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水と宇宙と渦と星Ⅱ

※特にこれから書くことは取り留めもない感じになってしまうことをご了承ください🥺※

🌊

💧地球は水の星と言われる。
地球の70%は海という水で覆われているからだ。そして人間も60%は水で出来ている。
だとしたら、人間は、だいたい水の生きものって言ってもいいのかな。そうすると、今目の前にいる人間は動く水の塊、なのかもしれない。

💧日本は水に恵まれている。
日本各地に水の神様がいる。しばしば水の神様は龍に例えられる。龍神さまと。龍は中国とも関係していて、中国では超自然の存在だと信じられ、奇跡にような変化を起こしたり、変容したりすることで知られているらしい。
”水は龍の化身として惑星の多くの生命の形を最終的に創造する変容と結びつけられるかもしれない。”(水の神秘より)

💧心は水のようで。常に動いていて、変化し続けるもの、と言ったのはヨガの先生。
そんな水の中の動きや波紋をコントロールしたくても、もしくは水の中に浮かんでいるごみを取り除きたくても、水の中に手を入れれば入れるほど、かき混ぜればかき混ぜるほど、余計にカオスになるのだ、と教えてくれた。

💧また、本「水の神秘」にこう書かれている。


”...現代科学では、水の水素原子と酸素原子はともにビッグバンとその星々によって存在を与えられたと考えられている。...地球のものであるとかつて科学が信じていたこの水という物質は、いまや宇宙の至る所に、氷や水蒸気としてだけでなく、液体としても存在すると理解されている。”

水の性質。
つねに変わっていて、常に止まらなくて、何にでも形を変えられる。
目に見えるときと目に見えないとき。
宇宙と地球、天と地をつなぐもの。
身体にもあり、心にもあるもの。

古代からずっと、人がやむを得なく重要視していた存在。古代の人々の見方を知るのは面白い。 

引き続き、「水の神秘」より抜粋してみる。

💧”.....水や水の宇宙的役割についてこのような見方をしているのは、古代の哲学や、世界のある特定地域の宗教だけとは限らないようである。ヴェーダと道教の伝統のなかにいた神秘主義者と哲学者は、水がすべてのものとすべての存在を形作る物質であり、同時に、究極の源であると認識していた。イスラム教では、アラーが水からすべての生き物を造ったとされている。こういう哲学的で宗教的な見方は、水を〈絶対的なもの〉の隠喩として使った古代の一つの例と解釈できるだろう。”(水の神秘より)

さらに面白い記述がある。

“...マオリの言葉で水は、ワイといい、それは記憶すら、あるいは過去を思い出す、という意味がある。水原は過去と未来の出来事についての記憶があると見なされているのである。ブレイルズフォードの著者『鯨の歌』は、二人の登場人物の議論を通して、マオリの人々が水は星であり、〈源〉でもあると信じていたことを明らかにしている。非常に多くの古代の土着文化と同じく、マオリの人々もまた、水の記憶は命の輝きをもたらし、創造の過程に親密に関係していると考えていた。
古代神話や土着神話は、水がどうやって記憶を入手できるのか、また持ち続けられるのかを説明していない。しかし、そのような記憶が空間にも時間にも束縛されないというほとんど普遍的といっていい洞察は、いまも科学の世界でかなりの議論を引き起こしている。マオリの人々は、水が時間と空間をめぐりながら、星を訪ねたり、大地の多くの構成要素になっていった旅を記憶しているという。...”



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