変わりゆく祖父母宅

ところどころ枯れる軒先の花々。
高齢者用の玄関スロープ。 
中学のとき仕事体験で介護施設にあった風呂椅子。
手すりのついたまるで病院の備品のようなベット。

祖父母の家のどれもが、確実にその時が来ることを告げる。

高校に通い、塾にこもり、
大学へいき、旅をし、
就活をし、週五日、月20万そこそこの金をもらう。

一方で家族はもちろん、祖父母やましてや曽祖父母と過ごす時間は減った。

別におかしなことではないと思う。
みんなそうだし、誰だってそう。

失うものに比例して、新しい別の優しさを手に入れていたうちはそう思えた。

でも、やはり今日それは違うと思った。
今これを書きながら、かつて単身赴任の父をもっと一緒に過ごしたい気持ちを我慢しながら送り出したことを思い出す。

友達もいっていた。
会社の都合で人の居場所を簡単に変えられる世の中なんておかしいと。

僕もやはりそう思う。
失って気づくなんて、繰り返すな。
大人たちの言う、たらればを繰り返すな。

幸せになりたいのなら。

ーーー
祖父の酸素濃度は90%。

89…90…89…..

祖父は延命は望まないという。

祖父はあとは託したという。

叔父が言う。まだ早すぎる。75だろ。

親父は黙る。

ーーー
祖父の着替えを取りに家に祖父宅へゆく。

少しくたびれた家と相容れない、新品同様の老人向けのあれこれが目に付く。

機能性のみに傾いたそれらは、祖父母が積み重ねた家歴史に終わりを伝える冷たい塊として在る。

僕はふざけるなと思った。
いつもそうだ。
八つ当たりだと思う。
でも、曽祖父のときも、曾祖母のときも。
もちろんその合理性もわかるのだけれど。

ーーー
庭の枯れ木を思い出す。

祖父に変わって水を上げたときに、ふとよぎった。

なぜ祖父はこうまでして草木を愛でるのか。

もしまたがあるのなら、きっと聞いてみたい。

なぜなら僕も少し好きだから。

程よく役割を与えてくれて、そしてそれに答えて四季を見せてくれる存在の豊かさ。

僕にとっては、それはバケの稲であり、花ほどきらびやかではないけれど。

ーーー

世の大人は言う。若い頃は遊べばいい。
世の大人は言う。若い頃に学べばよかった。
世の大人は言わない。本当に大切なことを。

でも、僕の知ってるまた別の大人は魅せる。
正解はこうやって作るんだと。
背中や言葉、その表情や立ち姿で。

だから僕も作る。自分だけの納得の行く正解を。

でも思う。今日も見舞いに行った病院には、
町の名前を背負った消防士や救急士たちがいた。

事実父の兄弟も夜勤明けの警察官であり、
祖父を見てくれるのは同じく夜勤して見守ってくれる看護師や医者たち。

そうした人々を前に、あまりにも僕の思いはわがまますぎる気もする。

誰かのために、もちろん自分や家族のためでもあろうけど働く人がいて、社会がある。

その警察官は言う。楽な仕事なんてない。
僕の仕事はどうだろう。
夜勤はなければ、定時も守らせてくれる。
法外な残業や労働もない。
それでいて社員に優しい。
しいて言うなれば転勤があることくらいだろうか。

人の役に立つということは、そこまで辛く厳しいものかと少しわからなくなる。

やりがいという言葉で、しなくても良い苦しみを隠してはいないだろうか。

今の自分は、家族と同じくらいに大切な存在ができた。その人は教えてくれる。家族とともにあることの意味を。
答えまではいかずとも、僕の感じる違和感につながるなにかを。
彼女は曲げない。自分の大切なことを。

消して大切なところは流されない。
そんなところが好きだと思う。

一般的な正解はわからない。
だから、まずは自分なりの正解を一生懸命作り上げようと思う。 
せめて自分がその時に、納得して、自分にとっても、家族にとっても、大切な人にとっても、友達にとっても、隣人や社会にとっても少しは良い形であったと思えるように。







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