンラインでやるなら、先程話したような「リアルでできない出会いで、価値のあるもの」は何かを考える必要があると思います。
まとめると、「本当に価値のあるものってなんだろう」と考え直す必要があるということです。
体験を一番上位に据えた時、オフライン・オンラインが提供できる価値が何かを捉え直すのが大事だと考えています。
ーーーなるほど。では、これからの沖縄にとって必要だと思うことはありますか?
そうですね…。日本スタンダードから脱することだと思います。
沖縄の人はもともと、効率重視の資本主義には向かない民族だと思います。
学力テストで毎年47位を取り続けているのも「向いてないゲーム」をさせられているなって。
沖縄の人がもっとその人らしく育つためには、沖縄の風土や武器を活かした戦い方をすべきだと思うんですよね。
日本が飲み込まれた資本主義のルールに沖縄は合っていないと思うし、何よりそれに縛られている日本は、経済的にも政治的にも停滞してしまっている。
それに、世の中の目指している方向や、価値を生むもの自体もどんどん変わってきていますし。
だから「日本の中の沖縄」ではなく、「脱・これまで」を目指して、新しい形を作っていくのが大事だと思います。
ーーーありがとうございます。最後に、新里さん自身は今後どうなっていきたいと考えていますか?
少し重たい話をすると、死に場所を探しています。
次に燃えられるものとか、「一生かけてこれをやっていきたい」と思えるものを探している感じですね。
実は前職の塾講師を辞めたのは、関わっていた生徒が自ら死を選んだことがきっかけなんです。
その時はとても大きな挫折感を感じ、一度教育から逃げてしまいました。
教育で人を幸せにしたいと思っていたので、彼女に自分の生きたい人生をデザインする後押しができなかったのは今でも悔やんでいます。
当時失ったものはとても大きかったです。
だから、他の人に一生をかけて返すしかないな、と。
それが今回の事業コンセプトに大きく繋がっています。
そしてこれが「僕はこれで生きていくんだ」って言えるものにしていきたいですね。
それから、沖縄にはまだまだ構造的な問題がたくさんあると思っています。
例えば、「沖縄はITが強い」と言われることがありますが、蓋を開けてみると、県外企業のコールセンターや下請け企業なんですよね。
それが本当にITと呼べるのか?賃金水準が上がるのか?と疑問が残ります。
それから、離婚率やひとり親率も多いですよね。
そうなると子どもの面倒を見るより先に、「生きるために稼がないと」となる人も多いと思います。
そして子どもの教育に対して時間的にも経済的にも余裕がなくなり、貧困が再生産されていくと思うんですよね。
こういった問題はいろいろあって、正直自分の人生かけて全部解決できるかわからないなって思ってるんです。
もちろんやれるだけ取り組みますが、明るく絶望してる感じ。笑
だから、早く「やることなくなったな〜」って言いたいですね。
「次どうしよう、何しよう」って考えれるようになるのも目標です。
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おわりに
最後まで読んでくださってありがとうございます!
私が感じた、新里さんの教育への熱い気持ちがお伝えできていればと思います。
難しい課題もあると思いますが、新里さんのような素敵な大人たちと少しずつ前に進んでいけるような気もしています。
経済、教育、仕事…様々な問題が絡み合っていますが、逆にいろいろな角度から解決に向けて行動することもできるのだと感じました。
ぜひ興味のある分野から、身近な問題へアプローチしてみてください!
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