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私の親の話(第1回/ざっくり経緯)

「私の親の話」シリーズは、ハーブの話は一切出ません。
私の親の話、重たい話です。虐待、DV、モラハラ被害者の方は閲覧ご注意ください。


・前書き

なんでいきなりそんな話をしようと思ったか。
つい最近、親とのことで大きな決断をし、それなりの成果を得たは良いが傷跡が大きいから。その治療のために言語化していきたいというのが1番大きいです。

あとは、自分が相当迷って判断も決断もできず、かなり追い詰められたため、私とあなたの経験はきっと全く違うでしょうが、もしあなたが今、親とのことで辛く苦しい思いをしているなら、少しでも参考になったらいいなと、自分のための決断をすることを応援出来たらいいなという一石二鳥狙いです。

「なんやねん!私はそうは思わん!!」と思ったらそれもOK。ただ、私自身まだまだ傷が深いため否定、批判は出来たら避けてくださると助かります。

第1回の今回はざっくり(と言いづらい文字数ですが)経緯説明です。私の背景、歴史の紹介になります。ある程度読み飛ばしてもらっても大丈夫だと思います。

・私の場合の家庭環境

経済的にはおそらく中流に位置します。父は公務員、母は専業主婦。私が産まれる前から猫がいる家でした。
私は一人っ子として産まれました。20歳まで判明しなかったことですが、発達障害(今で言うASDの診断を受け、おそらくADHD傾向も強め)を持っています。

振り返ると、そもそも両親と私の「相性」自体があまり良くなかったのではないかなと思います。なんとなくですが。
一例を上げるなら、私は納得できないと理解も実行もできない性質がありますが、両親は、「なぜ私が理解実行出来ないのか分からない」部分が多々あったのではないかと思います。

・私が「被害」と受け止めていること

多大に主観が混じるのですが、両親は「私と対話すること」「私が自分と違う人間であるということ」を認識せずに私に接していたように思います。両親がどう考えているかは知りませんが、私としてはここが私の被害の根源であると考えています。

私はあの家において、「言うことを聞かなければ」威圧、暴力、無視、食事抜き、家からの締め出しなどを受けました。盗み食いや親のお金を盗むなど、ある程度「気に食わないけど仕方ないか」と思えるものもあれば、「学校が終わってすぐに帰宅しない」「習い事の練習をしない(私にとっては苦痛だった)」「親に定められた勉強をしない」など、今考えると私としては明らかに「どうなのよそれ」というものもありました。

ただ、こういった縛りを受けて私がどうしたかと言うと、反発したんですよね。真正面からではなく、抜け道を探す、なければ穴を掘って抜け出すかのごとく。

例えば門限については、一旦帰宅したあと寝ている母親の目を盗んで抜け出して遊びに行く。深夜や早朝に一人抜け出すなんてこともありました。
親のお金を盗む件はとにかくイタチごっこでした。親が対策する→どうにかその対策をすり抜けたり、油断した隙に盗む、などなど…ここら辺は正直、親たちも相当きつかったんじゃないかな?とは思います。

ただ、だからと言って彼らの行為を肯定する気は今は微塵もありません。
私は、両親から丁寧に目線を合わせて私がわかるまで伝えようとされたことがありません。怒鳴りつけ、物理的/精神的暴力を振るわれた記憶しかありません。
「なんでそんなことをするんだ!なんでわからないんだ!」そんなメッセージしか受けた覚えがありません。
(現在の私のツッコミ):わからないものはわからないし、なぜやるんだと私に言うくらいなら自分で考えてみたら良かったんやで。何事にも、それが許されるかどうかとは別に理由ってもんがあるんや。

私が成長するにつれ、イタチごっこはどんどん悪化しました。「いかに親の言うことから抜け出すか」、とにかくそんなことを考えていたように思います。
反発心と、今思えば…お小遣いを貰って、それを持って友達と遊ぶ、とかがしたかったんでしょうね。

物理的被害については、一旦は書いてみたんですが今の時代に照らして考えるとかなり酷いのと、被害者の人にとってはフラッシュバックを起こしかねないかもということで省きます。
本気で誰かが警察を呼んでくれないか、家庭内がバラバラに壊れても構わないから助けて欲しいと思った、とだけ記載させてください。

・諸々経て闘病開始

さて、当時の私にとっては晴天の霹靂でしたが今考えてみれば当然の如く、高校三年生の時に鬱を発症しました。トントン拍子に症状が悪化しまして、1年後には初入院。
この頃はなんで自分があんなにしにたいのかとか自傷しちゃうのかとかさっぱり分かりませんでした。

精神科への入退院を繰り返しながら数年後、短い期間で自殺未遂を2回やらかし、障害者の身となりました。この時もまだ、私は被害については何も気づいてません。親たちは「なんであの子はああなんだ…」と嘆いていたのを知っています。
(現在の私のツッコミ):なんでってあなたたちが私の個を踏みつけにしたからだよ。


そこから更に数年後、何故か感情の伴わない「親を殺したい」という衝動が発生しました。これも、何故なのか自分で分からず、自分が怖いと感じていました。
(現在の私のツッコミ):多分これ、親からの加害が積み重なってついに限界点に達したんだと思います。「これ以上は私が壊れる。殺してでも自由を獲得せよ」というような。まぁ当時の私、気づけなかったんですけど......…。

このことが病院経由でか母に伝わっており、「殺せばいいじゃん。それか自殺すればいい?」と煽られまして。当時は私は親を大事だと思っていましたし、育ててもらったのに死にたいだの殺したいだの思うなんてと非常に苦しんでいましたので、母のこの言葉に心底絶望しました。

障害年金をいただけていたこともあり、これで実家を飛び出しました。幸い、ここまでに私は親たちから「言い出したら聞かない」という大変に失礼な評価を受けていたため、止められることも妨害されることもなく勝手にすれば、と受け止められました。これは今思うとすごく運が良かったですね。

・自由の獲得への流れが始まる

実家を飛び出してさらに五年ほど経ち、鬱症状はまだ酷かったものの、ようやく「私はなぜ死にたいか」を解く思考方法を手に入れました。心の底にある感情へのアクセスができるようになり始め、いろいろと自己理解が進み始めました。

最初は父の暴力に対する怒りが爆発しました。でも、この時はまだ「私も悪かったから…」という気持ちが大きかったです。

続いて母への拒否感も出てきました。母からの被害は言語化しづらいのですが…態度で人を支配しようとする感じでした。一例を上げると、父と口論になった時、家を車で飛び出して事故るとか。作ってくれたご飯に対し、「ちょっと辛い…」と私が言うと料理全部捨てるとか。

かなり長い期間、親への怒りとでも自分が悪い…を行き来しながら親への理解、歩み寄りを試みたりしていましたが、その期間にも色々と言葉による被害を受け続けていたため、私側の心情は果てしなく悪化。
憎しみと恨みを通り、「今のこいつらと関わっている限り私は私の人生を生きられない」「絶縁するか、殺すかしかない」までたどり着きました。

最終的には絶縁覚悟で色々ぶちまけた結果、「勉強して考えを深めます」ととりあえず父から返ってきたため様子見、というのが現状です。

これは説明として成立してるんですかね…。と自分で不安ですが。とりあえず次回から、もう少し詳しく色々書いていきます。
本当は一気に書きたかったけど、何万文字にもなりそうなので諦めました…。


気分のいい話じゃないと思うので、最後にお花の写真を置いて今日は終わりにします。

時期外れとか言わないで!

サポート大変喜びます。いただきましたサポートは大切に自分の療養、治療のために使わせていただきます。