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私の親の話(第2回/しんどさその1)
こちらのシリーズになる予定なものも、色々書きたいことがあるんですが、逆にありすぎて手をつけられない今日この頃。
今回は、「しんどかった自分の思考」について振り返りつつ、そこから発生した持論も喋ろうかなあと思います。
しんどさその1:「自分が(も)悪いから」
被虐待経験者の人ってこれ思ってるお仲間多いんじゃないかなあと勝手に思ってます。私は思ってました。
私の場合、わかりやすいのは父から受けた暴力に対してでしょうか。
「私が言うこと聞かないから、私が悪いことをしたから」
だから「体罰」を受けた、躾を受けた。
そんな風に思っていましたけど…今の私としてこの自分が書いた言葉を見ると、「あーすっごい被害者あるあるの気持ちの状態だ…」と思います。
実際、悪さはしてます。言うことも聞かなかったし、なんなら抜け穴探しをして親といたちごっこを延々繰り広げました。その上実は発達障害も抱えてた訳ですから、親も大変だったことでしょう。ですが…
知 る か そ ん な も ん !!!!
って話なんですよ実はこれ。私たちは人間で、親は子どもの自分たちより言語化能力が発達している(ことの方が多い)大人です。暴力を振るうことができたのと同じように、言葉で伝えようという選択肢もありました。伝え方を試行錯誤する選択肢もありました。
なのに、その中で一番安易な暴力を使うことを選んだ。物理的にも、精神的にも彼らは私を威圧し恐怖で支配することを選びました。
これに対し当時の私はこう言うでしょう。
「でも親だってそれぞれ大変なんだし、色々大変だろうし、あれやこれはしてくれたし…」
今の私としては、そこに関して否定はするつもりがありません。
親も1人の人間である以上、個人として抱える諸々もあれば、子どもを育てる大変さしんどさもあるはずです。
でもですね。暴力を振るってしまったとして、「ごめん!!暴力を振るったのは間違いだった!」と認め謝ることは出来たはずです。改めて真摯に向き合うことは、出来たはずです。例えそれが遅くなったとしても。
それが無いから私はずっと苦しんだ。それがあれば、親の大変さに寄り添うこともできたでしょう。しかし、私が「NO」を強く叩きつけるまで、一度も彼らは「間違ってしまった、済まなかった」という姿勢は見せませんでした、というか今も、学んでみると言っただけですね。
ただ、私の方が「NOと言っていい、言える」という実感を得られたために、彼らが過ちと認めるかどうかの優先順位が著しく下がった、というだけです。
今日はしんどかったことを…と言っといてなんですが、しんどさその1だけでだいぶ長くなってしまいました…。長文なら任せろ!(なんか違う)
というわけで、しんどさその2は次回へ。
癒し要因をぺたっとして、お疲れ様です!
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