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学ぶ者は牛毛の如く成る者は麟角の如し

靈氣を始めとして、人が体内に取り入れて、放つことの出来る"氣"のお話。久しぶりにエネルギーヒーリングに関することをば。

タイトル<<<学問を志す者は牛毛の数と同じくらい大勢いるが、学問を究めることができる者は“麒麟(想像上の動物)”の角の数程度しかいない、と学をなすことの困難さをいう言葉

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キリンビールの味は苦手で、国産はサッポロ派な私

例えば、レイキにしてもクォンタムタッチにしても、あらゆる氣を用いる施療や術。仙道気功なども含めて、宇宙や大地の氣を取り入れて操ると言う分野において…例えば、その氣を水に例えた時に、それぞれ同じところ(源泉)から汲み上げている水であり、施療を行う人間はその水を他者に譲渡する純粋な媒介(パイプ)となっているだけなので、誰であっても同じものが流れる…と大抵のところがそのように謳っています。

ですが、同じレイキのプラテクショナーでも、プラテクショナー(ヒーラー)が異なることで、体感が異なるのは多くの受け手(ヒーリー)側が意見を同じくするところです。

実際、その氣を流す段階で、既に氣の波動は異なってしまっています。波動だけでなく、質量も変わっていたりします。もっと言えば、受け取る段階で、受け取る側の問題(状態)により、総量質量波動の幅調整されてしまっています。

もう一度、氣を水に例えてみるならば…

同じ源泉から水を組み上げるという行為までは同じなのですが、バケツや桶の大きさにまず違いがありますので、たくさん汲み上げられる人と少ししか汲み上げられない人…というが出てしまいます。

また、汲み上げるためのバケツや桶の状態…これは肉体に例えることが出来るのですが…このバケツや桶に付いている汚れの違いにより、水の純度が変わってしまうのです。ようするに不純物がどうしても混ざるということです。それは埃や塵や澱かも知れないし、泥かも知れません。

それは透明度100 %の水に何らかの色がついて、濁ってしまうということを意味してもいます。これだと汚れという例えになってしまっていますが、人はそれぞれ異なる波動・周波数を放つ生き物ですから、どうしても、その人独自の波動の色が水に付いてしまうというか、混じってしまうのです。

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そして、その前に。

氣と言うエネルギー…すなわちエーテルバイタリティ(時にマナやプラーナとも言われる)ですが…通常私たちが3つの身体を維持し、エレメンタルを生成するために体内に取り込んでいるノーマルなエーテルバイタリティにしても、それとは少し異なる種類のエーテルバイタリティ(周波数・波動が異なる)にしても、上の次元から下位の次元である、3次元(物質界)の肉体(物質)に落とし込む際に、総量が100として、最高でそのうちの60%の量しか落とし込むことは出来ません。確実に40% は削減されてしまうのです。で、60%はあくまでMAXの量であって、一般的に60%も取り入れられていないのが実状です。

そのMAX60%…どう頑張っても三次元の肉体を有している存在である限り、60%しか取り込めないわけですが、その上限60%の範囲の中で、上限に近い量を取り入れられるか否かは、その人の霊的身体(サイキカル体とノエティカル体とサイコノエティカル体)の成長度に掛かっているのと、同時にどのようなエレメンタル所持しているのかにも左右されます。(その人の波動・周波数を決めているのは、その人自身が創り出しているエレメンタルの質と総量なので)

この場合のネガティブ・エレメンタルは先に出した例での、バケツや桶に付着した汚れ。バケツや桶の大きさは、霊的身体の成長度に相当します。

それから、その時の当人の感情(サイキカル体の状態)や思考も、もちろん影響します。

そのように三次元の存在としての人間(肉体)を介する、マグネティック・ヒーリングサイキカル・ヒーリングは、どうしても肉体という物質的次元に落とし込んでから、それらを介して氣(エーテル・バイタリティ)を譲渡されるものなので、個人の資質や状態に左右されます。なので、個々によって、同じ源泉を持つところから氣を得たとしても、ヒーラーによって波動の異なる氣に変換されて(色を付けられて)、他人に譲渡されることになります。ですから、結果にも差異が生じますし、受け手の体感的な感想も異なるのです。

但し、スピリチュアル・ヒーリングのレベルではこのようなことは起こりません。スピリチュアル・ヒーリングは、肉体を持たないスピリットたちが行うことだからです。

蛇足ですが、三次元に近いもの…波動の荒い・低いものほど肉体で受信しやすい(体感しやすい)です。波動の細かいもの・高いものは肉体ではほとんど感じることが出来ません。ですから、体感的に強く感じるから、波動が強いものというわけではなく、体感的に感じないから、波動が弱いというわけではありません。

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五感的なものは肉体で感じることが出来ますが、それ以上の感覚(第六感以上の超感覚と言われるもの)はサイキカル体サイコノエティカル体に存在しています。

サイキカル体とは心・感情の身体です。ですので、第六感の発達度は感情のEQに比例しています。そこにはイマジネーション、インスピレーションも含まれますが、ヴィジュアライゼーション(視覚化)もその最たるものです。

ですから、頭の中で具体的にイメージ(画像や映像)を描くことが出来ない、苦手だと言う人は、サイキカル体がまだ未成熟な段階だとも言えます。その段階の人は氣をキャッチしたり、体感することがあまり上手く出来ないはずです。そして、サイキックな力サイキカル体の成長度に左右されるといいますか、まさにサイキカル体の成長次第でもありますので、感覚的なアンテナも上手く使いこなせてはいず、直感も働きにくい人たちです。

右脳的な人、アーティスティックな人の方が微細な氣を感じ取りやすく、サイキカル的な能力に長けている人が多いのは、そのような理由です。

また、サイキカル体が十分に成長していて、ヴィジュアライゼーションが得意な人は、サイコノエティカルイメージとしてのエレメンタルの創造も得意です。このような人たちが「引き寄せの法則」などの方法論の、何かしらのテクニックを用いて望む未来を引き寄せやすいのは、サイキカル体が発達しているところが大きいです。但し、ノエティカル体もあるレベルに達していることが必須条件ではありますが。

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マグネティック・ヒーリングにしても、サイキカル・ヒーリングにしても…ハンドヒーリングないし、氣(エーテル・バイタリティ)を譲渡し、錬成して扱っていくヒーリングに関しては、これまで説明したように、施療者であるヒーラー自身の人としての資質(人間力や霊的成長度)に委ねるところが大きいということです。ですから、自分の波動の状態が、ヒーリーであるクライアントに影響を与えているということを、常に念頭においておかなければなりません。そしてともすると、自分の波動の色だけでなく、想念(エレメンタル)を埋め込んでしまう可能性(危険性)のことも知っておかなければいけません。

意図は持っても、想いは持たず

私が常にレイキを教える際に、受講生にお伝えしている言葉です。何のために、何に対してヒーリングするのかについて考えても、余計な感情、想念を施療中に持ち込まない、施療をしている間はヒーリーに対して個人的な感情を持たない、無心であれ…と。常にフラットな気持ちでいること…それが大切ですよと。まあ、この辺りはさらっと触れておくだけにします。

とりあえず今のところ、この位ですかね。他に追記すること、書き忘れていることなどあったら、また別途。質問等ありましたら、コメント下さい。

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