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自尊心のバラエティに困惑する。

しばしば疑問に思うことがあります。

自分ディスの文化について。

今日もたまたま耳にしたので頭にクエスチョンマークを漂わせながら散歩していました。

たとえば。
辛辣な言葉についての話。
「私基本人の話聞いてないから何言われてもあんまり気にしないんだよねぇ。」
本人は割と揚々と話していましたが、なんとなくソレ、聞いちゃってよかったのかな、という気持ちになりました。
「馬鹿だからポジティブなんだよね。あんまり考えたりしないや。」
とか。

どうなんでしょう。
なんとなく心がボソボソっと毛羽立つのは私だけでしょうか。
どうしてそんなに朗らかでいられるんだろうと思ってしまうわけです。
馬鹿だなんて、言わないで頂戴と思ってしまうのです。
気にしすぎ?

なんていうか、それはもっとこう、なんだろう、ね。
ね。

私も保身に走りがちですが、あまりにも鉄壁のガードすぎるというか、
本人にそのつもりは無いのかもしれないけれど、なんか違う気がするというか。

こんなことを書きながら自分はどうだろうと心当たりを探っています。

こんなことを考えすぎるとだんだんと人と話すことが不安になってきて、疑心暗鬼になり、嫌だ嫌だーという駄々っ子オチになるのですが。

たまぁに気になっちゃいます。

でももっと、自愛してほしいなと他人としては思ってみたり。

後悔と反省と後悔の繰り返しが人生だとは思うので、
何かとやらかしちゃったりしながらも笑い飛ばしてくれる人もいれば、叱ってくれる人もいて、はたまた離れていってしまう人もいて。
また新たな出会いがあったり。

当たり前のことなんですが、当たり前すぎて考え始めるとなかなか楽しいんですね。

まぁ、当たり前か。


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