あれから13年目の大熊町にいく。(序

わくわく7割、どきどき3割。

昔からいつもそう。
何かを始めるときの、心はいつもこの割合。

きっかけはNHKの特集番組だった。
舞台は東日本大震災と福島原発の被災地である、福島県大熊町。

正直なこと言うと、発災当時は愛知に暮らし、その後も被災地に行くことはなかった私にとって、あの震災はメディアの中の出来事であった。
いつかはいかねばならないとは思っていた。日本人として、知っておくべきだと思ってはいた。

でも気が付けば、あれからはもう13年がたっていた。
今回のことがなければ、もしかしたら一生行かなかったかもしれない。

メディアで伝えられている福島は、やはり負のイメージが強い。
除染のためにはぎとられた土を集めた巨大な土嚢袋の山。
住民一斉非難に伴う、野に帰りつつある街並み。
汚染水の問題と、誹謗中傷。

現地の方には失礼を承知で、今の福島を全く知らないよそ者はこう思う。

でも、その印象は更新されるべきだと、テレビの中の彼を見て感じた。

NHKに映されていたのは、同年代の若い男子が、被災地である大熊町のかつての特産品であり、まちの誇りを再興しようとしている様であった。

自分の意志を持って生きるその姿に私の何かが共振した。
ただ私を突き動かしたのは、それだけではない。

テレビに映っている彼を、ある場所を介して私が一方的に知っていた。
東京都の利島という、人口300人に満たない小さな椿産業の島に時期こそ違えど、私と彼は訪れており、彼の利島の写真に感動したことを覚えていた。

原口拓也、その見覚えのある名前が心をより震わせる。

すぐ、利島のグループLINEから連絡をとった。
怪しまれるかと思いつつ、抑えきれず連絡してみた。

しばらくして、快い返信が来た。
すこしばかりオンラインで話し、福島行が決まる。時期は二か月後の七月。
ついでに会社で同じようなことに興味がある同期を誘った。
こちらも快諾。

向かうは福島の大熊町。
7月あたまに行くので、あと少し。

下調べをするだけでも、もうワクワクが止まらない。
僕が知っていたメディアの中の福島は、どうやら福島の一面であるようだ。
調べてみると、いまの福島は、どうやらもう違う。

はやくこい、7月。
ありのままの福島を、早く全身で感じたい。

これまでの歩みが不意に繋がり、そうなって然るべきような感覚。
そして自分の頭のなかで、何かが上へ上へと伸びようとする感を覚えた。








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