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「き」木/樹 交換日記no,2

ーまずお伝えしたい。
この記事は”特定の友人”に向けて書いている。よって基本的には一般読者に対しては文章はとても不親切で、かつ「それはなんだ」となるような理解しがたい点も多かろう。だが、それでいいのだ。特に私の場合は記事を書くにあたっての構成もない。でもだからこそ、伝わる”熱”というものも私はあるように思うのである。岡本太郎の言葉で、たぶん小学生でも知っている言葉として「芸術は爆発だ。」というものがあるが、本人はこの言葉の意味を「芸術は生きることそのものだ。」としている。そしてさらに”生きる”ということを、また「ひらくこと」とし、加えて”ひらく”とは、自分の感情を爆発させ、そうすることで自分という個を大切にしようと述べている。よって今回もその考えのもと、自分の中にあるいま熱いものをここになるべくそのままに記し、下手ながら一生懸命にもがきながら、そして後から振り返って過去の自分たちを笑い飛ばしたい。そんな風に思うのです。

ーそしてその特定の友達に次ぐ。
なんとなく個人LINEで盛り上がって始まったこの企画。およそ120時間の時を経てようやく開始される。話したがりの私は、ついうっかり君に最初の一歩を譲ってしまったためにじっとこらえにこらえた。ただし、特に毎日更新とかのルールは定めていない。よって熱いものを熱いうちに言葉にしたい私はこれから(すでにいくつか投げているが)リレー形式とは関係なく、日々その時に思うことを書き連ねていく。もしこんな私の文章にご興味をいだくような人がいてくれるなら、どうぞそちらもお読みいただきたい。そしてどうぞ言いたいことを言っていただきたい。その言葉があればこそ、きっとこのnoteのアカウントは面白くなっていくに違いないから。
さてでは早速、いまここにその書きたい欲を弾けさせよう。

まずせっかくだから記念すべきわが友の第1稿(「あ」朝青龍関 ~最初に好きになったおすもうさん~|ぬか漬け|note)の感想から失礼する。なんと言ってもやはり彼らしい文章だ。絶対に構成を考えているにちがいない。かつて我々がともに所属していたゼミには、お互いのことを紹介し合う他己紹介冊子というものがあった。それを書くのに困っていた私は、彼に助けを求めるとなんとまるで国語の授業のごとく起承転結を考えていたのであり、また私はそれにドン引きしたことは記憶に新しい。
確かに彼の文章はタイトルを中心にまとまっていて、とても読みやすい。また好きな相撲を感情的に眺めつつも、知識の方面からもその好きをより強固にするような読書もしている。以前実際に物は試しと思い、東京に相撲を見に連れて行ってもらったことがあるが、なかなかのうんちくと知識量だった。またまだみたことこそないが、彼の本棚は相撲関連の本でいっぱいだという。しかし、結構優しい彼は周りの友人の好みに合わせて自分の好みを後回しにしてしまうところがある。原因はそれだけではないが、つい最近まで自分が本当に好きなはずの相撲について周りに語ることもなく、また相撲に対して距離もとっていたという。でもそれこそ岡本太郎が懸念したような個の否定ではないだろうか。私の友人に現役・OBにこだわらず、プロ野球選手のサイン収集を愛してやまない友人がいる。彼の部屋をみせてもらうと壁一面どころか、一部天井までがサイン色紙やサインユニフォームで埋め尽くされており、ほかにもプロ野球選手のカードの収拾など半端ではない偏愛型の友人がいる。でも面白いのだ。最近のサイン収集関連の話を始めれば、ネタは尽きることを知らない。そこに一見外見ではわからないような、とんでもない熱があるから面白い。一見してはわからないような、そんな熱こそ人の命の輝きだ。
だから、一つ君に伝えたいのは、もう少し自由に、もうちょっと荒っぽく語ってもよいのではないだろうか。別にスポーツ誌の記者であるまいに、読み手はせいぜい私くらいだろう。自分でも「論理よりは感情派だ」というのからして、もっと伝えたい思いと伝わるかどうかの瀬戸際でもがかなければならないと思う。

ーさて、そろそろ私のターンとさせていただこう。リレー形式のルールとして”しりとり”なるものがある。彼の前回のテーマは”朝青龍関”なので、私は”き”で始める。
(あってるよね?てか、いつの間にしりとりになったの(笑)全然良いけどね(笑))

