「世界初」のカニカマ・フルコース【深夜22時の創造しい会|8月6日(日)】
企画参謀
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「世界初」のカニカマフルコース
日経MJ
2023/7/26
石川県七尾市に本社を置く老舗旅館・加賀屋と水産加工のスギヨは、カニカマでフルコース料理を提供する初のイベントを開催した。スギヨが今春発売した最高級カニカマ「極(きわみ)」を、加賀屋の姉妹旅館「あえの風」(七尾市)の佐近一彦料理長が和洋中の創作料理に仕上げた。会場の「あえの風」で準備した50席はカニカマファンで満席となった。
スギヨによると、カニカマのフルコースを提供するのは世界初という。海鮮タルタルやビスクスープなど、前菜から締めのご飯までカニカマ尽くしだった。
参加者はカニカマ開発の歴史などを学びながら、見た目も美しい料理に舌鼓を打った。
両社は能登半島を代表する企業だが、これまで加賀屋が料理の素材にカニカマを使ったことはなかったという。石川はカニの大産地で「本物を楽しみに来る客が多い」(加賀屋)ためだ。「極」を試食し、味にほれ込んだ佐近料理長ら加賀屋側がスギヨにイベントを提案した。
参加者に好評だったため、加賀屋は今後一品料理などでカニカマを活用することも前向きに検討する。スギヨも「どういう料理に合うのか参考になった。一緒に能登を盛り上げていきたい」と話す。
「運命を変えた、奇跡の失敗作」スギヨHPより
●当初は人工クラゲを開発していた
珍味業界では、珍味に使う原料として中国からクラゲを輸入していた。しかし、1960年代後半、中国との国交が悪化しクラゲの輸入がストップする。業界は、その代替品の開発を早急に求めていた。
1970年、スギヨは新製品開発のための研究所で代替品の研究開発を開始。試行錯誤の末、アルギン酸、卵白、塩化カルシウムを使い、クラゲに近い食感を再現できた。だが、調味付けをすると食感がまったく違う別物になってしまった。
●失敗作から生まれた、ひとつの希望
人工クラゲの製造に行き詰まり、諦めかけていたその時、たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた。繊維状の食感でヒントを得た3代目社長の杉野芳人は、「われわれの本業である蒲鉾なら、調味付けができるはずだ」と材料に蒲鉾を使うことを提案、人工クラゲから人工カニ肉開発へと舵を切った。
蒲鉾を使用して出来上がった試作品を食べてみると、味と口当たりがカニの身そっくりだったので、開発チームは心が浮き立った。そして1972年、世界初のカニ風味かまぼこ「かにあし」を発売することとなる。
●予想が一転、百年に一度となる大ヒット
開発したかにあしを築地市場に持ち込んだときは、「刻んだ蒲鉾なんか売れない。」と、ほとんどの問屋が口をそろえて言った。しかし、一つの問屋だけが、面白い着想だと言って興味を持って買い取り、かにあしを売り出してくれた。開発陣は、祈るような気持ちで反響を待った。
すると、市場に出した途端にたちまち話題になり、いきなり大ヒット製品へと登りつめる。二ヶ月ほどで爆発的な売り上げを達成し、増産に次ぐ増産となったのだ。当時はかにあしを積んだトラックが市場に到着すると、業者が奪い合いになるほどの人気製品となった。
●本物を目指し、さらなる進化を遂げる
世界初のカニカマの誕生以降も、スギヨはさらなる研究開発を進め、2004年にはより本物のカニに近づいた製品「香り箱」を発売し、業界を驚かせた。
高度な分析力や、様々な専門知識を持った技術者による、固定概念にとらわれない研究スタイルが、新たな奇跡を呼びこんだのだろう。今後も「本物の蟹を超えたカニカマ」を合言葉に、開発チームは挑戦を続ける。
<ポイント>
「たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた」
危機を乗り切ろうと試行錯誤を重ね、突き詰めたこと。
そして、多様な知見を取り入れ、さまざまな可能性を探る、しつこいほどの探究心。
偶然の発見は準備を怠らなかった人間にしか訪れない。
売れるか売れないかは実際に口にする消費者に委ねる。
もし、あなたの企画に上司がダメ出ししても自信があるなら自分でやってみる。今は副業や起業など、いくらでも方法はある。