ー「き」”木/樹”
先に紹介したゼミでの他己紹介の冊子作成の際に、固定のお題で「生まれ変わるなら何になりたいか」と聞かれた。スポーツ選手とか、女性とか、動物とか色々頭をよぎったが、私は木になりたいと答えた。木ってすばらしくないだろうか。その形からして、また機能的にも、また素材としても。
まず形としては地表に見える分には一つの幹を支えに、天へと枝葉を伸ばす。幹のカタチはそれぞれで、太さも傾き加減も、その表面の質感にせよ何にせよ同じものは一つとしてない。また枝葉の伸び具合はまるで人があらゆるものにむけて興味関心を伸ばしていった道筋のようにも見える。そこには実りができたり、葉っぱが実ったり。時には折れちゃったりするのもなんともいい。ただなんともさみしいのは、そんな道筋であり、ある種の軌跡をバチンと切ってしまうことである。きっとそっちにもっとのびたかったろうに、可能性の目を摘み取ってしまう気がしてやまない。ましてや大木が幹ごと折れてしまったときなども特にさみしい。
有名な話だが、かつて鎌倉の鶴岡八幡宮には、源実朝が鎌倉時代に暗殺された事件を目撃したり、鎌倉時代から明治初期までの長い鎌倉の寒村期とその後の急成長をみまもった大イチョウがあった。しかし、その大イチョウは10年近く前にボキっと倒れてしまったのだ。地元紙どころか、当時離れたまちに暮らしていた私の街にもそのニュースをやっていたことを覚えている。あっと思ったときには、家族みなだまってそれをみていた。子供心に、何か大切なものがどこかにいってしまったように感じたことを覚えている。しかし、あの木はそれで終わらなかった。木というのは何も地表面だけがすべてではないことは誰しも知ったることである。まるで地中の枝葉のように地下深くまで張り巡らされた根の素晴らしいのは、例え地表の木が折れようともまた再生を可能にする点である。事実、鶴岡八幡宮の大イチョウ根元からは、彼の跡継ぎが芽生え、いまもすくすくと成長をしている。生きているともう本当に立ち直れないんじゃないかというような気持ちになるようなことがある。でもそんな時でも諦めてしまわぬように、負けない根をはり、そこに豊かな力を蓄えておくことができれば何度だって立ち直ることができることを教えてくれる。そういう意味で根は人の内面みたいなものだろうか。内面で片づけてよいのかわからないが、人の表にはでないがいろいろな出来事を生きているという時間の中で経験すると同時に育まれるものであり、それがあるからこその興味関心含めた枝葉の部分や人生の軸たる幹を支えることが可能にするものであると思う。それゆえにいろんな町にいって、その時々に木を見てはその生きざまを勝手に想像したりしてしまうし、つい抱きしめたくなる。

都心の緑
外堀沿いの一本だが、なんとも枝ぶりが美しい。きっと根も
鶴岡八幡宮 境内
この先左手奥の石階段の前に大銀杏は居た


他にも機能的には光合成や種類にもよるが土壌への影響などといった点で環境に対する良さがあるし、また都市的にも景観の面でどんな新興住宅地であれ、大都会であっても木のないところはほとんどない。事実東京駅や新宿、渋谷といった街の中であっても植樹をされたり、せまいベランダに思い思いに木を育てる人が多いことに気が付く。また植樹によって植えられた木々がいまとなっては日本各地で紅葉の名所になったりもしている。その例としては京都の嵐山の紅葉なんかは平安時代の貴族が植えさせて作った景観であるし、大概の銀杏並木や桜並木などはその典型だ。ほかにもお城に植えられたイチョウなどは非常時の食料などともいわれる上、地震や火災、塩害や風よけなど様々な機能面を意識してうえられた結果である。