たまたま上手く行った事例かもしれないが、意外に新規市場はこんな偶然で生まれることもある。
日経MJ
2023/7/26
石川県七尾市に本社を置く老舗旅館・加賀屋と水産加工のスギヨは、カニカマでフルコース料理を提供する初のイベントを開催した。スギヨが今春発売した最高級カニカマ「極(きわみ)」を、加賀屋の姉妹旅館「あえの風」(七尾市)の佐近一彦料理長が和洋中の創作料理に仕上げた。会場の「あえの風」で準備した50席はカニカマファンで満席となった。
スギヨによると、カニカマのフルコースを提供するのは世界初という。海鮮タルタルやビスクスープなど、前菜から締めのご飯までカニカマ尽くしだった。
参加者はカニカマ開発の歴史などを学びながら、見た目も美しい料理に舌鼓を打った。
両社は能登半島を代表する企業だが、これまで加賀屋が料理の素材にカニカマを使ったことはなかったという。石川はカニの大産地で「本物を楽しみに来る客が多い」(加賀屋)ためだ。「極」を試食し、味にほれ込んだ佐近料理長ら加賀屋側がスギヨにイベントを提案した。
参加者に好評だったため、加賀屋は今後一品料理などでカニカマを活用することも前向きに検討する。スギヨも「どういう料理に合うのか参考になった。一緒に能登を盛り上げていきたい」と話す。
「運命を変えた、奇跡の失敗作」スギヨHPより
●当初は人工クラゲを開発していた
珍味業界では、珍味に使う原料として中国からクラゲを輸入していた。しかし、1960年代後半、中国との国交が悪化しクラゲの輸入がストップする。業界は、その代替品の開発を早急に求めていた。
1970年、スギヨは新製品開発のための研究所で代替品の研究開発を開始。試行錯誤の末、アルギン酸、卵白、塩化カルシウムを使い、クラゲに近い食感を再現できた。だが、調味付けをすると食感がまったく違う別物になってしまった。
●失敗作から生まれた、ひとつの希望
人工クラゲの製造に行き詰まり、諦めかけていたその時、たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた。繊維状の食感でヒントを得た3代目社長の杉野芳人は、「われわれの本業である蒲鉾なら、調味付けができるはずだ」と材料に蒲鉾を使うことを提案、人工クラゲから人工カニ肉開発へと舵を切った。
蒲鉾を使用して出来上がった試作品を食べてみると、味と口当たりがカニの身そっくりだったので、開発チームは心が浮き立った。そして1972年、世界初のカニ風味かまぼこ「かにあし」を発売することとなる。
●予想が一転、百年に一度となる大ヒット
開発したかにあしを築地市場に持ち込んだときは、「刻んだ蒲鉾なんか売れない。」と、ほとんどの問屋が口をそろえて言った。しかし、一つの問屋だけが、面白い着想だと言って興味を持って買い取り、かにあしを売り出してくれた。開発陣は、祈るような気持ちで反響を待った。
すると、市場に出した途端にたちまち話題になり、いきなり大ヒット製品へと登りつめる。二ヶ月ほどで爆発的な売り上げを達成し、増産に次ぐ増産となったのだ。当時はかにあしを積んだトラックが市場に到着すると、業者が奪い合いになるほどの人気製品となった。
●本物を目指し、さらなる進化を遂げる
世界初のカニカマの誕生以降も、スギヨはさらなる研究開発を進め、2004年にはより本物のカニに近づいた製品「香り箱」を発売し、業界を驚かせた。
高度な分析力や、様々な専門知識を持った技術者による、固定概念にとらわれない研究スタイルが、新たな奇跡を呼びこんだのだろう。今後も「本物の蟹を超えたカニカマ」を合言葉に、開発チームは挑戦を続ける。
<ポイント>
「たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた」
危機を乗り切ろうと試行錯誤を重ね、突き詰めたこと。
そして、多様な知見を取り入れ、さまざまな可能性を探る、しつこいほどの探究心。
偶然の発見は準備を怠らなかった人間にしか訪れない。
売れるか売れないかは実際に口にする消費者に委ねる。
もし、あなたの企画に上司がダメ出ししても自信があるなら自分でやってみる。今は副業や起業など、いくらでも方法はある。
たまたま上手く行った事例かもしれないが、意外に新規市場はこんな偶然で生まれることもある。
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