東京の高層ビルの間に植えられた桜
鎌倉の街並み
若宮大路の周りの植樹

それから機能でいえば、木には信仰という人々の心の拠り所という点も忘れられない。先ほどの八幡宮の銀杏の木にしかり、日本の寺社仏閣には多くの信仰木がある。多くは巨木信仰などと呼ばれている。『始まりの木』というタイトルの小説がこの巨木信仰をかなり読みやすく描いた小説で、私は好きだ。自分と同じ大学生とその民俗学を研究する教授とが日本の各地を旅しながら、いくつかの木を巡っている。本でも描かれているが、彼ら木々たちの幹の様子や枝ぶりなどは半端ではなく、人の精神面の豊かさやこころのゆとり、時間的感覚などに限りない影響を与えてきたであろうことが想像される。一方で近頃のインスタグラムでの”映え”などに代表されるように、なにかと物事の外形的な側面にばかり注目が集まりがちである。他にも角度を変えれば、消費者の多くは値段ばかりをみて、その値段の意味を想像することを忘れ、送料無料による弊害を考えることもなければ、創り手のことを想像することもない。木から話がそれたし、諸問題の原因は何も創造性の欠如に起因するものばかりではないことは理解している。それでも、その一端としてそうしたことにも考えを及ばせることもできるであろうし、今も街に残される石碑や石仏、歴史的な建物や文化などは誰かの手と意志によってこそ残されてきたものであるのは変わりない。だからこそどのような人々の思いや手によって、また奮闘によって受け継がれてきたのかを、可視的でないものに対してももっと目を向けたい。知ることで広がる想像。そこから見える自分の立ち位置。何となくわかっているようで、流してしまっているあれこれに目を向けたい。そして知り、想像し、時には経験してみたってよいと思う。もちろん全員でなく、一部の理解ある人さえいればそれは可能である。そうすれば、きっとに多くの人々が予想するような未来を変えることができると思う。先日大学で武田俊輔という人の文化社会学でroots(源)からroutes(経路)へ人々の文化の見方を変えていくことが大切だと知った。文化は場所や担い手と、時間などが変化することで、どんどんと永遠に変わり続けるものであると。そうしたものの見方は、ここまで私が述べてきた気に対するまなざしとも重なる部分が少なからずあるのではないだろうか。
最後にその素材としての魅力だが、これはある種この記事を書きながら機能的な側面としてみることもできるなと思ったので割愛する。

東京 巣鴨当たりの神社と記憶する
立派な木は不思議と人を集める



ー終わりに
もしここまでこのような稚拙で乱雑な文章を読み抜くようなツワモノがいたら、私はあなたのことがとても好きだし、心から感謝をしたい。いろいろ書いたが、終始自分が繰り返しているのは、外身だけでなく、その内側にあるストーリーや人々、時間などへの能動的なまなざしの必要性である。それはまた感性によるものではなく、知識の面からも同じものを感じることができるように感じる。それはもしかしたら論理と感情という相反するようなものが重なる点かもしれないと思った。学ぶ意義みたいなものの一つであるようにも思う。それからこれは半分メッセージだが、どんな人も自分の木をやはり持っていると思う。その木をこれからどんな木に育てていくのか私自身、これから社会に出るという意味でもじっくりと考えるべき時であった。そんな時にこれをやることになったフッカル友人には感謝している。まだまだ自分はこれからも迷いに迷い、時には道を踏み外したりもしながら、それでもしっかりと自分なりに枝葉を伸ばしたい。加えて、それらを支えるための根っこももっと育みたい。いろんな世界をしり、経験したいし、感じたい。どんなものが自分の根っこになるかなんてわからないが、まだまだ伸ばしていきたい。最終的に目指すのは、一つでも多くの幸せを実らせることができて、そこで実らせた幸せをそこに集まる小鳥やいろんな動物たちと分け合うような樹である。そこにはいろんな生き物が共生し、訪れる。もちろん時には去っていくこともある。それでも戻ろうと思ったらこっそりでも戻れたり、どんなに久しぶりでも笑い合える存在でいたい。そんな拠り所のようになれたらなと思うのである。

2022/12/5

ps,これに気付かせてくれたのはなによりも私の両親である。本当に、ほんとうに感謝している。それからやはり私に大切なのは、旅である。いろいろな街に行き、人と出会い、言葉を交わすこともあれば、一人で木を眺め、風を感じることもする。また人とであるという点では友達や学校生活もまた旅だ。誰かと、そして一人で。それぞれの時間をいつもの場所と、そうでない場所と過ごすことでたくさんのことと出会い、考えることができた。そしてこれからもその旅を続けていく。本当の締めに、今まで私が出会った最愛の木をみていただきたい。
それは東京から夜行列車サンライズで10時間、フェリーで4時間。さらに港から車で30分くらいを走らせた場所にこの木は今日も居る。

まさに巨木信仰。島根県隠岐島町
乳房杉 樹齢1000年くらいだったか


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